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護国寺散策

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護国寺 惣門 護国寺 惣門 

不忍通りの護国寺前交差点手前にひっそりとある。
護国寺 惣門 護国寺 惣門 

この惣門は、護国寺の方丈への軸線上にあり、寺院の門と共に住宅の門 という、性格をあわせもっている。形式は、社寺系のものではなく、江戸時代武家屋敷門の五万石以大の大名クラスの、格式に相当する形式と偉容をもっている。当寺が幕府の厚い疵護のもとで、高い格式を保持した歴史を反映している。大名屋敷表門で現存するものは、いずれも江戸時代後期のものであるのに対して、この門は、中期元禄年間のもので、特に貴重な文化財である。
護国寺 桂昌殿 護国寺 桂昌殿 

徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院に因んでいる。
護国寺 境内案内 護国寺 境内案内 
護国寺 突き当たりの参道で右折 護国寺 突き当たりの参道で右折 

左折すると仁王門で、その先が不忍通りの護国寺前交差点である。
護国寺 境内案内図 護国寺 境内案内図 
護国寺 水屋、不老門 護国寺 水屋、不老門 
護国寺 水屋 護国寺 水屋 

唐銅蓮葉形手洗水盤 一対二基

 この手洗水盤は、江戸幕府五代将軍徳川綱吉公の御生母桂昌院殿一位尼公より御寄進である。
 当山の縁起伝承と明治末期から昭和初期の鋳金家・金工史家香取秀真氏の調査記録に、元禄十年(一六九七)頃に鋳造され、江戸鋳物師椎名伊予良寛の製作と記載されている。
 この手水舎は、江戸時代後期に刊行された「江戸名所図会」にも描かれており、江戸元禄期から明治大正期には当山境内の湧水を利用する大変珍しい自噴式手洗水盤でした。
 この度、篤信の御方より浄財を賜り改修復元する事が出来ました。
 元禄期より観音さまの加護を求め、この参道を歩む大勢の参詣者に親しまれた手洗水盤にて身心を清め、御本尊さまへお参り下さい。
護国寺 水屋 護国寺 水屋 
護国寺 不老門 護国寺 不老門 
護国寺 本堂(重要文化財) 護国寺 本堂(重要文化財) 

真言宗豊山派の大本山。天和元年(1681)、徳川5代将軍綱吉が生母桂昌院の願いにより創建し、後に将軍家の武運長久を祈る祈願寺となった。元禄時代の本堂、近江三井寺より移築された月光殿は、ともに国の重要文化財に指定されているほか、仁王門、惣門など創建当時を偲ばせる堂宇が数多くある。
明治期以降は著名人等の墓所となり、三条実美、山縣有朋、田中光頭、大隈重信などが眠る。
護国寺 本堂脇の枝垂れ桜 護国寺 本堂脇の枝垂れ桜 
護国寺 山縣有朋の墓 護国寺 山縣有朋の墓 

有名人の墓は観光客の目にさらされないよう、奥まった所にあるか、反対に案内板を立てているかが普通である。護国寺は案内板は無いが、本殿の右脇に固まり、いかにも有名人の墓、と言う感じで並んでいる。
護国寺 山縣有朋の墓 護国寺 山縣有朋の墓 

ちょうど一ヶ月前の東日本大震災で倒壊したと思われる灯篭が放置されている。
護国寺 田中光顕の墓 護国寺 田中光顕の墓 
護国寺 大隈重信の墓 護国寺 大隈重信の墓 

山縣有朋同様、灯篭が倒壊している。
護国寺 山縣有朋、大隈重信などの墓所 護国寺 山縣有朋、大隈重信などの墓所 

何故か大隈重信の墓には鳥居が立っている。墓所には桜の木が満開である。
護国寺 三條公神道碑 護国寺 三條公神道碑 

三條実美の墓の前に立つ石碑である。色々書かれているが、三條実美の先祖からの来歴が記されている。
護国寺 三條実美の墓 護国寺 三條実美の墓 
護国寺 三條実美の墓 護国寺 三條実美の墓 

墓には「実美」の字はなく、内大臣正一位大勲位三條公之墓となっている。
護国寺 月光殿(重要文化財)、多宝塔 護国寺 月光殿(重要文化財)、多宝塔 

右の月光殿は、近江三井寺より移築された。
護国寺 仁王門 護国寺 仁王門 
護国寺 仁王門 護国寺 仁王門 



 
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