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明治通り(バイパス) 都営新宿線 新宿三丁目駅
地上に出ると明治通り(バイパス)で、左折して新宿二丁目交差点に向かう。 |
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明治通り(バイパス) 新宿柳通り交差点 |
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明治通り(バイパス) 新宿二丁目交差点で左折、新宿通りへ |
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新宿通り 新宿一丁目西交差点手前 新宿交番角で左折
丸ノ内線新宿御苑前駅がある新宿一丁目西交差点の手前にある新宿交番角で左折する。 |
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突き当たりにある太宗寺
角を曲がると正面突き当りに太宗寺が見える。 |
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新宿通り 太宗寺 内藤新宿太宗寺の文化財
太宗寺は、慶長年間初頭(1596頃)に僧太宗の開いた草庵を前身とし、のちの信州高遠藩主内藤家の菩提寺として発展した寺院です。
かつての内藤新宿の仲町に位置し「内藤新宿の閻魔」「しょうづかのばあさん」として江戸庶民に親しまれた閻魔像・奪衣婆像や、江戸の出入口に安置された「江戸六地蔵」のひとつである銅造地蔵菩薩など、当時の面影をのこす多数の文化財が伝えられています。
ミニ博物館「内藤新宿太宗寺の文化財」では、太宗寺に伝えられる文化財や、内藤新宿の歴史などを紹介しています。ぜひ、ご覧下さい。 |
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新宿通り 太宗寺 江戸六地蔵 |
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新宿通り 太宗寺 江戸六地蔵 |
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新宿通り 太宗寺 江戸六地蔵
江戸時代の前期に、江戸に出入口六ヶ所に造立された「江戸六地蔵」のひとつです。
銅造で像高は二六七センチメートル、正徳二年(一七一二)九月に「江戸六地蔵」の三番目として甲州街道沿いに造立されたもので、製作者は神田銅町の鋳物師太田駿河守正儀です。
なお、像内には小型の銅造六地蔵六体をはじめ、寄進者名簿などが納入されていました。
「江戸六地蔵」は、深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの寄進者を得て造立したものです。各像にはその名前が刻まれていますが、その合計は七万二千名以上におよんでいました。
この他の「江戸六地蔵」は次のとおりですが、永代寺のものは現存していません。
品川寺 品川区南品川三丁目
東禅寺 台東区東浅草二丁目
太宗寺 新宿区新宿二丁目
真性寺 豊島区巣鴨三丁目
霊巌寺 江東区白河一丁目
永代寺 江東区(消滅)・・・深川不動尊に遺構あり |
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新宿通り 太宗寺 閻魔堂 |
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新宿通り 太宗寺 本堂 |
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新宿通り 太宗寺 不動堂
三日月不動像
顔の上に銀製の三日月をもつため、通称三日月不動と呼ばれる不動明王の立像です。
銅造で、像高は一九四センチ、火炎光背の総高は二四三センチ。江戸時代のさくですが、制作年・作者などは不明です。
寺伝によれば、この像は高尾山蔵王院に奉納するため甲州街道を運搬中、休息のため立寄った太宗寺境内で盤石のごとく動かなくなったため、不動堂を建立し安置したと伝えられています。
なお、額上の三日月は「弦月の遍く照らし、大空をかける飛禽の顔に至るまで、あまねく済度せん」との誓願によるものと言われています。このため、像の上の屋根には窓が取り付けられ、空を望むことができます。 |
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新宿通り 太宗寺 不動堂
新宿山の手七福神 布袋尊像
新宿山の手七福神は.昭和初期に有志により創設されたもので、太宗寺(布袋尊)・鬼王神杜(恵比須神)・永福寺(福禄寿)・厳島神社(弁財天)・法善寺(寿老人)・経王寺(大黒天)・善国寺(毘沙門天)の七ヶ所となっています。
布袋尊は中国の禅僧がモデルで、豊かな暮らしと円満な家庭の守護像です。 |
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新宿通り 太宗寺 塩かけ地蔵尊 |
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新宿通り 新宿一丁目西交差点 丸ノ内線 新宿御苑前駅 |