池上本門寺

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池上本門寺 境内案内図 池上本門寺 境内案内図 
池上本門寺 大堂(祖師堂)、経堂 池上本門寺 大堂(祖師堂)、経堂 

右の大きな建物が大堂で、右奥の建物が経堂である。大堂は戦災で焼失、戦後再建された。中央手前はお休み所である。大堂の前は観光バスなどの駐車場となっている。
池上本門寺 客殿 池上本門寺 客殿 

車道を隔てて大堂の反対側に位置し、右隣に寺務所がある。
池上本門寺 寺務所 池上本門寺 寺務所 
池上本門寺 大堂(祖師堂) 池上本門寺 大堂(祖師堂) 

日蓮聖人は弘安5年(1282)、身延山から病気療養のため常陸の湯に向かう途中、武蔵国池上 (現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲の館で亡くなった。その後池上宗仲が法華経の字数(69384字)に合わせて約7万坪の寺域を寄進したことから「池上本門寺」と呼びならわされている。多くの堂宇が戦災で焼失したが、戦後再建された本殿、大堂などの壮大な堂宇のほか、小堀遠州の作意と伝わる松涛園など、見どころも多い。
池上本門寺 経蔵 池上本門寺 経蔵 

構造形式は木造、宝形造、銅板葺、方5間輪蔵形式である。
天明4年(1784)当寺33世日謙(1717〜90)の時に再建された。
池上本門寺 経蔵 池上本門寺 経蔵 
池上本門寺 奉安塔の由来 池上本門寺 奉安塔の由来 
池上本門寺 奉安塔の由来 池上本門寺 奉安塔の由来 

 当山は昭和二十年(一九四五)四月十五日の空襲により、大堂をはじめほとんどの建物を焼失するという未曽有の災厄を被りました。しかしながら戦後ただちに復興事業に着手し、まず最初に日蓮大聖人御尊像と御真骨を格護するための奉安塔が一字一石写経による浄財勧募によって、昭和二十九年四月に建設されました。
 昭和三十九年(一九六四)に大堂が完成した後、しばらくの間は御霊寶収蔵庫・納経塔などの役割を果たしてきましたが、日蓮大聖人立教開宗七五〇年記念慶讃事業「霊寶殿」建立のため平成十一年六月に解体されました。
 よって、ここに当山の戦後復興に大きな役割を果たした奉安塔の由来とその姿を刻み相輪を留めて、ご協賛いただいた檀信徒の徳行を讃えるものであります。
池上本門寺 大堂(祖師堂) 池上本門寺 大堂(祖師堂) 
池上本門寺 霊寶殿 池上本門寺 霊寶殿 
池上本門寺 境内案内図 池上本門寺 境内案内図 
池上本門寺 大堂(祖師堂) 池上本門寺 大堂(祖師堂) 
池上本門寺 仁王門 池上本門寺 仁王門 
池上本門寺 仁王門 池上本門寺 仁王門 
池上本門寺 比経難持坂(しきょうなんじざか) 池上本門寺 比経難持坂(しきょうなんじざか) 

仁王門と、麓の総門との間の急坂を比経難持坂(しきょうなんじざか)と言う。
池上本門寺 比経難持坂(しきょうなんじざか) 池上本門寺 比経難持坂(しきょうなんじざか) 

この石段は、慶長年間(1596〜1615)加藤清正の寄進と伝えられる。「法華経」宝塔品の詩句96文字にちなんで石段96段とし、詩句の文頭の文字「比経難持」をとって坂名とした。
なお石段は元禄年間(1686から1704)に改修されたといわれる。
池上本門寺 比経難持坂(しきょうなんじざか) 池上本門寺 比経難持坂(しきょうなんじざか) 
池上本門寺 仁王門から見た総門 池上本門寺 仁王門から見た総門 

比経難持坂(しきょうなんじざか)が如何に急坂であるかが分る。
池上本門寺 日蓮大聖人説法像 池上本門寺 日蓮大聖人説法像 

比経難持坂(しきょうなんじざか)脇にある。
池上本門寺 日蓮大聖人説法像 池上本門寺 日蓮大聖人説法像 

この像は宗祖第七百遠忌記念として昭和五十八年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたもので斯界の 権威北村西望先生の作品です。

もとここには明治の政治家星亨先生の銅像がありましたが、今般星家の御協力により台座を奉納頂きこの像を建立しました。
池上本門寺 関東大震災供養碑 池上本門寺 関東大震災供養碑 

日蓮大聖人説法像の右脇にある。
池上本門寺 仁王門 池上本門寺 仁王門 
池上本門寺 大田区戦没者慰霊塔 池上本門寺 大田区戦没者慰霊塔 

仁王門手前右側にある慰霊塔建設の由来が書かれている。

日華事変太平洋戦争における戦没軍人軍属の英霊と、戦災で犠牲になられた人々の幽魂を弔慰し恒久の平和を祈念するため、慰霊塔を建設すべく、大田区自治会連合会、大田区郷友会、大田区遺族会及び有志は、昭和三十五年七月大田区戦没者慰霊塔建設奉安会を結成した。
池上本門寺 大田区戦没者慰霊塔 池上本門寺 大田区戦没者慰霊塔 
池上本門寺 大田区戦没者慰霊塔 池上本門寺 大田区戦没者慰霊塔 
池上本門寺 日露戦役忠魂之碑 池上本門寺 日露戦役忠魂之碑 

大田区戦没者慰霊塔の脇にある。
池上本門寺 前田利家室の層塔 池上本門寺 前田利家室の層塔 

仁王門を入って右手の五重塔に向う所にある。
池上本門寺 前田利家室の層塔 池上本門寺 前田利家室の層塔 

この塔は、前田利家の側室、寿福院が、元和八年(一六二二)に、自身の逆修供養のために建てた十一重の層塔である。このことは当寺十五世(復歴)日樹の銘文でわかる。
現在、相輪と上部の数層を失って、わずか五重を残すのみである。屋蓋の反り具合からみて株式的に古い形を示し、注目される。
 なお天保四年(一八三三)の修復銘もある。
池上本門寺 五重塔 池上本門寺 五重塔 

文禄2年(1593)、将軍になる前の徳川秀忠が重篤な病にかかり、その病気平癒のため熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が大奥より池上へ日参。その甲斐あって快癒し、徳川2代将軍となった後、そのお礼と武運長久を祈り、慶長13年(1608)に建立された。
初層のみが和様、二層以上を唐様とする、上層への逓減率が少ない、相輪長が短い、心柱が初層天井の梁上に立つ、など建築としての特徴も独特で、貴重な塔建築である。
池上本門寺 大堂(祖師堂) 池上本門寺 大堂(祖師堂) 

力道山の墓を見るため、五重塔から細道を北上する。
池上本門寺 力道山の墓所 池上本門寺 力道山の墓所 
池上本門寺 力道山の墓所 池上本門寺 力道山の墓所 

手書き文字の上にかすれており、読みにくいが力道山の急逝を悼む内容である。
昭和38年暮に渋谷でチンピラに刺殺された、と聞いた時は、あの力道山が、と思ったものである。享年39歳であった。
池上本門寺 力道山の墓所 池上本門寺 力道山の墓所 

何かぼやけた印象の顔である。もっと精悍だった気もするが。

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