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目黒 行人坂 大円寺散策H251027

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目黒 行人坂 大円寺 勢至菩薩石像 目黒 行人坂 大円寺 勢至菩薩石像 

目黒川架橋供養勢至菩薩石像(区指定文化財)

 下から台座(97cm)、蓮座(20cm)、頭上に宝瓶のついた冠をかぶり、両手合掌、半跏趺坐の勢至片薩像52cm)の3段になっています。
台座の前面と両側面に、江戸中期における目黒川架僑のことを語る銘文が刻まれています。
 銘文によると、宝永元年(1704)に西運という僧が日黒不動と浅草観音に毎日参詣し、往復の途中江戸市民の報謝をうけ、両岸に石壁を築いて、雁歯橋を架けたことがわかります。
 目黒川架橋の史実を物語る此収な資料です。
目黒 行人坂 目黒 行人坂 

 寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。しだいに多くの行人が集まり住むようになったので、行人坂と呼ばれるようになったといわれています。
目黒 行人坂 大円寺 勢至菩薩石像 目黒 行人坂 大円寺 勢至菩薩石像 
目黒 行人坂 大円寺 山門 目黒 行人坂 大円寺 山門 

山門が真新しくなっていた。
目黒 行人坂 大円寺 目黒 行人坂 大円寺 

山門横の石碑である。5年前の前回には本堂前にあった。
目黒 行人坂 大円寺 本堂 目黒 行人坂 大円寺 本堂 

本堂に向かって左には明和の大火、行人坂の大火の遺構が、右には八百屋お七の恋人だった吉三(西運)の遺構がある。
目黒 行人坂 大円寺 目黒 行人坂 大円寺 

大円寺(天台宗)

 この寺は「松林山大円寺」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切りひらき、大日金輪を祀って祈願の道場を開いたのがその始まりと伝えられています。
 本寺には、“生身の釈迦如来”と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定文化財)、木造「十一面観音立像」(区指定文化財)、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天像」(山手七福神の一つ)などが安置されています。
 明和9年2月(1722)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出しましたが、その供養のためにお造られた「釈迦三尊・十六大弟子」、五百羅漢の像等の「大円寺石仏群」(都指定文化財)が建てられています。また阿弥陀堂には「木造阿弥陀三尊像」(区指定文化財)や八百やお七の火事にまつわる西運上人の木像、お七地蔵などが祀られています。
 境内には行人坂敷石造道供養碑」(区指定文化財)、「目黒川架橋供養勢至菩薩心像」(区指定文化財)、西運の墓、などがあります。
 江戸の面影を残している行人坂の景観や老樹古木のしげる境内は緑の自然と古い歴史が薫る静かな美しい浄域を守っています。
目黒 行人坂 大円寺 目黒川の太鼓橋に使用された石材 目黒 行人坂 大円寺 目黒川の太鼓橋に使用された石材 

八百屋お七の恋人吉三はその後名を西運と改めお七の菩提を弔うため江戸市民から寄進された浄財を元に行人坂の石畳、太鼓橋を石の橋にした。
目黒 行人坂 大円寺 目黒川の太鼓橋に使用された石材 目黒 行人坂 大円寺 目黒川の太鼓橋に使用された石材 
目黒 行人坂 大円寺 大円寺石仏群 目黒 行人坂 大円寺 大円寺石仏群 

 明和九年(一七七二)、江戸市中を焼く大火があり、火元と見られたのが大円寺であった。この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦三年(一六五七)の振袖火事、文化三年(一八○六)の車町の火事と並び、江戸三大火事の一つに数えられている。『新編武蔵風土記稿』には、大円寺境内の五百羅漢は行人坂の火事で亡くなった人々を供養するために建立されたと記されている。
 大円寺境内の東側斜面に五一〇躯の石仏群が安置されている。左右に文殊菩薩を配した釈迦三尊像を十大弟子と十六羅漢が囲み、背後に四九一基の羅漢像が並ぶ。建立年代は、五百羅漢の中に宝暦一三年(一七六三)の刻銘もあるが、多くは釈迦如来の刻銘天明元年(一七八一)以降の建立と思われる。嘉永元年(一八四八)に大円寺が再興された時、これらの石仏もここに安置されたと考えられる。
 像高は、釈迦三尊像が一四七〜一五五cm、十大弟子像が五五〜一二六cm、十六羅漢が九五cm、五百羅漢像が三七cm前後、判読できる銘文によると、行人坂の火事以外の供養も含まれているようである。また、広く勧進を募り、時間をかけて今の石仏群が作られたことも読み取れる。江戸災害史の貴重な資料である。
目黒 行人坂 大円寺 大円寺石仏群 目黒 行人坂 大円寺 大円寺石仏群 
目黒 行人坂 大円寺 大円寺石仏群 目黒 行人坂 大円寺 大円寺石仏群 

崖沿いにびっしりと羅漢像が置かれている。
目黒 行人坂 大円寺 国宝 生身の釈迦如来 目黒 行人坂 大円寺 国宝 生身の釈迦如来 
目黒 行人坂 大円寺 国宝 生身の釈迦如来 目黒 行人坂 大円寺 国宝 生身の釈迦如来 

釈迦如来立像(国指定重要文化財)

京都清涼寺の釈迦如来立像の模刻。鎌倉時代には、釈迦信仰の復古的なな高潮によって盛んにに作られました。大圓寺の釈迦如来像は、胎内から鏡や結縁者戒名等を記した紙片・女性の髪・木札などが発見され、鏡には、「建久四年舟治氏乙犬丸」の線刻銘があり鎌倉大仏を鋳た舟治氏と同姓の工人の名が記されています。年代の明らかな清涼寺式釈迦像の中でも建久四年(1192)は最も古い釈迦像です。
生身の釈迦像として、像の胎内には人間の胎内にあるのと同様の五臓が絹や綿の布で作られ、文書や経巻、宝玉などとともに納められています。
目黒 行人坂 大円寺 国宝 生身の釈迦如来 目黒 行人坂 大円寺 国宝 生身の釈迦如来 
目黒 行人坂 大円寺 庚申塔(天台宗の三諦の教えに由来する) 目黒 行人坂 大円寺 庚申塔(天台宗の三諦の教えに由来する) 
目黒 行人坂 大円寺 庚申塔(天台宗の三諦の教えに由来する) 目黒 行人坂 大円寺 庚申塔(天台宗の三諦の教えに由来する) 

サルが庚申塔に登場したのは室町も末、庚申待ちの夜阿弥陀、観音、山王などがまつられ庶民を守ってくれた。
目黒 行人坂 大円寺 庚申塔(天台宗の三諦の教えに由来する) 目黒 行人坂 大円寺 庚申塔(天台宗の三諦の教えに由来する) 
目黒 行人坂 大円寺 行人坂敷石造道供養碑(区指定文化財) 目黒 行人坂 大円寺 行人坂敷石造道供養碑(区指定文化財) 
目黒 行人坂 大円寺 行人坂敷石造道供養碑(区指定文化財) 目黒 行人坂 大円寺 行人坂敷石造道供養碑(区指定文化財) 

 この供養碑は、高さ164cm。碑の上部に種子(梵字)キリーク.(阿弥陀)サ.(観音)サク.(勢至)が刻まれています。
 下部の碑文によって、この坂を利用する念仏行者たちが悪路に苦しむ人々を救うため、目黒不動尊や浅草観音に参詣し、通りがかりの人々から報謝を受け、これを資金として行人坂に敷石の道を造り、この成就と往来の安全とを供養祈願したことがわかります。
 施主は西運で元禄16年(1703)の紀年があり、江戸と目黒の社寺を結ぶ重要な参詣路であった行人坂開発の歴史を知るうえに貴重な歴史資料です。
目黒 行人坂 大円寺 阿弥陀堂 目黒 行人坂 大円寺 阿弥陀堂 

木造阿弥陀三尊像

 中尊阿弥陀如来像は来迎印を結び、左足を垂下した半跏の姿、観音像は蓮台をもち左膝を立て、勢至像は合掌し右膝を立てた典形的な来迎形の阿弥陀三尊像であるが中尊が半跡座の姿をとる例は少なく珍しい三尊形式である。
 三尊とも江戸時代の典形的な作風を示し江戸時代の仏像がいずれも小じんまりとしているのに対し気宇広大な特色を持っている。
 また、両脇侍像蓮台の木札に明和七年(一七七〇年)大仏師桃水伊三郎等の銘があることも貴重である。
目黒 行人坂 大円寺 阿弥陀堂 目黒 行人坂 大円寺 阿弥陀堂 
目黒 行人坂 大円寺 八百屋お七と吉三(西運) 目黒 行人坂 大円寺 八百屋お七と吉三(西運) 

江戸時代本郷の八百屋の娘お七は天和二年(一六八二)の火事の際、自宅を焼かれしばらくの間、駒込の円林寺に仮住いしており、その時に寺小姓の吉三に恋したという。お七が十六才、吉三が十八才でした。恋こがれたお七は、吉三に会いたい一心で翌年自分の家に放火したために、江戸市中を引廻しの上、鈴ヶ森の処刑場で火刑に処せられた。
その後、一方の主人公「寺小姓吉三」はお七の処刑後、僧となリ名を「西運」と改め諸国を行脚、後に大円寺の下の明王院(現雅叙園)に入ってお七の菩提を弔うため往復十里(約四十キロ)の道のりを浅草観音まで夜から明け方にかけて鉦を叩き念仏を唱え、隔夜日参り一万日の行を二十七年と五ヶ月かけて成し遂げ、お七が夢枕に立って成仏した事を告げられたことから「お七地蔵尊」を造った。又、西運は多くの江戸市民から浄財の寄進を受け、これを基金に行人坂に敷石の道を造り、目黒川に石の太鼓橋を架け社会事業の数々を行った。
目黒 行人坂 大円寺 八百屋お七と吉三(西運) 目黒 行人坂 大円寺 八百屋お七と吉三(西運) 
目黒 雅叙園 目黒 雅叙園 

行人坂の中腹にある大圓寺を出て、坂を下りた所の左手に目黒雅叙園があり、入口左手前に工事のため一時撤去されていたお七の井戸がある。

アニメ「千と千尋の神隠し」の舞台のモデル、とも言われたこともあったが、それほど時代がかった結婚式場である。
ちなみに、アニメ「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルは、台湾の台北にある円山大飯店とも言われている。こちらの方がイメージには合っている。
目黒 雅叙園 「お七の井戸」 目黒 雅叙園 「お七の井戸」 

八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。
吉三はお七の火刑後僧侶となり名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から庭園にかけ明治13年頃まであった。
この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。
目黒 雅叙園 「お七の井戸」 目黒 雅叙園 「お七の井戸」 
目黒 雅叙園 目黒 雅叙園 



 
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