上野〜秋葉原〜日本橋
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神田明神 神幸祭(H17−05−14) | ||
旧東海道 品川〜日本橋散策(H19−02−04) |
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JR 上野駅 中央改札口 | |
JR 上野駅 広小路口 | |
アメ横 10時前なのに結構観光客が出ていた。買い物はせずに、アメ横見物なので、いつもの活気は無かった。 |
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アメ横 | |
JR 御徒町駅 | |
上野広小路交差点で左折、中央通りへ 上野広小路交差点は、中央通りと春日通りとの交差点である。 |
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外神田5丁目交差点で蔵前橋通りを渡る | |
再開発された秋葉原 東京タイムズ・タワーで、山手線に沿って中央通りの裏側は再開発され、高層ビルがいくつも建てられている。つくばエクスプレスもこの一環である。 |
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秋葉原にドンキホーテが出店 時代の流れを感じさせる。「安売り」が売り物といっても、電気には関係ない業種である。 ちなみに、黄色の看板の上の左側は時刻(10:12)、右は温度(19.8℃)である。5月2日でこの温度である。 |
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再開発された秋葉原 秋葉原UDXビルである。 |
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秋葉原電気街 | |
再開発された秋葉原 手前から秋葉原ダイビルと、秋葉原UDXビルで、電気街口の再開発で出来た。秋葉原駅は駅ビルのデパートも老朽化しており、地盤沈下がひどかった。 |
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JR 秋葉原駅 電気街口 老朽化が著しいデパートは再開発の準備中である。 |
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神田祭のポスター 神田明神の天下祭は日枝山王社と隔年で行われており、今年(平成19年)の5月12日に神幸祭が行われる。10日後であり、三越本店ではその準備が行われている。 |
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万世橋を渡る 橋を渡った左のビルは「肉の万世」本店で、写真には写ってないがその反対側に閉館され、埼玉に移転中の交通博物館がある。 |
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須田町交差点で靖国通りを渡る 中央通りを南下し、神田に向う。 |
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神田須田町一丁目案内板 独特の形をしており、須田町交差点を渡ってすぐの所にある。 江戸の町の整備が本格的に始まったのは慶長年間(1596〜1615)に入ってからのことです。それまで、須田村と呼ばれていた神田川周辺も農村から町人の町に生まれ変わりました。しかし、、昔からの地名は残されたようで、明暦三年(1657)の「新添江戸之図」には「すた町」と記されています。 江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とだいたい同じ範囲を指 していたようです |
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JR 神田駅 | |
中央通り 十軒店跡 十軒店は雛市の立つ場所として知られていました。『寛永江戸図』に「十間たな」と記された、石町二・三丁目と本町二・三丁目に挟まれた小さな町で、日本橋通りの両側に面していました。江戸時代の初め、桃の節句・端午の節句に人形を売る仮の店が十軒あったことから、この名があるともいわれています。 |
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中央通り 日本橋三井タワー 三井グループの総力を揚げた日本橋再開発のシンボルでもある。 |
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中央通り 三越本店 | |
中央通り 三越本店 10日後に控えた神田明神の神幸祭では三越で新たな山車が加わったり、相馬野馬追いの騎馬武者が参加する。その時の小屋の準備である。 |
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中央通り 日本橋 | |
中央通り 日本橋高島屋 | |
中央通り 日本橋丸善 40年前の学生時代、特に大学院生時代に丸善で専門書や洋書を買い、中央通りの真向かいにある高島屋で食事をするのがコースだった。 |
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中央通り 日本橋界隈 |