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(From H14-10-28)

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於岩稲荷、於岩稲荷田宮神社

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外苑東通り 四谷警察署交差点 外苑東通り 四谷警察署交差点 

四谷怪談の於岩稲荷は一方通行の住宅街にあり、分かりにくい場所にある。道案内は四ツ谷から新宿通りを新宿に向かって歩くことを想定している。
新宿通りの四谷三丁目交差点で左折、外苑東通りへ入り南下してすぐの交差点である。
外苑東通り 創価学会 戸田記念国際会館 外苑東通り 創価学会 戸田記念国際会館 

外苑東通りは信濃町駅前の本部を始め、創価学会の施設が並ぶ。
外苑東通り 左門町交差点で左折 外苑東通り 左門町交差点で左折 

一方通行の狭い道に入る。
顕性寺前で左折、住宅街へ 顕性寺前で左折、住宅街へ 

目標となる顕性寺の左手の住宅街の小道に入る。入ってすぐに右手の於岩稲荷と、左奥の於岩稲荷田宮神社の赤い幟が見える。
於岩稲荷 於岩稲荷 
於岩稲荷 於岩稲荷 

江戸時代、文政八年七月歌舞伎戯作者四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に喧伝され、於岩様庶民の畏敬を受け当山その由縁の所として現在に至ったが戦災に遭い協議の上本堂を栃木下野から薬師堂を移築再建した棟札には宝暦七年とある。於岩様の戒名は徳證院妙年日正大姉、墓は元鮫ヶ橋にあったが現在は移転し巣鴨新庚申塚にある。当堂内には於岩様御尊像奉祀され参拝者祈願の対象となり境内には由縁の井戸、再建記念碑等がある。
於岩稲荷 於岩稲荷 

お岩稲荷霊堂再建記念碑で、本堂が戦災に遭って焼失したため、栃木の薬師堂を移築、再建した。
於岩稲荷 於岩稲荷 
於岩稲荷田宮神社 於岩稲荷田宮神社 

於岩稲荷の斜め向かいにある。
於岩稲荷田宮神社 於岩稲荷田宮神社 
於岩稲荷田宮神社 於岩稲荷田宮神社 

 文化文政期に江戸文化は爛熟期に達し、いわゆる化政時代を出現させた。「東海道四谷怪談」の作者として有名な四代目鶴屋南北〔金井三災の門人で幼名源蔵、のち伊之助、文政十二年(一八二九)十一月二十七日歿〕も化政時代の著名人である。「東海道四谷怪談」の主人公田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)の妻お岩を祭ったお岩稲荷神社の旧地である。物語は文政十年(一八二七)十月名主茂八郎が町の伝説を集録して、町奉行に提出した「文政町方言上」にある伝説を脚色したものである。明治五年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、昭和二十七年再びここに移転したものである。
於岩稲荷田宮神社、於岩稲荷 於岩稲荷田宮神社、於岩稲荷 

住宅街の中にあり、手前右に於岩稲荷田宮神社、奥左に於岩稲荷がある。
突き当りを左折 突き当りを左折 
右折して外苑東通りへ 右折して外苑東通りへ 

外苑東通りに出てすぐ左手に四谷警察署交差点がある。
外苑東通り 四谷三丁目交差点で左折、新宿通りへ 外苑東通り 四谷三丁目交差点で左折、新宿通りへ 



 
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