猿楽通り〜錦華通り〜神保町交差点
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錦華通り 七色旗 錦華通りは靖国通りの三省堂の向かいの小路で、斜め左に入っていく。交差点名は無く、以前は角に住友銀行があったが今は無く、片道1車線なのでしっかり付いていかないと分り難い。 |
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錦華通り 一の宮鳳輦(大己貴命) | |
錦華通り | |
錦華通り 一の宮鳳輦(大己貴命) | |
錦華通り 巫女、乙女(市女笠) | |
錦華通り 二の宮鳳輦(少彦名命) | |
錦華通り 二の宮鳳輦(少彦名命) | |
錦華通り 三の宮鳳輦(平将門命) | |
錦華通り 三の宮鳳輦(平将門命) | |
猿楽通り 錦華通りに入って100mほど進んで右折し、猿楽通りを進む。 |
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猿楽通り 三の宮鳳輦(平将門命) | |
猿楽通り 錦華公園脇にある夏目漱石の碑 | |
猿楽通り 鳳輦を迎える猿楽町の氏子 | |
猿楽通り 東京音楽大学発祥の地 猿楽通りに沿って西側の錦華通りに向かう直前で、明大付属中高校の手前にある。東京音楽大学は、旧東洋音楽学校と言い、明治40年にこの地に設立された。 |
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猿楽通り 東京音楽大学発祥の地 | |
猿楽通りを左折、錦華通りへ | |
錦華通り 二の宮鳳輦(少彦名命) | |
錦華通り 一の宮鳳輦(大己貴命) | |
靖国通り(神保町) 三省堂前の交差点を右折、靖国通りに戻る。 |
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靖国通り(神保町) 町会の法被案内 神田祭に各町会が着る法被に合わせた町の紹介である。全てではないが、神田須田町一丁目などあちこちにある。 江戸時代、この界隈には武家屋敷が立ち並んでいました。そこに表神保町、裏神保町などの町が誕生したのは、明治五年(1872)のことです。町名の由来は、元禄年間(1688〜1704)のころ旗本の神保長治が広大な屋敷をかまえ、そこを通っていた小路が「神保小路」と呼ばれるようになったためといわれています。 |
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靖国通り(神保町) 神保町交差点手前で町会は神保町一丁目に替わる。法被は町会の案内と同じである。 |
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神保町交差点 鼻高面(猿田彦) 今回で3回目の神幸祭だが、一つ歯の高下駄で平然と歩く姿にはいつも感心する。 |
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神保町交差点 神田囃子 この神田囃子も淡路町交差点ではなかった。 |
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神保町交差点 諫鼓山車 大黒様と恵比寿様が愛想良く福を授けていた。 |
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神保町交差点 獅子頭山車 | |
神保町交差点 七色旗 | |
神保町交差点 一の宮鳳輦(大己貴命) | |
神保町交差点 一の宮鳳輦(大己貴命) |
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