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かっぱ橋道具街通り〜矢先稲荷神社(福禄寿)〜銀座線 田原町駅

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国際通りを南下 金美館通りとの交差点 国際通りを南下 金美館通りとの交差点 

右から来る金美館通りとの無名の交差点で、ここで国際通りは分岐して斜め左に進む。
国際通りを南下 国際通りを南下 

正月休みということもあり、ほとんど人影もない国際通りを南下する。
国際通りを南下 西浅草三丁目交差点で右折、言問通りへ 国際通りを南下 西浅草三丁目交差点で右折、言問通りへ 
国際通りを南下 西浅草三丁目交差点で右折、言問通りへ 国際通りを南下 西浅草三丁目交差点で右折、言問通りへ 
言問通りを西進 西浅草三丁目交差点 界隈案内図 言問通りを西進 西浅草三丁目交差点 界隈案内図 
言問通りを西進 言問通りを西進 

西浅草三丁目交差点から最初の交差点で、信号の地名表示板はない。
言問通りを西進 金龍小学校前交差点で左折、かっぱ橋道具街通りへ 言問通りを西進 金龍小学校前交差点で左折、かっぱ橋道具街通りへ 

西浅草三丁目交差点から2番目の交差点で、言問橋側は正月休みで殺風景であるが、かっぱ橋道具街通り側は多くの観光客で賑わっている。
言問通りを西進 金龍小学校前交差点で左折、かっぱ橋道具街通りへ 言問通りを西進 金龍小学校前交差点で左折、かっぱ橋道具街通りへ 

交差点の左側には台東区生涯学習センターの目立つビルがある。
観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 

欧米の観光客が多いのには驚いた。
観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 合羽橋北交差点 観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 合羽橋北交差点 
観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 #24 南めぐりん 生涯学習センター南 バス停 観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 #24 南めぐりん 生涯学習センター南 バス停 
観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 
観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 合羽橋交差点 観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 合羽橋交差点 

南下するにつれ賑わいは増えていく。
観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 かっぱ河太郎像の碑 観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 かっぱ河太郎像の碑 

古来合羽槙は商売とは深い緑で結ばれていた。今から約二百年前の文化年間、商人として財を成した合羽屋喜八は、このあたりの水はけが悪く、僅かな雨で重なる洪水に人々が難儀をしていることを見かね、私財を投げ出し治水のための掘割工事を始めた。 ところが工事は困難を極め なかなか捗らない。その様を見ていた隅田川の河童達が喜八の侠気に感じ、夜な夜な現れては、人知れず工事を進め、さしもの難工事もついに完成した。
この故事に鑑み、合羽橋道具街の誕生九十年を迎えるにあたり ご来街のお客様ともども幾久しい商売繁盛を祈念し 台東区の協力を戴きこの地に かっぱ河太郎橡 を建立する。

平成十五年十月吉日
観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 合羽橋交差点の次の交差点で右折 観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 合羽橋交差点の次の交差点で右折 

最後の矢先稲荷神社(福禄寿)は、WEBで調べてもGoogleMapで調べてもかっぱ橋道具街通りからの入り口が明確でなく、合羽橋交差点の次の交差点で右折することと、保坂製作所の角の道を西進することだけがヒントである。かなりの距離を歩くようなので他の寺社のような七福神の幟がかっぱ橋道具街通りに出ているかどうかも不明である。

通りを注意しながら歩いていると、正月休みでシャッターが降りているがアーケードの表示が保坂製作所の一角を発見した。
観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 合羽橋交差点の次の交差点で右折 観光客で賑わうかっぱ橋道具街通りを南下 合羽橋交差点の次の交差点で右折 

保坂製作所の向いの店に関係ないポスターに隠されているが、「矢先稲荷神社入口」の案内が見えた。七福神の幟が無いため、この案内が無ければ探すのに苦労したと思う。
矢先稲荷神社(福禄寿) 矢先稲荷神社(福禄寿) 
矢先稲荷神社(福禄寿) 矢先稲荷神社(福禄寿) 
矢先稲荷神社(福禄寿) 矢先稲荷神社(福禄寿) 

浅草、寺社景跡三十三間堂絵図

 寛永十九年(1642)「弓師備後」「上野寛永寺天海僧正」の発企、武術奨励を願う三代将軍「家光公」の命により、浅草三十三間堂は創建されました。同じく鎮守社「矢先稲荷神社」が建立され三七七年の崇敬を集めています。
 明暦大火(明暦三年、1657)後、「火除地」に設定された当地域に寺院が建て始め、新堀川が開削された寛文十一年(1671)「浅草三十三間堂」を中心とする長閑な時代を「田中辰斎絵師」が描いています。
 南北百二十メートル丹碧の大伽藍で行われる一昼夜の「通し矢」は、江戸名所として一世を風靡した華やかな時代でした。
 残念なことに元禄十一年(1698)「勅額火事」と呼ばれる大火で焼失しました。存続すれば松葉町の様相も違ったものであったと思われます。
矢先稲荷神社(福禄寿) 矢先稲荷神社(福禄寿) 

当たり矢の矢先稲荷神社

御由緒
当社は寛永十九年(1642年)十一月二十三日に三代将家家光が、当地に浅草三十三間堂を建立した際、その堂の鎮守として稲荷神を祭ったのに始まると伝えられています。
社伝によると、その神像は、上野東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正の寄進であるといわれております。
浅草三十三間堂射術稽古場の的先に奉納されたために、その社名も矢先稲荷神社と称されました。

御祭神
 倉稲魂命 福禄寿
御神徳
 五穀豊穣・長寿・商売繁昌
御神宝
 神殿の天井絵・馬乗絵百体(海老根駿堂画伯作)
 神武天皇から昭和に至るまでの馬乗りの絵百体

御祭礼
 歳旦祭     一月元旦
 節分祭     二月三日
 初午祭     三月第一日曜
 入学祭     四月第一日曜
 例大祭     六月十五日
 本社神輿渡御  六月十五日に近い日曜
 夏越の大祓   六月三十日
 七五三     十一月十五日と近い日曜
 新穀神恩感謝祭 十一月二十三日
 大祺除夜祭   十二月三十一日
矢先稲荷神社(福禄寿) 矢先稲荷神社(福禄寿) 
矢先稲荷神社(福禄寿) 矢先稲荷神社(福禄寿) 
矢先稲荷神社(福禄寿) 矢先稲荷神社(福禄寿) 
矢先稲荷神社(福禄寿) かっぱ橋道具街通りを南下 
かっぱ橋道具街通りを南下 かっぱ橋南交差点 かっぱ橋道具街通りを南下 かっぱ橋南交差点 
かっぱ橋道具街通りを南下 かっぱ橋道具街通りを南下 
かっぱ橋道具街通り 菊屋橋交差点で左折、浅草通りへ かっぱ橋道具街通り 菊屋橋交差点で左折、浅草通りへ 
浅草通り 西浅草一丁目交差点 浅草通り 西浅草一丁目交差点 
 銀座線 田原町駅 銀座線 田原町駅 

浅草通りを東進し浅草駅まで歩く予定だったが、浅草駅の混雑を考え手前の田原町駅から浅草駅に行き、ホームで渋谷駅に乗り換えることにした。切符は東急東京メトロパスなのでホームでの乗り換えも問題はない。



 
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