新撰組 点描
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新撰組隊長 近藤勇墓所 新撰組隊長 近藤勇墓所 

板橋駅を出て北進、すぐの踏切を渡って右側に見える。板橋駅東口前にあるので、墓所が目的なら、こちらからの方が良い。
近藤勇、土方歳三供養碑 近藤勇、土方歳三供養碑 

慶應4年(1868年)4月25日、近くの板橋一里塚で処刑された新撰組局長近藤勇と、副長の土方歳三の供養碑である。明治9年(1878年)に隊士の一人永倉新八が発起人となって建立された。
近藤勇像 近藤勇像 
新撰組 永倉新八の墓 新撰組 永倉新八の墓 
近藤勇と新撰組隊士供養塔 由来書 近藤勇と新撰組隊士供養塔 由来書 
新撰組ブームにあやかろうとする幟 新撰組ブームにあやかろうとする幟 

今年(平成16年)の大河ドラマにあやかろうとしている。名前は知らないが、道路は巣鴨地蔵通りへと続く。
伝通院 伝通院 

徳川家康の生母お大を葬った寺で、豊臣秀頼の妻千姫など徳川家所縁の女性の墓がある。新撰組の前身浪士組を結成し、後に暗殺された清岡八郎や、詩人の佐藤春夫などが眠る。
処静院跡の石柱 伝通院 処静院跡の石柱 

文久3年(1863年)、塔頭の一つ処静院で京都の治安維持を目的に浪士組の結成大会が開かれた。
処静院跡の石柱 処静院跡の石柱 
処静院跡の碑 処静院跡の碑 
処静院跡の碑 処静院跡の碑 
清岡八郎の墓 清岡八郎の墓 
清岡八郎の墓 清岡八郎の墓 
開催中の新撰組展 江戸東京博物館 開催中の新撰組展 
甲州街道 新撰組フェスタの幟 甲州街道 新撰組フェスタの幟 

調布市が行っており、神代植物公園や深大寺周辺の会場で開催されている。
京王線 つつじヶ丘駅前風景 京王線 つつじヶ丘駅前風景 
FC東京の応援も新撰組とタイアップ FC東京の応援も新撰組とタイアップ 
京王線 布田駅前の成田山も新撰組所縁の地 京王線 布田駅前の成田山も新撰組所縁の地 

近藤勇の兄弟子原田忠司の墓がある、となっているが、どこにあるのか分からなかった。
京王線 布田駅前の成田山も新撰組所縁の地 京王線 布田駅前の成田山も新撰組所縁の地 
京王線 布田駅前の成田山も新撰組所縁の地 京王線 布田駅前の成田山も新撰組所縁の地 
近藤勇所縁の西光寺 近藤勇所縁の西光寺 

京王線西調布駅を過ぎ、旧甲州街道を歩くと西光寺がある。近藤勇は慶応4年(1868年)に甲陽鎮撫隊を率い、甲府に向けて出陣、西光寺で休憩した。その後、戦いに敗れ板橋宿で斬刑に処せられたが、近藤勇の史実と史跡を残すため、この地に坐像を建立した。
近藤勇所縁の西光寺 近藤勇所縁の西光寺 
近藤勇所縁の西光寺 近藤勇所縁の西光寺 
近藤勇所縁の西光寺 近藤勇所縁の西光寺 
「新撰組フェスタ In 日野」の幟 「新撰組フェスタ In 日野」の幟 

日野は土方歳三などゆかりの地であり、調布界隈同様新撰組を使った町興しが盛んであった。
「ひの新撰組まつり」の幟 「ひの新撰組まつり」の幟 
新撰組を使った町興し 新撰組を使った町興し 
高幡不動 土方歳三銅像 高幡不動 土方歳三銅像 

新撰組副長土方歳三は、近藤勇が慶應4年(1868年)に刑死した後も、東北や函館で転戦、明治2年(1869年)に函館で戦死した。菩提寺は高幡不動尊である。この銅像の右に近藤勇・土方歳三顕彰碑がある。
高幡不動 近藤勇・土方歳三顕彰碑 高幡不動 近藤勇・土方歳三顕彰碑 

近藤勇と土方歳三の事績を記したもので、分の撰者は仙台伊達藩の儒者である大槻磐渓、筆者は幕府典医頭の松本順、篆刻は会津藩主の松平容保である。明治9年(1876年)に建碑を計画、21年(1888年)に竣工した。
高幡不動 近藤勇・土方歳三顕彰碑 高幡不動 近藤勇・土方歳三顕彰碑 




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