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靖国神社 南門 |
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靖国神社 南門での境内案内図
左の四角いブロックには拝殿などがあり、右に向かって長い参道がある。現在地の南門は四角いブロックの下中央やや右である。 |
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靖国神社 南門前 幕末志士ゆかりの練兵館跡
この練兵館は、神道無念流の剣客斉藤弥九郎により、それまで俎橋付近にあった練兵館が天保9年(1838年)の火事で類焼したため、この地に再建され、その後約30年間隆盛を誇った。 練兵館には、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、特に桂小五郎は剣の腕前も優れ、師範代もつとめている。また、伊藤俊輔(伊藤博文)も出入りしていたといわれる。 なお、この練兵館は千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館とともに、幕末三道場といわれている。 |
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靖国神社 南門前 幕末志士ゆかりの練兵館跡 |
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靖国神社 南門参道 中門鳥居前で左折、拝殿へ |
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靖国神社 中門鳥居、拝殿 |
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靖国神社 拝殿 |
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靖国神社 参集殿前 奉献酒銘柄展
正月には拝殿脇や参集殿前にはその年の奉納靖国大絵馬や、奉献酒銘柄展として奉献酒のラベル展示、全国神社奉納絵馬展が行われている。既に3月なのでほとんどが撤去されている。 |
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靖国神社 遊就館
靖国神社の祭神ゆかりの資料を集めた宝物館。幕末維新期の動乱から大東亜戦争(太平洋戦争)に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示している。1882年(明治15年)に開館した、日本における「最初で最古の軍事博物館」。 |
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靖国神社 能楽堂 |
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靖国神社 能楽堂前 桜の標本木
桜の標本木
この桜は、東京管区気象台が指定した東京地方の桜「ソメイヨシノ」の標本木です。 |
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靖国神社 神門 |
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靖国神社 表参道 第二鳥居 |
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靖国神社 表参道 外苑休憩所
第二鳥居前の土産物店で、小泉元首相以来、首相をテーマにした饅頭販売で有名である。 この土産物は自民党系と民主党系の2店が製造、販売しており、小泉元首相で味をしめた店は、その後の短命政権で在庫の山を築き、民主党政権下では石破、小泉進次郎でしのいでいた。 民主党系の店は鳩ポッポ人気で売れるかと思ったが、歴代の不評でさっぱり売れなかった。 |
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靖国神社 表参道 外苑休憩所
今までなかったが土産物の上に包装紙の一覧が飾られていた。安倍首相のオンパレードで、良くもこれほど考えるものと思うが、何故か人気芸人の有吉が加わっていた。 |
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靖国神社 表参道 第二鳥居、神門
外苑休憩所からの風景であるが、左右にある大灯籠は右が旧陸軍の有名な戦闘シーンを、左が海軍の戦闘シーンが描かれている。 |
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靖国神社 表参道 大村益次郎銅像 |
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靖国神社 表参道 大村益次郎銅像
大鳥居(第一鳥居)と第二鳥居との中間にある巨像で、旧帝国陸軍創始者で長州藩士、大村益次郎の像である。
大村益次郎は文政七年(一八二四)周防国鋳銭司村(現、山□県山口市)の医者の家に生まれ、はじめ村田蔵六といった。広瀬淡窓について儒学を、緒方沢庵について蘭学を学び、嘉永の初め宇和島藩に仕えてはじめて西洋式軍艦を設計建造。さらに江戸に出て私塾「鳩居堂」を開き、幕府の講武所教授等を勤め蘭学者、蘭方医、兵学者としてその名を高めた。ついで桂小五郎の推薦により長州藩に仕え、慶応二年、第二次長州征伐の折に、石州□の戦を指揮して幕府軍を破り戦術家として脚光を浴びた。戊辰戦争では新政府の軍務局判事に任じられ、大総督府に参じ東北の乱を平定。ついで兵部大輔に任じられ、建議して軍制を洋式に改める事を主唱したため攘夷主義者を刺激し、京都出張中の明治二年(一八六九)九月、不満士族に襲われて重傷を被り、同年十一月五日大阪にて歿した。四十六歳。 明治二年八月、戊辰戦争の戦歿者を祀る東京招魂社(現、靖國神社)の創建に際し、社地選定のため同月十二日、この地を視察したことも記録に見え、靖國神社創建者としての功績は大きく、明治十五年、伯爵山田顕義らにより銅像の建立が発議され、宮内省から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師大熊氏廣に塑型の製作が委嘱された。 大熊氏廣の帰朝後、漸く明治二十六年にいたりこの地にわが国最初の西洋式銅像が建立された。大熊はキヨソネの描いた大村益次郎の肖像画や遺族らに取材しながら製作にあたったという。陣羽織をつけ左手に双眼鏡をもち、東北の方を望む姿は、上野東叡山にたてこもる彰義隊討伐の時の様子と言われる。 |
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靖国神社 表参道 大鳥居(第一鳥居)
表参道の左手には日露戦争の常陸丸殉難記念碑など、様々な慰霊碑、記念碑がある。 |
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靖国神社 表参道 大鳥居(第一鳥居)
大鳥居(第一鳥居)は靖国神社御創建五十周年記念として大正十年に建立されたが、昭和十八年戦力増強のため撤去されてそのあとに小さな檜の鳥居が建てられていた。 全国約一万七千名の芳志に基づく浄財一億六千万によってこの大鳥居を再建復原して御祭神二百四十五万余柱の英霊に捧げるものである。 |