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H291011-12 羽田〜パリ〜ヴェルサイユ


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  H291011 羽田〜パリ〜ヴェルサイユ

 羽田空港の国際線ターミナルゲートを離れ、離陸体制に入るが空港は濃霧である。離陸してすぐ左の雲海に浮かぶ富士山に見送られ、関東平野を北上して佐渡ヶ島を経て日本海を渡りシベリア大陸に向かう。シベリア大陸上空を飛行し、離陸後9時間でロシアとウクライナ国境近くを進む。ヨーロッパ上空を飛行して離陸後約12時間でパリのドゴール空港に着く。入国審査後、バスで約1時間かけてヴェルサイユにあるトリアノン・パレス・ヴェルサイユホテルに向かう。

  H291012 ヴェルサイユ宮殿〜トリアノン宮殿

 駐車場があるヴェルサイユ宮殿正面のアルム広場から手荷物検査場がある外門を通り、宮殿入口がある内門に向かう。門の上部の円部分にはフランス王家の紋章であるユリの花(フルール・ド・リス)が描かれている。内門左手の北翼の団体用入口に向かう。ロシアからの大団体が数グループに分かれ、他にも幾つかの団体があり、狭い入り口を入って左折すると手荷物検査がある。これは空港のようにX線検査もあるのでなかなか進まず、長蛇の列が出来る原因となっている。手荷物検査場を過ぎ、ホールに出て階段を上り2階へ行くとヘラクレスの間である。フランス革命の当事者であるルイ16世が左上角に臨席のもと、1789年に開かれた三部会の状況を表した絵などが所狭しと掲げられている。ヘラクレスの間から王室礼拝堂へ進む。この礼拝堂は、ルイ14世時代にヴェルサイユで建立された最後の建造物である。
 ヘラクレスの間へ戻り豊穣の間に進む。この部屋には、かつてルイ14世の貴重な所蔵品が置かれていた。ヴィーナスの間は正殿の夜会では軽食をとる場所として使われ、『ローマ皇帝の姿で描かれたルイ14世全身像』も置かれている。天井の楕円部には、この広間の名前の由来となった『神々と強大国を従わせるヴィーナス』が描かれている。ディアナの間は部屋の装飾はすべてディアナ女神の伝説に関するものである。マルスの間は1682年まで「衛兵の間」として使用されていた。後にここは≪正殿の夜会≫の際に音楽会を開く場所となり、ルイ15世の公式肖像画がある。アポロンの間を経て 「戦争の間」は、オランダ戦争でのルイ14世の勝利と終戦時(1678年)の「ナイメーヘンの和約」をテーマとしている。
 鏡の回廊は、王家の結婚式に際して、盛装舞踏会や仮面舞踏会などの宴も大々的に催された。後に鏡の回廊は、『普仏戦争』 に勝利したプロイセン王のウィルヘルム一世によって、ドイツ帝国の建国宣言がなされ、同時にドイツ皇帝の戴冠式が行われた。その意趣返しとして、第一次大戦のパリ講和会議の調印式がこの鏡の回廊で行われた。鏡の回廊の中央付近から王の寝室に向かう。 この部屋は、初期の城館の頃から建物の中心部にあった大広間で、立派な天蓋付きのベッドであるが、ルイ14世は身長が160cm程度だったので驚くほど小さい。牛眼の控えの間、王の食事の間と経て2階から1階へ下り、王の中庭に出る。

 中央棟沿いに庭園を歩き、水の前庭に向かう。水の前庭は、中央棟に対して左右2ヶ所の長方形の泉水で構成され、周囲にブロンズ像が置かれている。ルノートルは建物のすぐそばに、階上からも眺められる「水の前庭」をつくり、これによって宮殿の建物を引き立たせようとした。 水の庭園の先には金色の様々な像が飾られたラトナの泉水があり、その奥にはアポロンの泉水、十字型の大運河が見える。これらは中央棟と直角に交差する形になっている。ヴェルサイユ宮殿自体も大きな建物であるが、庭園部分はそれを遥かに凌ぐ広大なエリアである。様々な金色の像が並べられているが、カエルが圧倒的に多い。リュキアの村人たちにバ力にされたアポロンの母親ラトナはゼウスに彼らへの復讐を頼み、村人たちをカエルに変えてしまった。広大な庭園を巡ることは時間的に無理なので、駐車場からバスに乗り、大トリアノン宮殿に向かう。
 降り出した雨の中、大トリアノン宮殿の外門から内門に向かう。大トリアノン宮殿は1668年、ルイ14世がトリアノンの村を購入してヴェルサイユの領地に併合し、この村の建物を取り壊し、1670年に館を建てた。 左翼から入り、皇后の私室は以前はナポレオンの母君の私室だったが、後にルイ・フィリップの居室の一部となった。鏡の間、皇后の寝室、領主達の控えの間と過ぎて柱廊に至る。柱廊の左は円柱で、右は装飾付きの角柱であり、その違いの美しさと風の流れを良くする目的があったとのことである。右翼に進み、円形の間、皇帝の家族の間、ルイ15世の遊戯の間、ルイ・フィリップ王の家族の間と進む。孔雀石の間には、ロシア皇帝アレクサンドル一世がナポレオンに贈ったウラル地方の孔雀石で作られた家具一式が置かれている。
 柱廊の円柱から出ると庭園で、藤色花が咲き乱れる花壇である。花壇から見た宮殿は中央が柱廊で、右手が大トリアノン宮殿の左翼、左手が右翼である。庭園の右手に進むと、ヴェルサイユ宮殿の大運河の十字架の右翼に相当する船着き場に着く。ヴェルサイユ宮殿の庭園は非常に広大であり、大運河が大トリアノン宮殿の船着き場とはすぐには思いつかず、地図で確認するほどである。庭園を東進し、宮殿右翼を回り込むと小トリアノン宮殿入口に至る。

 小トリアノン宮殿はルイ15世とポンパドゥール侯爵夫人の私的な使用を目的に建てられたが、ルイ16世から贈られた王妃マリー=アントワネットは、庭園の大部分を英国式庭園に改造し、村里や製造所を付け加えた。庭園を東進、狩りの時の休息用の館、小トリアノン宮殿を過ぎ、王妃の劇場を見物する。マリー・アントワネットは、演劇に凝っており、自分の劇団を組織して、女官達を団員として、定期的に公演を行っていた。マリー・アントワネットの肖像画が飾られた小トリアノン宮殿を見物し、庭園を北東に進み、マリーアントワネットの村里へ向かう。
 小トリアノン宮殿の庭園を北東に進み、マリーアントワネットの村里へ歩く。しばらく行くと池の半周を使って様々な建物が建つマリーアントワネットの村里に着く。まず特徴的な形のマルボローの塔(釣り場の搭)を過ぎ、工事中の王妃の家を経て水車小屋に至る。小トリアノンの庭園に戻り、愛の殿堂に立ち寄る。夫に公務がない午後、小トリアノンまで妻に会いに来るルイ16世を、庭園の一角に建てさせた『愛の殿堂』で、出迎えるのがしきたりであった。小トリアノン宮殿内を通って出口に向かい、黄葉の並木道を歩いて外門へ行き、バスでヴェルサイユ宮殿近くのホテルに戻る。





 
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