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厳島神社入口〜大願寺〜厳島神社入口

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厳島神社 美しい海沿いの風景を楽しみながら参道を歩く 厳島神社 美しい海沿いの風景を楽しみながら参道を歩く 
厳島神社 境内参拝 受付 厳島神社 境内参拝 受付 
厳島神社 境内参拝 受付 厳島神社 境内参拝 受付 

厳島神社御由緒

一、御祭神

御本社 市寸島姫命 田心姫命 湍津姫命
客社  天忍穂耳命 天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野?樟日命
厳島神社 境内参拝 受付 厳島神社 境内参拝 受付 

厳島神社御由緒

一、沿革

厳島は太古よりその山容に霊気を感じ、島全体が神として信仰されてきた。
社伝によると、厳島神社は推古天皇元年(五九三)に、この地域の有力者であった佐伯鞍職によって創建されたのが始まりとされる。
仁安三年(一一六八)当時の太政大臣平清盛公によって 寝殿造りの様式を取り入れ造営されたものが現在の社殿の礎となっていると伝わる。
鎌倉時代の二月の火災を始め、台風などに幾度となく被災するも、その時代の人達の尽力によって修復されてきた。
社殿群は国宝及び重要文化財に指定されており、平成八年(一九九六)に、世界丈化遺産に登録され現在に至っている。
厳島神社 境内 祓殿 厳島神社 境内 祓殿 

厳島神社の境内の案内図はここをクリックしてください。
厳島神社 境内 祓殿先の回廊から見た拝殿 厳島神社 境内 祓殿先の回廊から見た拝殿 
 厳島神社 境内 右の回廊を通り平舞台に向かう 厳島神社 境内 右の回廊を通り平舞台に向かう 
厳島神社 境内 平舞台 厳島神社 境内 平舞台 
厳島神社 境内 平舞台 阿形の狛犬 厳島神社 境内 平舞台 阿形の狛犬 

下世話な話だが、昔、妻と厳島神社を訪れた時、前にいた団体のガイドが次のようなクイズを出していた。
「普通の神社ではないが、厳島神社では狛犬に雌雄の区別がある。ではどちらの狛犬が雄か、雌か、答えてください。」

答えは阿形の狛犬が雄である。
厳島神社 境内 平舞台 吽形の狛犬 厳島神社 境内 平舞台 吽形の狛犬 
厳島神社 境内 潮が引き、干潟を歩いて大鳥居に向かう人が増える 厳島神社 境内 潮が引き、干潟を歩いて大鳥居に向かう人が増える 
厳島神社 境内 平舞台、祓殿、本社本殿 厳島神社 境内 平舞台、祓殿、本社本殿 
厳島神社 境内 祓殿、本社本殿 厳島神社 境内 祓殿、本社本殿 
厳島神社 境内 祓殿から見た能舞台 厳島神社 境内 祓殿から見た能舞台 
厳島神社 境内 西回廊から見た天神社 厳島神社 境内 西回廊から見た天神社 

左には絵馬がびっしりと飾られている。
厳島神社 境内 西回廊から見た能舞台 厳島神社 境内 西回廊から見た能舞台 
厳島神社 境内 西回廊から見た反橋 厳島神社 境内 西回廊から見た反橋 

重要文化財 反橋(そりばし)

天皇がご派遣になる勅使がご参拝の際にお渡りになったと伝えられることから 別名「勅使橋」とも言われる。
弘治三年(一五五七)毛利元就、隆元父子によって再建されたものである。
厳島神社 境内 西回廊から見た反橋 厳島神社 境内 西回廊から見た反橋 
厳島神社 境内 出口 厳島神社 境内 出口 

厳島神社の参拝は東側の入口から境内を通り、西側の出口に至る一方通行となっている。帰りは厳島神社の境内の外の南側の参道を通って入り口に戻る。
宮島 大願寺 仁王門 宮島 大願寺 仁王門 

厳島の参拝を終え、長い回廊を出ると目の前に大願寺の仁王門がある。
宮島 大願寺 護摩堂 宮島 大願寺 護摩堂 

厳島大仏 不動明王

総身一丈六尺(1m80cm)重量7t 総白壇

 明治の時期に焼失したに護摩堂は、平成十八年四月に再建、並びに開眼供養されました。総白壇の不動明王としては日本最大の仏様です。
 不動明王のお姿は、右手に、智剣と呼はれる我々衆生の悩みを断ち切る知恵の剣を持ち、、左手には、絹索と呼ばれる正しい道から外れた衆生を引き戻して下さる縄を持ち、背中には、我々衆生の煩悩を焼きつくす火炎を背負っています。

不動明王 御真言

 なうまくさまんだ ばざらだん せんだん まかろしゃだ てわたや

 この御真言には、不動明王への讃歎と畏駁の念がこめられています。
宮島 大願寺 護摩堂 宮島 大願寺 護摩堂 
宮島 大願寺 護摩堂 熱中症計はほぼ安全 宮島 大願寺 護摩堂 熱中症計はほぼ安全 

現在時刻は13:10で、温度5℃、湿度は31%で、熱中症計はほぼ安全である。

3時間半前の原爆ドームの前で測った時は、温度2.5℃、湿度は20%で、熱中症計はほぼ安全であった。湿度はわずかに上がったが、温度は厳冬の時期にふさわしく、5℃しかない。しかし、雪は降ってはおらず、寒さに震えると言うほどではない。
宮島 大願寺 本堂 宮島 大願寺 本堂 
 宮島 厳島宝物館 宮島 厳島宝物館 
宮島 厳島宝物館前 日本三景 宮島案内図 厳島神社 境内 出口 
厳島神社 境内 出口 厳島神社 境内 出口 

厳島の境内を参拝しても出口であるが、立派な門である。
宮島 御手洗川沿いの参道を通って東進 宮島 御手洗川沿いの参道を通って東進 

参道の左は厳島神社の境内で、御手洗川沿いに土産物店や食事処が並ぶ。
宮島 御手洗川沿いの参道を通って東進 宮島 御手洗川沿いの参道を通って東進 
宮島 御手洗川沿いの参道を通って東進 反橋 宮島 御手洗川沿いの参道を通って東進 反橋 

厳島神社側で見た時は小さな橋に見えたが、結構立派な話である。
宮島 御手洗川沿いの参道を通って東進 後白河法皇 御行幸松 宮島 御手洗川沿いの参道を通って東進 後白河法皇 御行幸松 

承安四年(一一七四)後白河法皇が参詣された折お手植えされた松の遣木である 明治初期に切り倒された
 宮島 厳島神社の東角で左折、北上 宮島 厳島神社の東角で左折、北上 
 宮島 厳島神社の東角で左折、北上 宮島 厳島神社の東角で左折、北上 
 宮島 厳島神社の東角で左折、北上 宮島 厳島神社の東角で左折、北上 

遠くに大鳥居が見え、手前は本社本殿、拝殿とそれに続く東回廊である。
宮島 参道を北上 三翁神杜 宮島 参道を北上 三翁神杜 

御祭神
 中央 佐伯鞍職 安徳夭皇
     所翁   二位の尼
     岩木翁  大綿津見命
 左殿 大巳貴命 猿田彦神
 (向かって右)
 右殿 御子内侍 竹林内侍
 (向かって左) 徳寿内侍各祖神
例祭日 十月二十三日
御由緒 御鎮座の年月不詳
    治承元年(一一七七)
    「伊都岐島社千僧供養日記」に
    比叡御社壇と記述があるのが
    現在の三翁神杜と考えられる
    明治以前は山王社と称されていた
宮島 参道を北上 三翁神杜 宮島 参道を北上 三翁神杜 

説明文を読むと、厳島神社創建の佐伯鞍職があるのは理解できるが、祭神である安徳天皇や二位の尼との関係が分からない。両者とも厳島神社と関係の深い平家の中心人物であるが、滅びたこととの関係が不明である。
宮島 参道を北上 宮島名物 杓子 宮島 参道を北上 宮島名物 杓子 
 宮島 豊国神社 五重塔 宮島 豊国神社 五重塔 
 宮島 豊国神社 五重塔 宮島 豊国神社 五重塔 

宮島に来ると目立つ五重塔ではあるが、いつものパターンでキャリーケースを持って上れるような場所ではなく、断念した。
宮島 豊国神社 五重塔、千畳閣 宮島 豊国神社 五重塔、千畳閣 
厳島神社 境内参拝 受付 厳島神社 境内参拝 受付 

厳島神社の境内を参拝し、もとに戻った。



 
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