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中国・四国周遊H300210-13


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【関連サイト】   お盆の徳島、高松、岡山周遊H230815-17(倉敷 美観地区散策)

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  羽田空港〜岡山空港〜倉敷

 水島コンビナート(倉敷)で勤務していた職場の同窓会が建国記念日の3連休を使って倉敷で行われた。30年前に課長だった作者に同窓会開催を求める希望が寄せられ、当時新入社員だった現課長に依頼して古希を迎えた3人を含め、最も若い50歳を過ぎた現課長の12名で旧交を温めた。晴れた羽田を飛び立ったものの雲海が厚く、冬には富士山頂を通過する風景を諦めていたが、箱根付近で雲が切れ、芦ノ湖が見えてきた。残念ながら、山頂は雲で覆われていたが、雪の富士山を眺めることが出来た。伊豆半島西岸、南アルプスと過ぎ、岡山に近づくと雨が激しくなり土砂降りの岡山空港に着いた。
 岡山空港からリムジンに乗り倉敷駅の北口に着く。かつてバブルの頃、各地区で建設が進められたテーマパークの一つである倉敷チボリ公園はバブルが弾けてから開園し、あえなく閉園となってショッピングモールと転換した。当時の名残が残る北口のアンデルセン広場には時計塔が残り、駅舎も面影が残る。自由通路を歩いて南口に出るが、氷雨が激しく、ホテルに荷物を預けて美観地区に向かう。6年半前(平成23年8月)に阿波踊り見物の後に訪れた倉敷は、近くにできた車前提の大型ショッピングモールに客を奪われ、暗く、薄汚い商店街となっていた。メイン商店街の倉敷センター街は、アーケードもきれいになり、照明も一新したため清潔感あふれる商店街になっていた。続くえびす通商店街はアーケードを全面的に更新してイメージは完全に変わっていた。商店街を出ると倉敷総鎮守の阿智神社参道の階段に出るが、氷雨が激しく参拝だけでなく、美観地区観光も諦めて倉敷駅に戻った。

  しまなみ海道〜松山市内散策〜現存十二天守 松山城

 前日の土砂降りの氷雨から打って変わって見事な晴天の倉敷だったが、40分後の福山では雲が出て小雪が舞った。、しまなみ海道では雲も多く、好天とは言えなかったが、松山では天気が回復した。福山駅を出た松山行き高速バスは山陽自動車道で新尾道駅まで幾つかのバス停で乗客を乗せ、西瀬戸尾道インターからしまなみ海道へ入る。平成11年5月にしまなみ海道(西瀬戸自動車道)は全線開通した。尾道都向島を結ぶ尾道大橋を含めなければ、因島大橋、多々羅大橋、来島海峡大橋など10本の橋が架かり、西瀬戸尾道インターから今治インターまでの59.4kmである。分厚い雲に覆われたしまなみ海道を走り、尾道大橋、向島料金所、因島大橋、大浜パーキングエリア、生口橋と過ぎる。
 生口島の瀬戸田パーキングエリア、多々羅大橋、大三島橋、伯方・大島大橋、第1〜3来島海峡大橋と経て、四国の今治市に入る。入ってすぐに今話題の加計学園岡山理大の獣医学部校舎が左に見え、間もなく終点の今治インターに至る。大三島には国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の約4割が集まっていると言われる大山祇神社がある。
 今治インターから今治バイパス(国道196号線)へ入り、西進する。しまなみ海道や鉄道(予讃線)ならば通過駅でどこを走っているのか分かるが、地理不案内の一般道なので見当がつかない。唐突に海岸が見えだし、青空が出始める。予讃線の伊予亀岡駅と菊間駅の中間にある太陽石油四国事業所の工場が海岸線沿いに続き、道の駅 風早の里 風和里の付近から国道196号線は直角に左折して南下する。予讃線伊予北条駅手前で国道196号線は直角に左折し、少し走って再び直角に左折して南下する。松山駅に近づくと国道を外れて別の道を進む。松山駅は趣がある、とも言えるがなんとも田舎風で四国4県最大の都市の駅とは思えない。そこから少し走ると四国一の駅で終点の伊予鉄の松山市駅に着く。

 繁華街の銀天街入口がある松山市駅前の坊っちゃん広場で左折し南下、伊予鉄 横河原線の踏切を渡ると子規堂(正宗寺)がある。子規堂は、大正15(1926)年に正岡家旧宅の建材を用いて建てられた。子規堂前には坊っちゃん列車の客車と子規と野球の碑がある。戻って銀天街に入り、最初の角で左折し正面の山の上にある松山城を目指して北上、千舟町5丁目交差点、日銀前交差点、松山市役所、松山中学校跡の牌があるNTT西日本 愛媛支店と経て、突き当りの愛媛県庁前で右折、一番町通り(国道11号線)に入る。
 一番町通り(国道11号線)を東進、西日本電信電話 愛媛支店、松山地方裁判所・松山簡易裁判所と過ぎ、道案内に従って左折して坂の上の雲ミュージアムへ着く。見物するか否か迷ったが、厳寒の2月で日が短くこれから松山城を見物することを考えるとここで時間を費やすことは断念した。松山最大の繁華街である大街道入口がある一番町交差点で左折、ロープウエー街へ入り、坂を上る。ロープウエー街の街灯に飾られた秋山兄弟生誕地案内の幟に従い右折、進むと常磐同郷会本部地で兄の秋山好古陸軍大将の騎馬像と弟の秋山真之海軍中将の胸像がある秋山兄弟生誕地に着く。ロープウエー街を北西に坂を上り、松山東雲学園、えひめ観光物産館を通り過ぎる。

 ロープウエー街の松山城ロープウエー東雲口駅舎から松山城ロープウエーで長者ヶ平駅に着く。山道や天守閣の階段を考え、キャリーケースを預けたかったが、東雲口駅のコインロッカーはわずかに小さく、ゴロゴロと引っ張りながら歩くことになった。長者ヶ平駅で万歩計を見たら温度が20.5℃と想定以上に高く、青空も広がってきた。長者ヶ平駅から整備された石畳を上り、松山城の見上げる石垣を過ぎ、待合番所跡の広場に着く。ここから先は大手門跡や立入禁止の中ノ門に寄らず戸無門を経て筒井門に至る。筒井門は後方にせり出した石垣のため見えない隠門があり、ここから城兵が寄手を奇襲することができる。
 隠門続櫓跡広場からの南方風景案内図によれば、大街道界隈の地上裁判所や案内図によれば、大街道周辺の松山全日空ホテルなどが見えるはずだが、木々に覆われて全く見えない。東方も同じで、広場から太鼓櫓を見た後、太鼓門から本丸広場に入る。結構重いキャリングケースを引きながら城の山道を上るのは大変で、抱えながら歩くのは疲れる。ロープウエーの東雲口駅で預けられなかった付けが響いている。本丸広場の奥にある天守閣に向かう途中にある数本の白梅、紅梅は5分咲きだった。キャリーケース問題で天守閣は諦め、来た道を戻り、加藤嘉明公をモデルとしたマスコット「よしあきくん」が待つロープウエイ東雲駅に戻る。

 松山城を見た後ロープウエー街を上り、加藤嘉明公騎馬像、東雲神社と過ぎて交差点で右折して直進する。狸伝説の六角堂常楽寺角の交差点で左折、松山銘菓一六タルトの六時屋本店の先に坊っちゃん列車が停まっている伊予鉄 上一万駅がある。いかにも明治、大正の趣がある伊予鉄道後温泉駅で展示されている坊ちゃん列車を見た後、温泉商店街のハイカラ通りを歩き、有名な道後温泉本館前を通り、白鷺坂を登ってホテルに至る。

  音戸の瀬戸〜江田島 海軍兵学校〜呉 大和ミュージアム

 ホテルから白鷺坂を下り、伊佐庭如矢翁胸像で右折し、ハイカラ通り(道後商店街)に入って朝から賑わう道後温泉本館を通り過ぎる。数は少ないが、帰り支度の温泉客が買い物をしているハイカラ通りを歩き、道後温泉駅に着く。リムジンバスに乗って大街道、松山駅と過ぎて松山観光港に至る。江田島の海軍兵学校に寄るため、ジェット船で呉行きに乗る。
 ジェット船道後の2階にあるスーパーシート席に座り、小1時間の船旅を楽しんだ。松山観光港を出た直後から波が高く、少し揺れていたが、瀬戸内海に出るに連れ体を窓枠に押し付けないと手振れとなって動画がうまく撮れなくなった。それでも広島の陸地が見えるに連れて波も落ち着いてきて、徐行する音戸の瀬戸では揺れもほとんどなくなった。呉港は海軍工廠の名残か、製鉄工場や工廠の後継の造船会社が港沿いに並ぶ。
 スーパージェット船道後から下船し、呉中央桟橋ターミナルに向かう。隣の桟橋には江田島行きのフェリーが停泊し、ターミナルの正面左には呉の名所である大和ミュージアム、その左奥には「てつのくじら館(海上自衛隊資料館)」の実物潜水艦である「あさしお」の巨体が見える。呉中央桟橋ターミナルには呉艦船巡りの遊覧船のコーナーがある。フェリー古鷹に乗船して20分で江田島小用港に着くと、海軍兵学校(海上自衛隊 第一術科学校)行きのバスが停まっている。

 小用港からバスで10分足らずで第一術科学校前に着き、そこから角を左折して直進すると正門が見える。正門で所定の手続きを取った後、見学者控室のある江田島クラブに行き、併設されている食事処で昼食を取る。説明員の注意事項を聞いた後、大講堂に向かう。皇族など特定の人しか入れない正面入口を見た後、裏正面から大講堂に入る。大講堂はマイクがなくとも大声を出さなくともその声が響き渡る鳴竜構造となっている。白の玉座の前の赤絨毯は、卒業式で成績優秀者のみが上って証書を受け取ることができる特別な場所であった。兵学校時代は卒業証書は成績順に授与されたが、現在は名簿順で成績の順位が分からないよう配慮されている。続けて海軍兵学校生徒館として使われた赤レンガが美しい幹部候補生学校に向かうが、立ち入ることは出来ない。
 広々とした第一術科学校学生館前広場から幹部候補生学校と第一術科学校学生館の間を進み、ギリシャ神殿風の鉄筋コンクリート造の2階建ての教育参考館に向かう。先輩の偉業を偲び、「温故知新」によって自己修養と学術研鑽の資とするため、兵学校卒業生の積立金及び一般企業等の寄付をもって、昭和11年(1936)に建築された。入ってすぐに2階に上がり順路に従って見物する。展示物の多くは神風などの特攻隊員や特殊潜航艇隊員の遺品、遺書などであり、慰霊施設となっている。そのこともあってか、服装の制限、脱帽、撮影禁止となっている。教育参考館横の敷地に特殊潜航艇、魚雷、砲弾が展示されている。ここから江田島クラブに戻り、説明員の挨拶があり、解散となる。

 江田島から呉中央桟橋に戻り、大和ミュージアムに向かう。1階の常設展会場に入ると大和ひろばで、大和1/10模型が鎮座している。この模型を見てどう思うか、は人様々であり26.3mもある立派な作品との声も多い。しかし、大和には及ばぬものの、横須賀で色々な護衛艦を見てきて実際に197mのヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」に乗艦、見物した者としては物足りなさを強く感じる。大きいが所詮模型、との印象である。これは2階、3階と色々な場所で見ても変わらなかった。要するに実物の持つ迫力が決定的に欠けるのである。1階の呉工廠の歴史や、大和の誕生から水上特攻の最後までの展示を見た後、大型資料展示室に入り、93式魚雷、二式魚雷 、特殊潜航艇 「海龍」後期量産型、零式艦上戦闘機六二型、特攻兵器「回天」 十型試作型を見物する。
 2階に上り、各種艦艇模型を見た後、3階の「船を作る技術」展示室に寄ったが科学的な味付けをした子供の遊具室である。「未来へ」展示室で大和の水上特攻の映画を見て大和ミュージアムの屋外展示に行った。屋外展示場は戦艦陸奥の主砲などが展示されているが、建造は横須賀海軍工廠だが、主要部品、機器は呉工廠で造り、横須賀はそれを組み立てただけ、と露骨な文言が目につく。現在は米軍に接収されてその機能を失っている横須賀工廠になぜ対抗心を燃やすのか理解できない。呉発の快速で広島駅に着く。
 最後の夜は瀬戸内の魚介類を地酒で楽しみたく、ホテルの日本料理店「雲海」で食事をした。雲海は広島の名園である縮景園を模した庭を持つ店で、落ち着いた雰囲気で客も老夫婦や、一人旅の出張のビジネスマンなどであった。初めは幾つもの料理皿を並べてと思ったが、歳(4日前に71歳となった)と疲れから、仲居と相談しお造りの盛り合わせをまず取ることとした。酒は辛口が好きなので、地酒で日本酒度の高い順に頼むこととし、広島竹原の日本酒度+10度の竹鶴を頼んだ。日本酒のおかわりとして、次に日本酒度の高い鳥取の鷹勇+8度を頼んだ。料理は美味しく、辛口の日本酒とあい、疲れもあって醉いが出てきて、しめの鉄火巻も肴にして広島の夜を楽しんだ。

  広島平和記念公園〜広島城〜宮島 厳島神社

 ホテル前の平和大通りに出て右折、西進し、NHK広島放送局がある白神社前交差点を過ぎて、元安川に架かる平和大橋を渡り平和記念公園に入る。小雪が舞う中広島平和記念資料館、同本館を過ぎ、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に至る。
 平和記念公園を北上、平和祈念像、平和の灯、専用のコンテナーに折鶴がびっしりと詰められている原爆の子の像、元安川の向かいに見える原爆ドーム、平和の時計塔と見て太田川沿いの遊歩道を北上し、元安川に架かる相生橋を渡る。元安川沿いの遊歩道を南下 赤い鳥文学碑(鈴木三重吉文学碑)の先に原爆ドームがある。内務省(建設省)職員殉職之地碑がある原爆ドームで熱中症計で測ったら、現在時刻は9:45で、温度2.5℃、湿度は20%だった。原爆ドームを一周して北上、広島城に向かい、広電 原爆ドーム駅で相生通りを渡る。
 相生通りを東進し、フェンスで囲われた旧広島市民球場跡地の先のホテル メルパルク広島角で左折、NTT基町通信センタービル前の道を北上する。広島市立中央図書館とひろしま美術館の間の道を通り、城南通りに出て右折する。広島城周辺は歩道がなく、城南通り横断の方法を探し、日清戦役時の広島大本営に伴う聖蹟明治天皇御用井を見た後、広島城南交差点の地下道を使って広島城表御門に向かう。

 広島城の御門橋を渡り、表御門を通ると二の丸広場に出る。天正19年に毛利輝元が入城した広島城は、慶長5年に福島正則が入城、元和5年に浅野長晟が入城して明治維新まで続いた。 二の丸広場から中御門跡を通り本丸下段へ進み、広島護国神社を経て本丸上段の大本営跡広場を経て、天守閣に至る。松山城と同じで結構重いキャリーケースを持っており、天守閣に上ることは断念した。
 明治27年に開戦した日清戦役で広島に設けられた大本営跡を過ぎ、本丸下段の広場を通って裏御門跡、護国神社の鳥居を通って右折、堀沿いに南下する。雪は広島城東交差点に立つ池田勇人氏銅像を過ぎてからは風花から横殴りとなり、予定していた広島の繁華街である八丁堀や、立町、紙屋町散策は断念した。鯉城通りを南下し、広電の紙屋町東駅で宮島行きの路面電車に乗った。

 広電宮島口駅の目の前にある松大汽船のフェリーに乗って10分で宮島桟橋に着く。宮島桟橋から参道を歩き、突き当りで左折して海岸沿いに進む。門で左折して門前町のアーケードを進む。名物もみじ饅頭などの様々な土産物店や、広島名物の焼き牡蠣店が並び、世界遺産登録を機に展示大杓子が展示されている。美しい海沿いの風景を楽しみながら参道を歩くと美しい大鳥居が見える。
 厳島神社の参拝は東側の入口から境内を通り、西側の出口に至る一方通行となっている。帰りは厳島神社の境内の外の南側の参道を通って入り口に戻る。厳島神社の境内に入るとすぐに祓殿があり。回廊から拝殿が見える。右の回廊を通り平舞台に向かう 。平舞台の左右には阿形、吽形の狛犬があり、大鳥居や祓殿、本社本殿を見た後、西回廊から能舞台、反橋を見て出口に向かう。出口を出ると、大願寺の仁王門があり、奥の大願寺護摩堂、本堂、厳島宝物館と巡る。御手洗川沿いの厳島神社の外の参道を通って東進、反橋、後白河法皇御行幸松と経て厳島神社の東角で左折、北上する。 三翁神杜、豊国神社の五重塔、千畳閣と過ぎて参拝受付に戻る。
 潮が引き、鳥居下まで歩ける大鳥居を見つつ、海沿いの参道を歩く。門前町のアーケードを戻り、松大汽船のフェリーに乗って宮島口桟橋に着く。JR広島駅からリムジンバスで広島空港に向かう予定で、早く広島駅に行くため時間がかかる広電ではなく JR宮島口駅に向かう。







 
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