蒲田〜池上〜池上本門寺
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有名仏閣 池上本門寺 | ||
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東急 池上線 始発 蒲田駅 池上線は蒲田駅を始発とし、五反田駅を終点とする。 駅数 15、営業距離 10.9km 【撮影記録】 平成21年 1月 25日 快晴 10:20〜14:25 23,500歩(昼食15分)(概算 19.0km) 大井町線 蒲田駅〜旗の台〜五反田駅 営業距離 10.9km 駅数 15 当初最高気温6℃のはずが10℃を超え、ダウンジャケットでは暑すぎた。5年前に歩いた時は、地下駅の長原駅で迷ったので、遠回りでも分かりやすい道を歩いたので全く問題なかった。 |
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JR 蒲田駅 蒲田駅の品川よりのバス通りを歩いて北上、多摩堤通りに向かう。 |
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西蒲田交差点で左折、多摩堤通りへ 交差点右角にりそな銀行がある。 |
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多摩堤通りを西進 商店街がすずらん通りと名付け、街区毎に三番街、四番街となって蓮沼駅まで続く。多摩堤通りは、東急多摩川線の多摩川駅から南下した時に歩いた道である。 |
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多摩堤通り 踏切の前後にある蓮沼駅 | |
東急 池上線 蓮沼駅 踏切を挟んで駅が二つあり、東側が蒲田行き、西側が五反田行きである。池上線はこの形式の駅が多く、東京メトロ(旧営団)の銀座線と同じである。 |
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多摩堤通り 矢口東小前交差点で右折 池上駅まで北上する。 |
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東急 池上線 池上駅 矢口東小前交差点からこの駅まで一直線である。池上駅交差点でこの道を横断する池上通りが通る。 |
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池上駅交差点 池上通りを右へ進む 池上駅前の池上通りを右に進み、すぐ左折して、本門寺通りに入る。 |
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池上駅交差点 本門寺通りを北上 | |
池上本門寺 ひげ文字の石柱の後ろに流れる呑川を渡り、本門寺に向かう。 |
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池上本門寺 総門 総門をくぐると急坂の此経難持坂が見える。 |
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池上本門寺 境内案内図 現在地は中央下で、そのまま上に上り、此経難持坂を経て仁王門、大堂に至る。 |
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池上本門寺 此経難持坂(しきょうなんじざか) 本門寺の石段 この石段は、加藤清正(一五六二〜一六一一)の寄進によって造営されたと伝えられ「法華経」宝塔品の偈文九六字にちなみ、九六段に構築され、別称を「此経難持坂」という。 なお、元禄の頃(一六八八〜一七〇三)に改修されているが、造営当時の祖型を残しており、貴重な石造遺構である。 清正は慶応十一年(一六〇六)に祖師堂を寄進建立し、寺域を整備しているので、この石段もその頃の所産と思われる。 右の白い階段は女坂で、最近出来たものである。 |
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池上本門寺 此経難持坂(しきょうなんじざか) | |
池上本門寺 仁王門 右手には日蓮大聖人説法像、前田利家室の層塔などがある。 |
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池上本門寺 大堂(祖師堂) 日蓮聖人は弘安5年(1282)、身延山から病気療養のため常陸の湯に向かう途中、武蔵国池上 (現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲の館で亡くなった。その後池上宗仲が法華経の字数(69384字)に合わせて約7万坪の寺域を寄進したことから「池上本門寺」と呼びならわされている。多くの堂宇が戦災で焼失したが、戦後再建された本殿、大堂などの壮大な堂宇のほか、小堀遠州の作意と伝わる松涛園など、見どころも多い。 |
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池上本門寺 仁王門脇から見える富士山 写真では望遠を使ってもかすかに見えるだけだが、実際には大きく、きれいに見える。 |
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池上本門寺 此経難持坂(しきょうなんじざか) この石段は、慶長年間(1596〜1615)加藤清正の寄進と伝えられる。「法華経」宝塔品の詩句96文字にちなんで石段96段とし、詩句の文頭の文字「比経難持」をとって坂名とした。 なお石段は元禄年間(1686から1704)に改修されたといわれる。 下から見ても急坂だが、上から見下ろすとその勾配の急なことが実感できる。 |