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万歩計



(From H14-10-28)

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掲示板(一言どうぞ)


皇居 北の丸公園

 【目次】    秋の皇居徹底散策(東御苑、北の丸公園)H261113
  皇居北の丸公園(H21−01−08)
初春の北の丸公園(H19−03−10)
雪の北の丸公園(H17−03−05)

秋の皇居徹底散策(東御苑、北の丸公園)H261113

 日比谷駅から日比谷濠沿いに日比谷通りを北上、第一生命ビル(DNタワー21)、帝国劇場、東京會舘と経て、明治生命館がある馬場先門交差点で馬場先通りを渡る。イチョウ並木は日比谷濠沿いの西側はきれいに黄葉しているが、東側は青々としている。和田倉門交差点で左折、行幸通りへ入り和田倉噴水公園を見物後内堀通りに進み、大手門に至る。
 大手門(高麗門)から入り、東日本大震災の修復工事が始められた大手門(渡櫓)を潜り抜けて東御苑に入苑する。三の丸尚蔵館、同心番所と経て百人番所前広場に着く。広場で右折すると二の丸公園入口で、直進して石垣の中之門跡を歩くと大番所である。
 大番所から坂を上り中雀門跡を過ぎると本丸大芝生入口である。大芝生とその周辺には、江戸城本丸御殿の建物が立ち並んでいたが、本丸御殿は、表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていた。本丸大芝生入口前で左折、立ち入れないがその形が美しい富士見櫓を見た後に遊歩道を北上すると松の大廊下跡がある。ドンの愛称で知られる午砲設置跡がある本丸大芝生を北上し、北の外れの天守台に至る。坂を上り天守台の広場から見ると本丸大芝生の広さに驚き、北の北桔橋門、武道館が間近に見える。

 本丸の桃華楽堂横の道を進み、楽部庁舎、汐見坂門跡と過ぎて汐見坂を下り左折して石垣沿いに北上、右折して二の丸公園の都道府県の木へ進む。都道府県の木は北海道から順に南に下って木が植えられており、岩手県の南部赤松、山形県のさくらんぼ(西洋実桜)から始まり、宮崎県のフェニックスと続く。二の丸庭園には懸崖菊が飾られた諏訪の茶屋がある。
 東御苑の東端にある二の丸庭園は、小堀遠州が造り、3代将軍徳川家光が改修したが明治以降は荒廃していた。現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東御苑の公開で整備された。池の周囲の所々に紅葉した木々や滝があり、ガイドブック片手の西洋人観光客があちこちで写真を撮っていった。東御苑には騒々しくて傍若無人な中国人団体客がいないのが幸である。二の丸公園の南西角にある二の丸休憩所を過ぎ、白鳥濠に出て南下、百人番所前広場に戻り大手門から東御苑を出る。

 大手門から東御苑を出て大手門交差点で左折、大手濠沿いに内堀通りを北上し東京消防庁を過ぎて気象庁前交差点で左折する。気象庁前交差点には和気清麻呂の巨像と、震災いちょうがある。 称徳女帝時代の弓削道鏡による皇位簒奪を阻止したのが和気清麻呂で、関東大震災によって一面焼け野原となった都心にあって奇跡的に生き残ったのが震災いちょうである。紅葉し始めの桜並木を西進して平川門交差点に着く。
 大手濠に架かる平川橋を渡り、平川門(高麗門)から東御苑 に入り、平川濠、 天神濠と経て二の丸の梅林坂下広場で右折し梅林坂を上る。書陵部庁舎を過ぎて天守台の北側に出る。本丸は既に見ているので、そのまま北桔橋門から東御苑を出る。かなり高い場所にある北桔橋門から右の平川濠、左の乾濠を見つつ土橋を下り、代官町通りの向かいの北の丸公園入口に向かう。

 代官町通りには歩道がないのでみたけばし陸橋を渡り左側に下りる。紅葉の並木や首都高の代官町ランプを見つつ北の丸公園に入り、元輪王寺宮だった北白川宮能久親王銅像の先に赤レンガが美しい旧近衛師団司令部庁舎(現・東京国立近代美術館工芸館)がある。千鳥ヶ淵緑道の突き当りで左折、中の池沿いの散策路を歩き橋を渡って紅葉の欅、黄葉のイチョウなどが美しい大芝生広場を北上、日本武道館前で左折して田安門(高麗門)を抜けて桜並木の土橋に着く。
 北の丸公園の別の場所を見るため田安門から戻り、自衛隊音楽まつりが行われる日本武道館を通ると3体の自衛隊のゆるキャラが愛想を振りまいていた。入場待ちの長蛇の列が出来ており歩道を歩くことが出来ないので、反対側の歩道に出てレストハウス裏の木立にある近衛歩兵第一聯隊跡記念碑に立ち寄る。長蛇の列は途切れることもなく、目的の清水門から遠ざかるので入場待ちの列を横切りその奥の木立の道を進む。その道も入場待ちの列ができているが科学技術館手前で途切れていたので、吉田茂像を見た後清水門に向かう。清水門は歩行者用の整備が行われておらず、石段は歩きにくい。清水橋を渡り、千代田区役所前で左折、内堀通りへ出て老朽化で閉館となった九段会館を経て九段下駅に至る。


皇居 北の丸公園(H21−01−08)

 江戸時代の始め、北の丸公園辺りは関東総奉行内藤清成の屋敷となり代官町と呼ばれた。その後、享保16年(1731年)に八代将軍吉宗の次男徳川宗武(田安家)、宝暦8年(1758年)に九代将軍家重の次男徳川重好(清水家)がそれぞれ上屋敷を与えられた。昭和42年に整備され北の丸公園となった。

 東御苑の北桔橋門から出ると代官町通りの歩道橋の右手に赤レンガの旧近衛師団司令部庁舎があり、隣接する北白川宮能久親王銅像を見た後、科学技術館に向かう。北白川宮能久親王は、上野彰義隊戦争時の上野寛永寺の門跡である。メイン道路に戻り、すぐ右折して吉田茂像の前を進むと、御三卿の一つ、清水徳川家の屋敷があった清水門がある。メイン道路に戻り、そのまま横断して芝生広場に向かう。
 公園の西側に広がる芝生広場から、メイン道路沿いに西側にある散歩道を北上、木立の奥で分かりにくい所にある近衛歩兵第二聯隊記念碑(近歩二会)、武道館前売店手前の近衛歩兵第一聯隊跡記念碑(全国近歩一会)を見た後、武道館を経て田安門から靖国通りに出ると、靖国神社の大鳥居が近い。田安門は、御三卿の一つ、田安徳川家の屋敷があった。

初春の北の丸公園(H19−03−10)

 内堀通りを歩き、千代田区役所の先に御三卿の一である清水家があった清水門から北の丸公園に入る。急な古い石段を上ると目の前に科学技術館があり、吉田茂像脇を通って北の丸公園の木立の中を歩くと、旧近衛師団の歩兵第一連隊、第二連隊記念碑があり、日本武道館を経て田安門を出て靖国神社に向う。

雪の北の丸公園(H17−03−05)

 前日に降った雪は、東御苑では残っていたが、北の丸公園は多くの人が来るためか、僅かな残雪しかなかった。田安門の桜並木にかかる雪がきれいである。




 
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