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大阪天満宮 戎門 |
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大阪天満宮 戎門 ガラス発祥之地
説明板は見当たらなかった。 |
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大阪天満宮 戎門 蛭子門の由来
当宮には六つの門がありそれぞれに独自の用途と由来を持っている。当門は入ってすぐ左手に「戎社(蛭児社)」が祀られていたことから「戎門」と呼ばれていた。
江戸時代の「戎社」では毎年の正月・五月・九月の十日に「蛭児尊遷殿神事」を斎行しておりこの年三回の「十日えびす」には数多くの参拝者が当門を利用した。
その後「戎社」は境内西北に移されたが「戎門」の名は変わらずに今に伝えられている。
昨年正月に「十日えびす」を復興したのを記念してその由来をここに記す。
平成二十年正月吉日 |
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大阪天満宮 表門(大門) |
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大阪天満宮 本社
奈良時代 白雉元年(650年)孝徳天皇様が難波長柄豊崎宮をお造りになりました頃、都の西北を守る神として大将軍社という神社をこの地にお祀りされました。 以来この地を大将軍の森と称し、又後には天神の森ともいわれ、現在も南森町北森町としてその名を残しております。 平安時代延喜元年(901年)当宮の御祭神である菅原道真公は太宰府へ向かう途中この大将軍社をお参りになり旅の無事を御祈願なされました。 その後道真公は、太宰府において、お亡くなりになり、その50年あまり後の天暦三年(949年)この大将軍社の前に一夜にして七本の松が生え、夜毎にその梢を光らせたと申します。 これをお聞きになりました村上天皇様は、勅命によって、ここにお社をお建てになり、道真公のお御霊を厚くお祀りされました。 以来、一千有余年、氏子大阪市民はもとより広く全国より崇敬を集めています。 |
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大阪天満宮 休憩所 熱中症計は注意
現在時刻は10:20で、温度24.0℃、湿度84%、熱中症計は注意である。
歩き始めて45分で、汗だくになってきたので熱中症計を見たら段階は注意なのに高湿度であった。明け方まで降った雨の影響で、休憩所で新たにお茶を購入した。
ちなみにここまで歩数にして1,700歩、換算で1.1Kmである。 |
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大阪天満宮 本社 登龍門
休憩所の向かいにある。 |
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大阪天満宮 本社 登龍門
文字がかすれて読み難いが、なんとか読み取った。しかし、幾つかの箇所で文章としておかしい所や意味が通じない所があった。その為Webで調べて修正したのが下記の文である。 |
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大阪天満宮 本社 登龍門
当宮は天保八年(一八三七年)の大塩の乱で本殿及び多くの社殿が焼失しその後弘化二年(一八四五年)に再建され現在に至っております。
その当時から東・西唐門両側に鯉に龍の図柄の金燈籠がありましたが戦前の金属の供出でなくなり台座を残すのみとなっておりました。
この度菅原道真公千百年大祭記念として篤志の方の奉納により昔ながらの図柄の燈籠が再現されることとなりました。
屋根の部分は威勢よく跳ね上がる鯉胴体には龍が巻き上がり逆巻く水面から天空をめざし舞い上がろうとしている雄姿は一見奇異に見えますがこの唐門こそ登龍門そのものであります。というのも龍門は中国の黄河上流で鯉などがその下に集まり多くは登り得ないが登れば龍となるという故事に基づいています。
それが転じてそこを通り抜ければ必ず出世するといわれる関門の意となります。 |
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大阪天満宮 大将軍社
菅公が大宰府に向かう前に参拝したという大将軍社は、境内の西北に鎮座しています。 天満宮の御鎮座よりも250年遡った650年に創建されています。大将軍社があった場所に、大阪天満宮が創建されたことになります。 現在では、摂社として祀られており、大阪天満宮では元日の歳旦祭の前に、大将軍社にて「拂暁祭(ふつぎょうさい)」というお祭りを行い、神事の中で「租(そ)」と言ういわゆる借地料をお納めする習わしになっております。 |
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大阪天満宮 北門 |
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大阪天満宮 参集殿 |
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大阪天満宮 神楽殿、参集殿、梅花殿
左が参集殿である。 |
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大阪天満宮 表門(大門) |