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万歩計



(From H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


東京・横浜の名園

 都心の日比谷公園を始め、皇居東御苑や北の丸公園、芝離宮、浜離宮、新宿御苑、明治神宮外苑、井の頭公園、有栖川宮記念公園と言った皇室所縁の庭園を掲載。
 徳川光圀が完成させた小石川後楽園、豪商紀伊国屋文左衛門の別邸と言われる清澄庭園、5代将軍綱吉の側用人だった柳沢吉保が設計した六義園、明治の元勲陸奥宗光の別邸だった旧古河庭園と歴史ある名園が東京には多い。
 横浜にも、山下公園、港の見える丘公園、イタリア山公園や元町公園と風情のある公園があり、本牧には大きな日本庭園の三溪園がある。
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赤字は最近全面改訂
01 日比谷公園 02 皇居 東御苑
03 皇居 北の丸公園 04 新宿御苑
05 旧芝離宮恩賜公園 06 浜離宮恩賜公園
07 井の頭恩賜公園 08 明治神宮外苑
09 小石川後楽園 10 清澄庭園と清澄公園
11 六義園・旧古河庭園 12 有栖川宮記念公園
13 猿江恩賜公園    
14 王子 飛鳥山公園、名主の滝公園、音無親水公園  
15 等々力渓谷公園     
   
21 横浜 山下公園 22 三溪園、本牧・根岸界隈
23 横浜 港の見える丘公園、元町公園、イタリア山庭園
24 横浜 掃部山公園、野毛山公園    

日比谷公園 

日比谷公園というと、内幸町交差点の幸門から入り、日比谷公会堂、第二花壇(大花壇)、大噴水を経て日比谷門から帝国ホテルに抜けるコースが一般的ではないか、と思うが、第一花壇はどこにあるのか、とか三笠山、菊花展会場の草地広場、アメリカ独立時のリバティ・ベルを模した自由の鐘(実物にはあった割れ目はないが)など意外なものが結構ある。

皇居 東御苑 

 東御苑への入口(大手門、平川門、北桔橋門)で最もポピュラーな大手門から入る。入ってすぐに皇室の美術品類が収められた三の丸尚蔵館があり、城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていた番所が同心番所、百人番所、大番所と続く。百人番所前の広場の先には吹上御苑との間の扉があるが、天皇誕生日には一般参賀の後、この扉から大手門へ出る帰りのルートになっている。
 中之門、中雀門を経て本丸大芝生に至る。本丸大芝生に入ると、正面奥に天守台と、桃華楽堂が望見される。入ってすぐ左手木立の奥に富士見櫓がある。危ないので近づけないが、一般参賀の時は吹上御苑側から蓮池濠に聳え立つ姿は見事である。大芝生の右手西側沿いの木立の中に、赤穂義士で有名な松の大廊下跡があるが、分かりにくい。徳川秀忠の時に造られた天守閣は、明暦の大火(振り袖火事)で焼失後、再建されていない。天守台の右には、香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂の桃華楽堂がある。天守台の北にある北桔橋門から出ると、北の丸公園に出る。  平川橋を渡り、平川門から東御苑に入る。天神濠に沿って歩くと、6分咲きのものもある梅林に着き、右折して梅林坂を上ると、本丸の天守台の裏、北桔橋門傍に出る。天守台と、桃華楽堂の間の道を歩き、本丸大芝生の手前で左折して汐見坂を下り、二の丸の白鳥濠に至る。
 大手門から入ってすぐの百人番所との境から歩き始め、昭和天皇の発意から整備された武蔵野の面影を残す二の丸雑木林を経て、滝もある回遊式の二の丸庭園を散策する。諏訪の茶屋を過ぎると、都道府県の木があり、広島のモミジや、茨城の梅などの県木が植えられている。梅林、天神濠を経て、平川門から内堀通りに戻る。

皇居 北の丸公園 

 東御苑の北桔橋門から出ると代官町通りの歩道橋の右手に赤レンガの旧近衛師団司令部庁舎があり、隣接する北白川宮能久親王銅像を見た後、科学技術館に向かう。北白川宮能久親王は、上野彰義隊戦争時の上野寛永寺の門跡である。
 メイン道路に戻り、すぐ右折して吉田茂像の前を進むと、御三卿の一つ、清水徳川家の屋敷があった清水門がある。メイン道路に戻り、そのまま横断して芝生広場に向かう。
 公園の西側に広がる芝生広場から、メイン道路沿いに西側にある散歩道を北上、木立の奥で分かりにくい所にある近衛歩兵第二聯隊記念碑(近歩二会)、武道館前売店手前の近衛歩兵第一聯隊跡記念碑(全国近歩一会)を見た後、武道館を経て田安門から靖国通りに出ると、靖国神社の大鳥居が近い。田安門は、御三卿の一つ、田安徳川家の屋敷があった。

新宿御苑 

 新宿御苑は、新宿の内藤家跡地で、58.3haの広さがあり、新宿、代々木、千駄ヶ谷、四谷の各駅を結ぶ中にある広大な庭園である。新宿2丁目の新宿門から入り、右手の日本庭園に進む。昭和天皇御成婚を祝って創られた旧御涼亭を見つつ、大きなヒマラヤ杉があり綺麗な芝生が広がるイギリス風景式庭園に到る。千駄ヶ谷駅近くのフランス式整形庭園は如何にも西洋風庭園と言う感じで、バラの季節は見事である。新宿通り沿いの温室も一見の価値があり、見た後に大木戸門から出て、四谷4丁目交差点に着く。

 さらに8年後(平成23年)に紅葉、黄葉をテーマに新宿御苑を訪れた。新宿門前の木々の紅葉、黄葉も見事だが、苑内も美しいので立ち寄ることにした。北側の木々がきれいに紅葉し、三脚や望遠レンズ付きカメラで撮影する人が多い。南側には枯れ芝生が広がり、それと紅葉、黄葉した木々との色の対比が素晴らしい。建て替え中の温室や、玉藻池を過ぎ、大木戸門から出る。苑内にはイチョウ並木が少ないので、御苑北側の散策路で新宿門方向に歩くと、中間付近にきれいに黄葉したイチョウの巨木の並木が続く。

旧芝離宮恩賜公園 

 旧芝離宮恩賜公園は、4代将軍徳川家綱から老中大久保加賀守忠朝が下屋敷として拝領したのを初めとし、現存する大名庭園としては最古である。浜松町駅から東の海側に少し歩いた所にあり、近くにある浜離宮に比べかなり小さく、入口で一望できる。庭園内の大きな池を一周しながら景色を楽しむことが出来る。

浜離宮恩賜公園 

 浜離宮恩賜公園は徳川6代将軍の家宣の時に浜御殿となり、11代の家斉の時に今の姿となった。汐留シーサイトの近くに正門があり、海岸通り沿いに浜松町までと、新大橋通り沿いに築地市場に到る大きな海浜庭園である。浅草とお台場を結ぶ水上バスは浜離宮に寄港し、海水を取り入れた潮入の池を中心に、中島の御茶屋、富士見山などで構成されている。

井の頭恩賜公園 

 井の頭恩賜公園は、吉祥寺通りを挟んで西に井の頭自然文化園、東に弁財天や、井の頭池がある井の頭公園で構成されている。井の頭自然文化園は有料で、入るとすぐに小学校低学年や幼稚園の学童で賑わう動物園がある。
 その南には、「若き日の織田信長像」、「怪傑日蓮」、「加藤清正公」など多くのブロンズ像が屋外展示されている彫刻園がある。彫刻館A館には、長崎の平和祈念像の原型が展示されており、その手前には、野口雨情の旧書斎の童心居がある。
 歩道橋を渡って井の頭公園に行くと、神田川の源流で、善福寺池、三宝寺池と並び豊富な湧水で有名な井の頭池が目に入る。展示されている。井の頭池は神田川となり、両国手前の柳橋を経て隅田川に注ぐ。井の頭池には弁財天がある。

明治神宮外苑 

明治神宮外苑は、明治天皇・昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えるため、広く国民により募った寄付と、全国の青年団による勤労奉仕によって造成され、大正15年に明治神宮に奉献された。
秋の風物詩でもある鮮やかに黄葉したいちょう並木ではいちょう祭りが開かれ、青山通りから遠くに絵画館の丸いドームが見える。40年前の東京オリンピックのメーン会場だった国立競技場、早慶戦の神宮球場、最近は早稲田が伝統のバックスだけでなく、強力フォワードが敵陣を蹴散らす秩父宮ラグビー場を始め、多くの運動施設がある。

小石川後楽園 

水戸徳川家上屋敷に藩祖徳川頼房が着手、徳川光圀が完成させ、徳川斉昭が手を加えた。明末の儒者朱舜水を登用し、中国趣味を取り入れた回遊式築山泉水庭園である。入口は西側にあり、東京ドームの反対側にある。後楽園遊園地の近く以外は都会の喧騒も無く、大泉水、西行堂、駐歩泉、竜田川、蓬莱島、八つ橋、円月橋などがある。

清澄庭園と清澄公園 

清澄庭園は江戸の豪商紀伊国屋文左衛門の別邸と言われ、関宿の城主久世大和守の下屋敷を経て明治になり、三菱財閥の岩崎彌太郎が深川親睦園として買い取り、その後隅田川から水を引いて大泉水を作ったりした。関東大震災で避難場所としての価値に注目され、岩崎家から東半分を東京市に寄付された。戦後に西半分も清澄公園となった。

六義園・旧古河庭園 

 六義園は5代将軍徳川綱吉の側用人の柳沢吉保が設計した回遊式築山泉水庭園の大名庭園で、岩崎弥太郎の別邸の後、昭和13年に東京市に寄付された。宜春亭、心泉亭、妹山・背山、吹上茶屋、枝垂れ桜などが有名。

 明治の元勲陸奥宗光の別邸だった旧古河庭園は、武蔵野台地の斜面と低地と言う地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴である。心字池、大滝などがある。

有栖川宮記念公園 

旧盛岡藩南部家の下屋敷で、明治に入り有栖川宮家御料地となった。同家が途絶えたため高松宮家のものとなったが、昭和9年(1934年)に有栖川宮威仁親王の20周忌に公園用地として賜与された。
公園には東京メトロ(旧営団)日比谷線の広尾駅を出て、広尾橋交差点から行くのが分かりやすいが、六本木ヒルズにも近い。

猿江恩賜公園 

 ここは幕府直轄の貯木場であったところで、明治時代に宮内省の御用貯木場となり、昭和天皇の御成婚記念に東京市に払い下げられたものと、旧猿江貯木場跡地を公園として整備して出来た。新大橋通りで南北に分断され、南側地区は木立に囲まれ、青色の紫陽花がきれいに咲く日本庭園で、北側は草原が広がる普通の公園である。新宿御苑や、井の頭公園などの他の恩賜公園のような規模はない。

王子 飛鳥山公園、名主の滝公園、音無親水公園 

 飛鳥山公園は南北に長く、東はJR京浜東北線の線路、西は本郷通り、北は王子駅に向かう明治通りが境界になっている公園である。本郷通りの南西の入口から入ると、明治の財界人渋沢栄一邸の遺構(晩香廬・青淵文庫)が残り、記念の資料館や、王子製紙関連などの3博物館がある。北に進むと昔ながらの遊具が並ぶ遊園地や、徳川吉宗が植えさせたという桜並木が続く。公園内には様々な石碑が建てられており、文章や字体が難解で読めないことで有名な飛鳥山碑などがある。

 名主の滝公園は、江戸時代に名主の畑野孫八が湧き水を利用して開いたのが始まりで、正門と、王子駅に近い医王門から入れ、無料で多くの人が観光している。王子駅に近いのに閑静で、うっそうとした木立で囲まれた庭園で、独鈷の滝、女滝とあるが、特に轟々とした水音の男滝が見事である。

 音無親水公園は、王子駅西口(親水公園口)に隣接し、木立に囲まれた音無川に沿って整備されている。

 毎年大晦日、関東一円の狐が装束稲荷神社に立っていた榎の元に集まり装束を整え、関東総社である王子稲荷神社へ正月の挨拶をしたという伝説が残る。「装束榎」と呼ばれた榎は2代目となり、装束稲荷神社と装束榎の碑が残る。

等々力渓谷公園 

 飛鳥山公園は南北に長く、本郷通りの南西の入口から入ると、明治の財界人渋沢栄一邸の遺構(晩香廬・青淵文庫)が残り、記念

横浜 山下公園 

山下公園は横浜を代表する公園であり、中華街に隣接する。みなとみらい線が出来て非常に行きやすくなった。入ると左に大桟橋、右にベイブリッジが遠望される。公園には童謡「赤い靴を履いた女の子」像がある事でも有名だが、隠れた悲話が麻布十番にあり、写真を撮る人も多い。戦前の北太平洋航路の豪華客船氷川丸が係留され、反対側には横浜中華街のマリンタワーがある。

三溪園、本牧・根岸界隈 

三溪園は本牧通り沿いにあるものの、根岸駅や横浜駅からバスに乗って行かないと難しい。三溪園は生糸貿易で財を成した原三溪が京都、鎌倉などの価値ある建築物を移築し、明治39年に一般公開した。旧居の鶴翔閣、西方寺の薬医門だった御門、旧燈明寺之三重塔、三溪園名物の花暦である白い睡蓮や、さつき展などがある。

本牧市民公園は三溪園の南にあり、境となる切り立った崖は高い。公園には上海横浜友好園があり、湖心亭や玉蘭庁と言った中国様式の建物が際立つ。三溪園周囲を廻り、法隆寺の夢殿を模した八聖殿を経て、新本牧公園、本牧寺を通って、本牧山頂公園に着く。本牧山頂公園からは本牧が一望できる。

根岸森林公園は日本で洋式競馬発祥の地といわれている旧根岸競馬場の跡地の一部を整備したものである。山元町5丁目交差点入口から入り、坂を下ると池があり、その先に芝生広場が広がる。途中で左折、馬の博物館へ向かい、放牧場、馬の博物館を過ぎて根岸競馬記念公苑正門から右折、横浜駅根岸道路(市道80号)へ出て南下する。

横浜 港の見える丘公園、元町公園、イタリア山庭園 

 堀川に架かる谷戸橋を渡ると、ファッションなどで有名な元町商店街のモニュメントが見え、元町通りを西進してJR石川町駅手前の標識に従って細道の坂を上り、イタリア山庭園に向かう。イタリア山庭園の北側にブラフ18番館があり、同じ敷地の南側に外交官の家がある。カトリック山手教会の司祭館だったブラフ18番館からは、名門の横浜山手女子高校や、フェリス女学院、ベイブリッジなどが見える。外交官の家は、明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅だった。
 尾根伝いの山手本通りを歩き、観光地化していないカトリック山手教会の反対側に名門の横浜山手女子高があり、少し先にはフェリス女学院がある。生糸貿易商の邸宅だったエリスマン邸がある元町公園の手前にはイギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅だったべーリック・ホールがあり、公園の反対側には横浜雙葉学園がある。山手本通りが道なりに左に曲がると、元町公園に隣接して外人墓地があり、墓地の前でまた右に曲がると正面に港の見える丘公園がある。
 港の見える丘公園はひょうたん形で、くびれた部分が入口で、反対側がベイブリッジがよく見える展望台である。幕末の動乱に居留民を守るためひょうたんの下側は英軍が、上は仏軍が駐屯したことから、英国総領事公邸だったイギリス館、イギリスの国花を植えたローズガーデン、フランス領事官邸遺構などがある。フランス山を下り、みなとみらい線の元町・中華街駅に至る。

 逆に港の見える丘公園のフランス山に入り、パルタール広場から階段で結構長くて急な坂を上り、フランス領事官邸遺構を経て展望台に着く。展望台から青空に映えるベイブリッジを見て、大島桜が咲き、南に広がるローズガーデンに進む。横浜市イギリス館や、噴水、山手111番を見た後、満開の立派な桜の古木がある神奈川県近代文学館に向かう。その先にも満開の桜の木々があり、大佛次郎記念館から沈床花壇に入り、左の満開の桜の木々を見つつ、ローズガーデンを経て港の見える丘公園前交差点から出て、山手本通りへ向かう。
 山手外人墓地の門が開いており、見物用の小空間から満開の桜が咲く山手外人墓地を堪能する。山手本通りを歩き、元町公園に向かうが、入口付近だけの散り始めた桜の木々を見た後、道を戻り、港の見える丘公園前交差点で左折、谷戸坂に進む。かなり散っている桜の木々を見つつ、谷戸坂を下り、突き当りを左折して元町・中華街駅に着く。

横浜 掃部山公園、野毛山公園 

 掃部(かもん)山公園一帯は、井伊家の所有となった後に横浜市に寄贈され、公園として公開された。北入口(岩亀横丁口)から掃部山公園に入り、坂を上ると満開の桜並木の自由広場(児童遊園地)である。その先の銅像広場には井伊掃部頭(かもんのかみ)像があり、左の道を歩き、横浜能楽堂へ向かう。
 横浜駅根岸道路の野毛坂交差点で右折、西区歴史街道の案内を見た後、横浜市中央図書館を経て、野毛山公園入口に着く。
 野毛山公園を動物園に向かって歩き、桜が何本か咲いて芝生があるだけの芝生広場には、俳人中村汀女の碑があり、佐久間象山顕彰碑を過ぎて、野毛山公園交番前交差点で右折、大都会の動物園で入場無料は珍しい野毛山動物園入口に着く。帰りは公園の外周を歩き、野毛坂交差点で横浜駅根岸道路を渡り、野毛坂通りへ進む。





 
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