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日比谷通り 芝公園交差点
芝園橋を渡った所にある交差点である。 |
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芝公園 案内図
芝公園(緑色のブロック)の右端の縦方向が日比谷通りで、左端が桜田通り(国道1号線)である。日比谷通り側の中央に芝増上寺がある。
一目で芝公園が芝増上寺の境内だったことが分る。 |
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都営 三田線 芝公園駅
芝公園交差点を少し北上した所にある。 |
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芝公園 芝東照宮
日比谷通り沿いにあり、参道は駐車場となっている。 |
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芝公園 芝東照宮 |
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芝公園 芝東照宮 大イチョウ
芝東照宮は、以前は増上寺安国殿と呼ばれ、『江戸名所図会』にもその姿が見られる。明治の神仏分離によって増上寺から切り離され、東照宮となった。このイチョウは、寛永十八年(一六四一)安国殿の再建に際し、三代将軍徳川家光が植えたものと伝えられている。
昭和五年(一九三〇)に史蹟名勝天然記念物保存法に基づいて国の天然記念物第二類(地方的なもの)として指定されたが、昭和二十七年に文化財保護法が改正された時、国指定は一旦解除され、その後昭和三十一年に東京都の文化財保護条例に基づき指定し直され現在に至っている。平成五年(一九九三)の調査では、高さ約二一五メートル、目通り幹囲約六.五メートル、根元の周囲が約八.三メートルある。 |
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芝公園 芝東照宮 大イチョウ |
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芝公園 芝東照宮 |
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芝公園 芝東照宮 |
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芝公園
芝東照宮と増上寺との間の芝公園は整備されて鮮やかな緑の芝生となっている。 |
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重要文化財 芝増上寺 旧台徳院霊廟惣門
台徳院とは、2代将軍徳川秀忠の院号である。修築工事を終えた鮮やかな朱色の門である。 |
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重要文化財 芝増上寺 旧台徳院霊廟惣門 |
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重要文化財 芝増上寺 旧台徳院霊廟惣門
木造仁王像 二躯
重要文化財「旧台徳院霊廟惣門」の左右に安置されている寄木造り、砥粉地彩色の仁王像で、方形の台座に乗った岩坐の上に立っています。
平成十六年から十七年に行われた修理の際に、体内から修理銘札が発見され、元は埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川ロ市西立野)の西福寺(真言宗)仁王門に安置されていたもので、寛政元年(一七八九)、弘化三年(一八四七)のニ度にわたり修理が行われていることがわかりました。さらに安政二年(一八五五)の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、昭和二十三年(一九四八)、同寺三重塔の修理と同時期に三度目の修理が行われた後で、東京浅草寺に移されたことも記載されています。その後の経緯は詳らかではありませんが、昭和三十三年ごろまでにはこの惣門に安置されたと考えられます。
本像は十八世紀前半までには江戸の仏師によって制作されたと推測され、江戸時代の仁王像として破綻のない作行きを示す貴重な作品です |
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芝増上寺 三解脱門
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芝増上寺
開山は、およそ五九〇年前の明徳四年、由緒ある古刹です。後の天正年間、家康公が江戸入府の際に当時の住職・普光観智国師存応大僧正に深く帰依されたのをきっかけに、将軍家の菩提寺として、筆頭学問所として、浄土宗行政の中枢機関として、その揺ぎない地位を保ってきました。明治の新政府誕生までは、寺領一万石余り、二十数万坪の境内地、山内寺院四十八宇、学寮百数十軒、常時三千名の僧侶が修学する大寺院でした。
現在でも浄土宗の大本山として、東京を代表する由緒寺院の格式を保っています。また、建造物、古文書、経典など文化財の宝庫として知られています。 |
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芝増上寺 三解脱門 |
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芝増上寺 三解脱門
慶長十六年(一六一一)、徳川家康公の助成により、幕府の大工頭・中井大和守の配下によって建立されたもので、重要文化財の指定を受けている。略称を三門といい、貪欲・瞋恚・愚痴の三悪(三毒)を解脱するという意味からこの名がある。間口・十間余(約19m)、奥行五間(約9m)、高さ七丈(約21m)の二層建てで、左右に三間(5.4m)の山廊を有している。様式は、組み物などは唐様を中心とし、勾欄などに和様、天竺様が加味されている。楼内には慶長から元和年間にかけて京仏師によって作られた釈迦三尊像、十六羅漢像などが安置されている。 |
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日比谷通りを北上
左側奥に東京プリンスホテルが見える。 |
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芝公園 東京プリンスホテル |
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芝増上寺 有章院霊廟 二天門 |
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芝増上寺 有章院霊廟 二天門
有章院とは、7代将軍徳川家継の院号である。修築された旧台徳院(徳川秀忠)霊廟惣門との違いは歴然としている。 |
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日比谷通り 御成門交差点 |
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都営 三田線 御成門駅 |