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港の見える丘公園(大佛次郎記念館〜展望台〜フランス山)

【関連サイト】   港風景と街並散策を楽しむ春の横浜ウォーキング(H17-05-28)

横浜の名園(港の見える丘公園〜横浜中華街〜元町・中華街駅)



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港の見える丘公園 神奈川近代文学館 港の見える丘公園 神奈川近代文学館 
近代文学館入口交差点 近代文学館入口交差点 
港の見える丘公園 山手111番館 港の見える丘公園 山手111番館 
港の見える丘公園 山手111番館 港の見える丘公園 山手111番館 
港の見える丘公園 噴水広場 港の見える丘公園 噴水広場 
港の見える丘公園 噴水広場 港の見える丘公園 噴水広場 
港の見える丘公園 園内案内図(噴水広場) 港の見える丘公園 園内案内図(噴水広場) 

海の見える丘公園はひょうたん型をしており、現在地は南の太い胴部分で、ローズガーデンや、大仏次郎記念館などがある。くびれ部分が展望台、その上がフランス山である。
港の見える丘公園 港の見える丘公園 
港の見える丘公園 大仏次郎記念館 港の見える丘公園 大仏次郎記念館 
港の見える丘公園 大仏次郎記念館 港の見える丘公園 大仏次郎記念館 
港の見える丘公園 イギリス地区 沈床花壇 港の見える丘公園 イギリス地区 沈床花壇 
港の見える丘公園 イギリス地区 沈床花壇 港の見える丘公園 イギリス地区 沈床花壇 
港の見える丘公園 展望台 港の見える丘公園 展望台 
港の見える丘公園 展望台から見えるベイブリッジ 港の見える丘公園 展望台から見えるベイブリッジ 
港の見える丘公園 展望台から見える山下公園 港の見える丘公園 展望台から見える山下公園 

手前の黒い船は氷川丸、その後方に大さん橋が見え、左にマリンタワーが聳え立つ。
港の見える丘公園 展望台から見えるフランス山 港の見える丘公園 展望台から見えるフランス山 
港の見える丘公園 園内案内図(展望台) 港の見える丘公園 園内案内図(展望台) 
港の見える丘公園 フランス山 港の見える丘公園 フランス山 
港の見える丘公園 フランス山 風車 港の見える丘公園 フランス山 風車 

 1896(明治29)年にフランス領事館とその官邸が建設された時、このフランス山には井戸水を汲み揚げるための風車が設置されました。風車が設置されたのは、レンガ造り井戸の遺構が残されている場所です。
 残念ながら、フランス領事公邸で使用されていた風車の形は、写真などの資料が残されていないため判りません。しかし、同時代に使われていた「フェリス女学院の赤い風車」や「ヴィラ・サクソニアの風車」の写真から、多翼型の風車であったろうと思われます。なおフランス山の風車は、フランスに残されている資料から、1909(明治42)年頃までは存在していたようです。
 今回、フランス山の公園整備に際し、かつてのフランス山をしのぶモニュメントとして、多翼型の風車を設置しました。風車の色は、フランス国旗の色にちなんでトリコロール(青・白・赤)に塗り分けられています。また、風車が回ると水を汲み揚げるようになっています。
港の見える丘公園 フランス山 風車 港の見える丘公園 フランス山 風車 
港の見える丘公園 フランス山 フランス領事官邸遺構 港の見える丘公園 フランス山 フランス領事官邸遺構 

 1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定しました。
 1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設されました。1875(明治8)年3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交替をくり返しながら駐屯を続けました。これがフランス山と呼ばれるようになった由来です。
 撤退により兵舎が不要となったので、海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡しました。横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしましたか、なかなか実現しないでいたところ、1885(明治18)年になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の嘆願書を提出しました。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894(明治27)年にフランス人建築家サルダの設計で、領事館と領事官邸の新築工事が始まりました。1896(明治29)年3月、山手185番(フランス山下方)に領事館、12月に山手186番(フランス山上方)に領事官邸が完成します。領事官邸には、風車の付いた井戸が掘られました。
 1923(大正12)年、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに倒壊します、震災後、領事館は仮設の建物を使用していましたが、官邸は、1930(昭和5)年、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建されました。その官邸も、戦後まもない1947(昭和22)年には火災で焼失してしまいます。現存している遺構は、その際に焼け残った1階部分です。
港の見える丘公園 フランス山 震災後のフランス領事官邸(1) 港の見える丘公園 フランス山 震災後のフランス領事官邸(1) 

 1923(大正12)年9月1日の関東大震災によって領事官邸は倒壊したため、マックス・ヒンデルの設計で1930(昭和5)年に新しい領事官邸が建てられました。1階部分はコンクリート造、2、3階部分は木造の3階建ての建物でした。一部に4階建てに相当する塔屋があり、また大きい屋根窓が設けられていることから、4階に相当する屋根裏部屋があったものと推測されます。天井高は3m、建築面積は222.5平方メートル、建設費用は53万3,000フランと伝えられています。
港の見える丘公園 フランス山 震災後のフランス領事官邸(2) 港の見える丘公園 フランス山 震災後のフランス領事官邸(2) 

 1階部分は.14.5mx14mの正方形に近い矩形をしており、東隅に設けられた主玄関は、幅5.5m、奥行2mのポーチとその奥の5.5mx5mのホールからなります。ポーチは擬石積みでで仕上げられており、ホールには壁と床のタイル張りが残されています。
 西側には.同じく擬石積みの仕上げが施された脇玄関と思われる開口部があり、そのかたわらに便所および2階に通じる階段があります。その他の部屋は、使用人の部屋や厨房等と思われます。
港の見える丘公園 フランス山 港の見える丘公園 フランス山 

マリンタワーに向かって山を下って行く。
港の見える丘公園 フランス山  パルタール広場 港の見える丘公園 フランス山  パルタール広場 
港の見える丘公園 フランス山 パルタール・パビリオン 港の見える丘公園 フランス山 パルタール・パビリオン 
港の見える丘公園園 園内案内図(フランス山) 港の見える丘公園園 園内案内図(フランス山) 
港の見える丘公園 フランス山 フランス橋 港の見える丘公園 フランス山 フランス橋 



 
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