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【関連サイト】   モン・サン・ミッシェル散策H240331(パリ〜高速道路〜モン・サン・ミッシェル堤防)
モン・サン・ミッシェル散策H240331(モン・サン・ミッシェル(入口〜参道〜サン・ピエール教会))
モン・サン・ミッシェル散策H240331(モン・サン・ミッシェル(修道院 哨兵の門〜大階段〜付属教会))
モン・サン・ミッシェル散策H240331(モン・サン・ミッシェル(西側テラス〜列柱廊〜修道士食堂))
    モン・サン・ミッシェル散策H240331(モン・サン・ミッシェル(王侯・騎士の食堂〜付属教会 地下墓地〜大通り門))
    パリ散策(オペラ通り、ルーブル美術館、オルセー美術館)H240330(オペラ座〜オペラ通り〜ルーブル美術館)
    パリ散策(オペラ通り、ルーブル美術館、オルセー美術館)H240330(ルーブル美術館散策)
    パリ散策(オペラ通り、ルーブル美術館、オルセー美術館)H240330(チュイルリー公園〜コンコルド広場) 
     

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  H291011-12 羽田〜パリ〜ヴェルサイユ

 羽田空港の国際線ターミナルゲートを離れ、離陸体制に入るが空港は濃霧である。離陸してすぐ左の雲海に浮かぶ富士山に見送られ、関東平野を北上して佐渡ヶ島を経て日本海を渡りシベリア大陸に向かう。シベリア大陸上空を飛行し、離陸後9時間でロシアとウクライナ国境近くを進む。ヨーロッパ上空を飛行して離陸後約12時間でパリのドゴール空港に着く。入国審査後、バスで約1時間かけてヴェルサイユにあるトリアノン・パレス・ヴェルサイユホテルに向かう。

 駐車場があるヴェルサイユ宮殿正面のアルム広場から手荷物検査場がある外門を通り、宮殿入口がある内門に向かう。門の上部の円部分にはフランス王家の紋章であるユリの花(フルール・ド・リス)が描かれている。内門左手の北翼の団体用入口に向かう。ロシアからの大団体が数グループに分かれ、他にも幾つかの団体があり、狭い入り口を入って左折すると手荷物検査がある。これは空港のようにX線検査もあるのでなかなか進まず、長蛇の列が出来る原因となっている。手荷物検査場を過ぎ、ホールに出て階段を上り2階へ行くとヘラクレスの間である。フランス革命の当事者であるルイ16世が左上角に臨席のもと、1789年に開かれた三部会の状況を表した絵などが所狭しと掲げられている。ヘラクレスの間から王室礼拝堂へ進む。この礼拝堂は、ルイ14世時代にヴェルサイユで建立された最後の建造物である。
 ヘラクレスの間へ戻り豊穣の間に進む。この部屋には、かつてルイ14世の貴重な所蔵品が置かれていた。ヴィーナスの間は正殿の夜会では軽食をとる場所として使われ、『ローマ皇帝の姿で描かれたルイ14世全身像』も置かれている。天井の楕円部には、この広間の名前の由来となった『神々と強大国を従わせるヴィーナス』が描かれている。ディアナの間は部屋の装飾はすべてディアナ女神の伝説に関するものである。マルスの間は1682年まで「衛兵の間」として使用されていた。後にここは≪正殿の夜会≫の際に音楽会を開く場所となり、ルイ15世の公式肖像画がある。アポロンの間を経て 「戦争の間」は、オランダ戦争でのルイ14世の勝利と終戦時(1678年)の「ナイメーヘンの和約」をテーマとしている。
 鏡の回廊は、王家の結婚式に際して、盛装舞踏会や仮面舞踏会などの宴も大々的に催された。後に鏡の回廊は、『普仏戦争』 に勝利したプロイセン王のウィルヘルム一世によって、ドイツ帝国の建国宣言がなされ、同時にドイツ皇帝の戴冠式が行われた。その意趣返しとして、第一次大戦のパリ講和会議の調印式がこの鏡の回廊で行われた。鏡の回廊の中央付近から王の寝室に向かう。 この部屋は、初期の城館の頃から建物の中心部にあった大広間で、立派な天蓋付きのベッドであるが、ルイ14世は身長が160cm程度だったので驚くほど小さい。牛眼の控えの間、王の食事の間と経て2階から1階へ下り、王の中庭に出る。
 中央棟沿いに庭園を歩き、水の前庭に向かう。水の前庭は、中央棟に対して左右2ヶ所の長方形の泉水で構成され、周囲にブロンズ像が置かれている。ルノートルは建物のすぐそばに、階上からも眺められる「水の前庭」をつくり、これによって宮殿の建物を引き立たせようとした。 水の庭園の先には金色の様々な像が飾られたラトナの泉水があり、その奥にはアポロンの泉水、十字型の大運河が見える。これらは中央棟と直角に交差する形になっている。ヴェルサイユ宮殿自体も大きな建物であるが、庭園部分はそれを遥かに凌ぐ広大なエリアである。様々な金色の像が並べられているが、カエルが圧倒的に多い。リュキアの村人たちにバ力にされたアポロンの母親ラトナはゼウスに彼らへの復讐を頼み、村人たちをカエルに変えてしまった。広大な庭園を巡ることは時間的に無理なので、駐車場からバスに乗り、大トリアノン宮殿に向かう。
 降り出した雨の中、大トリアノン宮殿の外門から内門に向かう。大トリアノン宮殿は1668年、ルイ14世がトリアノンの村を購入してヴェルサイユの領地に併合し、この村の建物を取り壊し、1670年に館を建てた。 左翼から入り、皇后の私室は以前はナポレオンの母君の私室だったが、後にルイ・フィリップの居室の一部となった。鏡の間、皇后の寝室、領主達の控えの間と過ぎて柱廊に至る。柱廊の左は円柱で、右は装飾付きの角柱であり、その違いの美しさと風の流れを良くする目的があったとのことである。右翼に進み、円形の間、皇帝の家族の間、ルイ15世の遊戯の間、ルイ・フィリップ王の家族の間と進む。孔雀石の間には、ロシア皇帝アレクサンドル一世がナポレオンに贈ったウラル地方の孔雀石で作られた家具一式が置かれている。
 柱廊の円柱から出ると庭園で、藤色花が咲き乱れる花壇である。花壇から見た宮殿は中央が柱廊で、右手が大トリアノン宮殿の左翼、左手が右翼である。庭園の右手に進むと、ヴェルサイユ宮殿の大運河の十字架の右翼に相当する船着き場に着く。ヴェルサイユ宮殿の庭園は非常に広大であり、大運河が大トリアノン宮殿の船着き場とはすぐには思いつかず、地図で確認するほどである。庭園を東進し、宮殿右翼を回り込むと小トリアノン宮殿入口に至る。
 小トリアノン宮殿はルイ15世とポンパドゥール侯爵夫人の私的な使用を目的に建てられたが、ルイ16世から贈られた王妃マリー=アントワネットは、庭園の大部分を英国式庭園に改造し、村里や製造所を付け加えた。庭園を東進、狩りの時の休息用の館、小トリアノン宮殿を過ぎ、王妃の劇場を見物する。マリー・アントワネットは、演劇に凝っており、自分の劇団を組織して、女官達を団員として、定期的に公演を行っていた。マリー・アントワネットの肖像画が飾られた小トリアノン宮殿を見物し、庭園を北東に進み、マリーアントワネットの村里へ向かう。
 小トリアノン宮殿の庭園を北東に進み、マリーアントワネットの村里へ歩く。しばらく行くと池の半周を使って様々な建物が建つマリーアントワネットの村里に着く。まず特徴的な形のマルボローの塔(釣り場の搭)を過ぎ、工事中の王妃の家を経て水車小屋に至る。小トリアノンの庭園に戻り、愛の殿堂に立ち寄る。夫に公務がない午後、小トリアノンまで妻に会いに来るルイ16世を、庭園の一角に建てさせた『愛の殿堂』で、出迎えるのがしきたりであった。小トリアノン宮殿内を通って出口に向かい、黄葉の並木道を歩いて外門へ行き、バスでヴェルサイユ宮殿近くのホテルに戻る。

  H291013-15 シャンボール城〜シュノンソー城〜モン・サン・ミッシェル〜ジヴェルニーのモネの家

 ヴェルサイユのホテルから牛や羊などの牧場を見ながら濃霧の高速道路を走り、途中のパーキングエリアでトイレ休憩を挟んでシャンボール城に向かう。この日に限らず、午前中は濃霧に覆われ、ある時点で一気に霧が晴れるということの繰り返しだった。霧もある時は深くて先が見えないが、少し経つとかなり薄くなるの連続だった。
 駐車場から土産物ショップを過ぎ、シャンボール城の裏手を見つつ遊歩道を歩いて正面入口へ向かう。シャンボール城は、ロワール渓谷最大の威容を誇るが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城で、中央の本丸と4つの巨大な塔が特徴で、正面からの美しい姿を撮る観光客が引きも切らない。建築上の見所の一つに、二重螺旋の階段が挙げられ、二つの階段を使えば、相手に出会うことなく3階まで昇り降りができる。城の表示は0階から始まるが、これはヨーロッパの独特の階数の表示で、地上階のことであり、日本で言う1階である。2階のサックス元帥のファイアンス陶器製暖炉、当時使われていたカードが展示されている娯楽室、王の寝室と儀式用の寝台、王妃の間、フランソワ1世の間などを見物する。
 テラスから複雑な尖塔や屋根など城や、正面入口、フランス式庭園を楽しんだ後、二重螺旋階段を下りて中庭に着く。そこから遊歩道を歩いて駐車場へ向かう。
 シュノンソー城の入園入口で手荷物検査を受けた後、並木道を南下、城の前園を進み、城の手前で右折してカトリーヌ庭園へ向かう。シェール川の水面にシュノンソー城がきれいに写っている。
 シェール川に架かる橋を渡ってシュノンソー城に入ると礼拝堂があり、壁には今も、女王メアリー・スチュワートのスコツトランド衛兵隊が刻んだ英語の文が残っている。入口右側には、1543年の「人の怒りは神め裁きを成さず」と、1546年の「悪に征服されるべからず」の言葉が見られる。ギャラリー(回廊)は、第一次世界大戦中は、当時の城の所有者であったガストン・ムニエ氏が自費で城を病院に改装し、部屋は全て病院の各業務に割り当てられた。いろいろな調理器具や野菜や花の作り物で飾られた厨房、ルイ14世のサロンにあり上に飾られたサラマンダーと白鼬の紋章はフランソワ1世と王妃クロード・ド・フランスの滞在を表しているルネッサンス様式の暖炉、窓越しに見たマルク家の塔、前庭、セザール・ド・ヴァンドームの居室などを見物する。
 農園を北上、引き馬のギャラリーでは、貴族が乗っていたものから、農作業に使われていたものまで、他では見ることのできない数々の馬車が展示されている。花畑を通り、ロバの牧場、並木道を経て入口の土産物ショップに至る。

 昼食のためパットン広場近くのレストランで昼食となった。前菜のカマンベールチーズのフライは切るとトロリとチーズが流れ、ワインやビールのツマミとして美味しい。このレストランはかつての馬車宿で、中庭は花や木々が美しい。ガイドからパットン広場にノルマンディー上陸作戦の2ヶ月後にパットン戦車軍団がこの町を解放したことを記念する解放記念碑がある、との説明があり、見物した。そこからモン・サン・ミッシェルまでは近かった。
 モン・サン・ミッシェルは5年半前に来ているが、当時は堤防に駐車場があったが、今はかなり手前になり、シャトルバスを使うことになり、堤防横の歩道も整備されていた。ホテルでチェックインの後、シャトルバスで堤防まで来て全山岩山のモン・サン・ミッシェルを眺めた後、大通り門から入る。狭い土産物商店街は観光客で溢れ、名物プラールおばさんの「ふわふわオムレツ」店などを眺めながら歩く。前回は商店街を歩いた先の正面入口から入ったサン・ピエール教会は、今回は商店街の途中から狭く急な階段を上って横の入口から入る。大天使ミカエルの像や礼拝堂を見て正面入口から出ると、ジャンヌ・ダルクの立像がある。
 修道院に向けて狭く、急な階段を上リ続け、最後に長い階段を上り切った所が修道院入口の哨兵の門である。しかし、哨兵の門を通ってからもかなり急な階段が続き、その先にあるチケット売り場は昔の守衛室であった。さらに大階段を上り聖堂へ向かうが、5年半前の前回と違い古稀過ぎの腰痛持ちなので時折屈伸運動を繰り返しながら歩いた。難行苦行の末に西側テラスに出ると付属教会の聖堂があり、尖塔には金色の大天使ミカエルがある。添乗員から後は下りるだけだ、と聞いた時は正直ホッとした。テラスからは島を取り囲む海が見える。昔は堤防がなく、潮が引いた時に歩いたとのことで、潮の満ちた時には孤島となり、取り残された巡礼者が溺死した。
 西側テラスにある修道院の付属教会の聖堂に入ると、華やかさはないが歴史を感じさせる。ラ・メルヴェイユ(驚嘆)の 庭園と柱列廊は、工事中で前回見た時の美しさはない。修道院の居住区画として13世紀に増築されたが、その装飾の美しさからラ・メルヴェイユ(驚嘆)と呼ばれる。階段を下り、ラ・メルヴェイユ(驚嘆)の修道士の食堂と呼ばれる大広間、柱や天井が美しい迎賓の間、地下墓地、地下倉庫の荷物昇降用の大車輪、書写室、聖ミカエル騎士団の騎士室などを見て修道院を出る。
 薄暗い修道院を抜けるとまだ日は高く、城壁沿いの道を下るが階段で休む人が多い。道は緩やかで歩きやすく、哨兵の門への階段の途中に出る。そこからは行きに歩いた階段を下っていき、サン・ピエール教会の左側の土産物商店街に進む。行きに比べ日没まで1時間ほどのせいか人出は少なくなっており、楽に大通り門を出て堤防に向かう。シャトルバス乗り場は大混雑であるが、大型バス2台を連結しており、2台目の便でホテルに戻った。夕食の前菜には名物「ふわふわオムレツ」が供された。

 快晴の高速道路をひたすら走るが、牛や羊の牧場が当たり前だったが、紅葉、黄葉の並木が目立つようになる。セーヌ川を渡り、渓谷沿いのレストランで昼食をとる。
 ジヴェルニーのモネの家は、道路を挟んで南側に駐車場と睡蓮の池、北側に庭園と邸宅がある。睡蓮の池のエリアに入り、池に引水するため作られたエプト川支流に沿って東進、エプト川支流に架かる橋を渡る。睡蓮の池を反時計回りに巡るとモネの有名な絵と同じ構図の場所が出てくる。観光客が多く、有名な撮影ポイントは渋滞が起きてなかなか進めない。時期的に睡蓮の花はなく、柳の枝もいささか伸びすぎて池に垂れ下がっているのが残念である。フジの垂れる日本橋を渡り、庭園に向かう。
 睡蓮の池から連絡地下道を通って庭園に出て、道路沿いに東進する。睡蓮の池も混んでいたが、庭園はそれ以上に混んでおり、一寸刻みで歩く。庭園は南側の道路沿いに東西に遊歩道があり、その道に畝のように南北に走る小道がある。何故かこの小道には誰も入らない。理由は分からないが、立入禁止の表示がなされているのかもしれない。畝ごとの花に何らかのテーマがあるのかは分からないが、いずれの花もきれいに咲いていて、全体として見事な庭園になっている。庭園の端から北上してすぐに豊橋市から贈られた次郎柿がある。庭園の東北の端で、左にモネの邸宅があり、右奥には土産物ショップがある。
 邸宅見物の最初の部屋が青の部屋で、壁一面に様々な浮世絵が飾られている。続く部屋はモネ最初のアトリエであるサロン・アトリエで、2階に上るとモネが息を引き取ったモネの寝室である。続いて再婚したアリスの部屋、写楽などの顔を描いた浮世絵が飾られたアリスの寝室、アリスの連れ子であるブランシュの寝室となる。「黄金に輝く太陽の光にあふれた」ダイニングルーム、ルーアン産の青と白のタイルの台所と経て邸宅を出る。モネの家を出て北辺、西辺の塀を回って駐車場に向かう。
 見物を終えたジヴェルニーのモネの家周辺は田舎風景であり、木々は紅葉、黄葉で彩られており美しい。セーヌ川やエッフェル塔の風景を見つつ、パリのホテルに向かう。 ホテル スクリーブ パリは、オペラ座近くのスクリーブ通り沿いにあるホテルである。オペラ座にはスクリーブ通りを200mほど北上すれば良い。

  H291016 ルーブル美術館〜ノートルダム大聖堂〜セーヌ川遊覧

 オプショナルツアーとして申し込んだルーブル美術館の集合場所に行くため、8時半にホテルを出た。ホテルから小路のドヌー通りを南東に進み、オペラ通りに出て右折して南下する。6人のツアーはリシュリュー翼からルーブル美術館に入るが、開館前なのでルイ14世騎馬像があるナポレオン広場や、シュリー翼の門を通りカレ広場などを見物する。ピラミッドの中央入口は長い列が出来ているのでリシュリュー翼の入り口に向かい、手荷物検査を受けて入館する。
 ピラミッドの中央入口から入ると−2階のナポレオンホールに出る。ここからそれぞれの見物場所に向かう。ピラミッドのガラスが天井になっていて美しい。階の表示が日本と違い、ホテル同様地上階が0階である。従って、ナポレオンホールは地下2階である。−1階のルーブル濠の跡を経てシュリー翼0階の古代エジプトコーナーのタニスの大スフィンクスを過ぎ、0階古代ギリシャコーナーでミロのヴィーナスやドゥノン翼0階のダリュの階段に展示されたサモトレケのニケが素晴らしい。写真では全身像しか見ないサモトレケのニケが大きな船の舳先に立っているのには驚いた。
 ドゥノン翼1階のイタリア絵画コーナーは、6人の天使に囲まれた聖母子や聖母子と幼児世ヨハネなどの宗教画が並ぶ。フィレンツェやローマなどの美術館にある宗教画を規模を小さくして見ているような気がした。ギリシャ彫刻のコーナーよりも人は多いが、さして気にするほどでもない。ところが人気のモナリザは大きな部屋に飾られているが、押すな押すな状態で近づくのも大変である。しかも独特のくすみ感がある絵を撮ることが出来ない。ガイドに言わせると照明の関係とか、額のガラスなどの影響だそうである。
 ドゥノン翼2階のフランス絵画コーナーは広い回廊にもかかわらず、モナリザ並みの大混雑で有名な絵には近づくのも大変である。高校時代の西洋史の教科書に載っていたナポレオン1世の戴冠式やメデゥーズ号の筏、7月28日民衆を導く自由の女神などを見た後、ミケランジェロ作の奴隷があるドゥノン翼0階のイタリア彫刻コーナーに向かう。サモトレケのニケ像を過ぎて、ドゥノン翼1階のアポロンのギャラリーでルイ15世の王冠などの宝石類を見る。最後にリシュリュー翼0階の古代オリエントコーナーで、ハンムラビ法典の石碑や有翼人面牡牛像を見てルーブル美術館見物を終える。
 ナポレオンホールでルーブル美術館見学ツアーは解散した。昼食をと思ったが、ルーブル美術館に接続するどの店も大混雑で入れず、有料トイレで用を済ませた後、地上に出てナポレオン広場に出た。カルーゼル凱旋門横の木陰でサンドイッチ店で買ったパンとコーラで昼食をとる。セーヌ川に架かるロワイヤル橋北詰で左折、フランソワ・ミッテラン通りを東進、ロワイヤル橋、ルーブル美術館ドゥノン翼、四隅に女神像があるキャルーゼル橋、愛の南京錠事件のポン・デ・ザール、ヌフ橋と過ぎてオー・シャンジュ橋を渡って中洲のシテ島に向かう。
 オー・シャンジュ橋を渡ってシテ島に入り左折、コルス通りを東進、ノートルダム橋手前で騎馬警官や警備車両、自動小銃を持った迷彩服の兵士を見る。コルス通りのアルゴル橋で右折、アルゴル通りを南下するとノートルダム大聖堂である。しかし、理由は分からないが入場制限で大聖堂に入れず、何人かの観光客が抗議したが相手にされなかった。止むを得ず、正面広場でノートルダム大聖堂を見物した後、シテ通りのノートルダム橋を渡って左折、モンテペロ通りへ入り東進、ドゥブル橋にあるセーヌ川遊覧船の河岸に至る。

 ドゥブル橋にあるセーヌ川遊覧船の河岸からノートルダム大聖堂を見ながら上流を遡り、シテ島に続く中洲のサン・ルイ島の先のシュリー橋を過ぎて左に回頭、サン・ルイ島の右側を下流のエッフェル塔に進む。快晴の青空の元、ルイ・フィリップ橋、ノートルダム橋、愛の南京錠事件のポン・デ・ザールへと航行する。
 遊覧船からルーブル美術館ドゥノン翼や、オルセー美術館、フランス国会議事堂などを眺めつつ、ロワイヤル橋、コンコルド橋と過ぎてゆく。四隅の17mの柱に女神が飾られた華麗さで知られるアレクサンドル3世橋を過ぎると左遠方にエッフェル塔が見えだす。岸には準備中と思われるディナークルーズ船が何隻も停泊し、大小様々な遊覧船とすれ違う。アルマ橋、ドゥビリ橋と過ぎる毎にエッフェル塔は大きく見えだし、正面に見えるイエナ橋を過ぎてビル・アケム橋手前で左に回頭、上流に戻る。
 セーヌ川を上流のノートルダム大聖堂に向かい航行、イエナ橋でエッフェル塔が目の前に見えるが、近すぎて垂直の写真が撮れなかった。観光客が鈴なりで、普通の遊覧船を数隻つなげたような超大型の遊覧船と立て続けにすれ違い、アルマ橋、アンヴァリッド橋と過ぎる。アレクサンドル3世橋の北詰にかまぼこ型の国立グラン・パレ美術館であるが、行きは遊覧船が北岸近くを航行したため、見ることが出来なかった。
 上流のノートルダム大聖堂に向かって航行し、レオポール・セダール・サンゴール橋、オルセー美術館、キャルーセル橋、ポン・デ・ザールと過ぎていく。行きはセーヌ川の北岸近くを、帰りは南岸近くを航行するので、同じ場所でも景色が微妙に異なる。中洲のシテ島の右側の水路を航行、ヌフ橋、サン・ミッシェル橋、ノートルダム橋と経て、ドゥブル橋のセーヌ川遊覧船の河岸に着く。
 ドゥブル橋のセーヌ川遊覧船の河岸からモンテペロ通りをセーヌ川に沿って西進、シテ通りのノートルダム橋を渡って左折、マルシェ・ヌフ通りへ入って西進する。オルフェーウル通りを進み右折してポン・ヌフ広場へ進む。南京錠が所狭しとびっしりと付けられているヌフ橋を北上、渡った所で左折しルーブル通りを西進する。ルーブル美術館のシュリー翼のカレ広場で休憩する。ルーブル美術館の階段を上り降りした疲れは遊覧船で取れた気がしたが、さすがに残っていた。オペラ通りに出て北上、ホテルに向かう。

  H291017 サヴォア邸〜トロカデロ公園〜ドゴール空港

 サヴォア邸は、ル・コルビュジエが設計したフランス、パリ郊外のポワシーにある近代建築の住宅で1931年に竣工した。ル・コルビュジエは上野の西洋美術館の設計をしており、「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。サヴォア邸は、第2次大戦でドイツやアメリアの占領で荒廃したが、戦後整備され、85年前の邸宅とは思えないほどである。
 帰国便の機体トラブルで4時間以上出発が遅れるため、当初計画になかったトロカデロ公園に立ち寄ることになった。トロカデロ公園はセーヌ川の北岸にあり、セーヌ川を挟んで南岸にエッフェル塔がある。セーヌ川に架けられた橋がイエナ橋である。シャイヨ宮の南翼の国立海洋博物館と東翼のシテ建築遺産博物館の間の空間の先にエッフェル塔が聳え立ち、セーヌ川は見えず、あたかもトロカデロ庭園をひたすら歩くとエッフェル塔に着くかの錯覚を覚える。
 トロカデロ公園からドゴール空港まで夕闇が迫る中最後のパリ市内見物をしながらバスは走る。バスはセーヌ川沿いを走り、アレクサンドル3世橋、コンコルド橋、コンコルド広場を経て北上、ドゴール空港に至る。帰国便の飛行機は4時間遅れだったが、通常数時間掛かる清掃や出発時間を1時間で終え、翌日深夜の0時半に離陸、羽田には予定より3時間遅れで到着した。







 
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