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巣鴨庚申塚〜本妙寺〜慈眼寺

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巣鴨庚申塚〜本妙寺〜慈眼寺

 巣鴨庚申塚から折戸通りを西進、西巣鴨三丁目交差点で右折して、白山通りを南下する。豊島市場前交差点で左折、突き当りに明暦大火供養塔や、遠山金四郎景元、千葉周作の墓などがある本妙寺山門に着く。本妙寺の石垣沿いに東進、染井霊園の角で左折して慈眼寺墓地と染井霊園の間の道を北上すると、江戸時代の画家司馬江漢、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓がある慈眼寺に至る。本妙寺、慈眼寺は別ページにまとめてある。来た道を戻り、突き当りの豊島市場前交差点で左折、白山通りへ出る。

本妙寺(明暦の大火供養塔、遠山金四郎景元墓所)

 本妙寺は、天正20年(1592年)の徳川家康の関東移封により、浜松から移され、山門脇に史跡がどこにあるか分かりやすい境内案内図がある。明暦の大火の出火元で有名で入ってすぐに関宿藩主久世大和守歴代の墓があり、本堂横に 明暦の大火(振袖火事)の供養塔がある。
 明暦の大火は江戸の半分以上を焼いた大火で、本妙寺で曰く因縁のある振袖を焼いたことが出火の一因(異説あり)と言われる。犠牲者10万人以上と言われ、菩提を弔うため両国回向院が建立された。史跡墓所には、囲碁家元の本因坊歴代の墓、遠山金四郎景元の墓、千葉周作の墓などがある。

慈眼寺(司馬江漢墓所、芥川龍之介墓所)

 慈眼寺の山門左に墓所入口がある。墓所には司馬江漢、斉藤鶴磯、赤穂義士討ち入りの際、斬死した吉良家の小林平八郎、芥川龍之介、谷崎潤一郎、比翼塚があることになっているが、小林平八郎の墓と比翼塚は見当たらなかった。芥川龍之介の墓の案内柱は墓所のはずれに近いところにあり、左折して突き当りに芥川家の墓、左に龍之介単独の墓がある。谷崎潤一郎の墓は、芥川龍之介の墓の案内柱の裏にあるが見落としやすい。司馬江漢の墓は、墓所のほとんど外れの一画の入口にあたり、その後ろに斉藤鶴磯の墓がある。






 
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