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ドイツ、オーストリア周遊H250522-0529


 【目次】   ドイツ フランクフルト〜ロマンチック街道〜ミュンヘン 
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  オーストリア ミュンヘン〜世界遺産巡り〜ウィーン 
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  ドイツ フランクフルト〜ロマンチック街道〜ミュンヘン H250522-0525

 成田では快晴で暑く、ドイツのことを考えて長袖シャツで行ったが、フランクフルトからはうす寒く、着替えはスーツケースに入っているので少し困った。11時間のフライトを経て着いたフランクフルト空港は周囲を林で囲まれ、ルフトハンザ航空の飛行機だらけで、ヨーロッパで最も大きい空港といわれるが、巨大なドイツの地方空港のような雰囲気である。バスの車窓から広々とした田園やぶどう畑、ライン川を眺めてライン川下りの拠点であるリューデスハイムに至る。
 ドイツは夕方18時、遅くとも19時には閉店するため、夕食前にホテルからライン川沿いの道路で左折、つぐみ横丁へ入る。狭いつぐみ横丁にはガラス細工や木製品などの土産物店、レストランが並び、突き当りのレストランで右折、クリスマスミュージアムのケーテ・ウォルファルトやニーダーヴァルト展望台行きのゴンドラ乗り場などを見る。

 リューデスハイムのつぐみ横丁にある試飲販売のワイン専門店に立ち寄った後、 ちょうど2人が乗れるだけの小さなゴンドラでニーダーヴァルト展望台に向かう。ゴンドラの両脇は開放されているため、氷雨や寒風をモロに受けて震えながら山頂に向う。左手下にライン川が流れ、天気は悪いが風景は素晴らしく、右手には白ワイン用のぶどうの苗木が植えられた畑が続く。
 ニーダーヴァルト展望台からはライン川が一望でき、女神ゲルマニア像はライン川下りの船からも見ることができる巨像で、プロイセンのウイルヘルム1世が1871年(明治4年)の普仏戦争勝利によりドイツ統一がなったことを記念し、1883年(明治16年)に建てられた。バスで戻り、ライン川下りの乗船まで土産物店が並ぶつぐみ横丁で時間を過ごす。
 リューデスハイムからのライン川下りは、1時間ほど食事をした後に上部甲板でライン川を鑑賞する予定だった。しかし、乗船直後から氷雨が激しくなり、古城のラインシュタイン城、ゾーンエック城、ブファルツグラーフェンシュタイン城以降は水滴で眺望は全く効かなくなった。ローレライ間近で小ぶりになったので上部甲板に出たが、寒風が凄まじく、正確には分からないが4〜5℃ぐらいではないかと思う。寒さと寒風に震えながら撮影を始め、ライン川は次第に岸壁が迫る風景になっていく。
 水路が狭まって来る右岸に「LORELEY(ローレライ)」の銘板があり、船上にはドイツ語のローレライの歌が流れる。不実な恋人に絶望して身投げした乙女の歌う声が船頭を誘惑し、水難事故が多発したといわれる。ローレライの銘板からは少し離れた所にローレライの乙女像があり、まもなく下船場に着く。
 ライン川を遡上するバスから古城や遊覧船を見つつ、リューデスハイムに戻り、高速道路のアウトバーンを走行する。激しい雨で前方は全く見えず、フランクフルト空港の特徴ある形のヒルトン・フランクフルト エアーポートやサッカー場は、前を通ってもぼやけてその姿が見えないほどである。風力発電設備が並ぶアウトバーンをひたすら走り、ローテンブルクに向かう。
 中世ドイツの趣が残り、木組みの家並みが美しいローテンブルクを散策する。狭い市内に駐車できないため駐車場から歩いて17時過ぎにホテルでチェックインをする。ドイツは18時、遅くとも19時には閉店するのでまず土産物店に行き、その後ホテルに集合して市内散策を行う。
 市内の中心であるマルクト広場にある市庁舎、仕掛け時計が有名だが工事中の市議会員宴会場から始め、十字軍がエルサレムから持ち帰ったとされるキリストの聖血が祀られている聖ヤコブ教会を過ぎる。塔に顔が付けられており、敵が攻めてきた時にこの口から熱い油をかけたと言われるブルク門を出るとブルク公園で、ブルクガッセ、シュミードガッセと歩いてマルクト広場を経てホテルに向かう。

 広大な畑が続くロマンチック街道を南下、ホーエンシュヴァンガウに着き、駐車場から右にホーエンシュヴァンガウ城を見つつノイシュバンシュタイン城行きバス乗場がある土産物店に向かう。
 ノイシュバンシュタイン城行きバスの終点から林道を歩き、ペッラート峡谷に架かるマリエン橋に向かう。マリエン橋は19世紀半ばに皇太子だったマクシミリアンU世が木橋を架けさせ、1866年に鉄橋に架け替えられ、長さ45m、峡谷からの高さは91mである。ノイシュバンシュタイン城全景を裏から見ることができることで観光名所となっている。マリエン橋からホーエンシュヴァンガウ城を見つつ林道を歩き、ノイシュバンシュタイン城へ向かう。
 ノイシュバンシュタイン城の高い外壁を巡って入場門に着く。入場門から入った所に広場があり、その左奥にゲートがあり、5分刻みに指定されたチケットを読み込ませて入場する。入場まで時間があるので、横の階段を上って広場を見渡すテラスに向かう。入場門の背後には絶壁の岩山が聳え立つ。城の中は撮影禁止で、ルードヴィッヒU世が心血を注いで築き上げた美術品を見物する。
 ノイシュバンシュタイン城から遊歩道を下り馬車乗り場に着く。馬車は10人ほど集まらないと出発しないので時間が読めないが、趣があることと確実に座れるため人気がある。新緑の遊歩道をさらに下り、麓のホーエンシュヴァンガウの土産物店に着く。
 ノイシュバンシュタイン城の見物を終え、シュタインガーデンのヴィースの巡礼教会に立ち寄った後、 寒く、激しい雨の中を移動してフュッセンに至る。屋根裏に放置されていた「鞭打たれるキリスト像」を農婦が熱心に祈り続けたところ、涙を流したような跡があったとの噂が広まり、多くの巡礼者が訪れるようになった。

 外気温4℃と相変わらずの寒さでどんよりとした曇り空のもと、広々とした田園風景が続くなかをひたすらオーバーアマガウへ向かう。オーバーアマガウはペスト流行の1633年に立てた誓いにより、1634年から10年ごとに村民の演ずる大がかりな受難劇で有名である。キリスト受難劇劇場から木組みのホテルや土産物店が並ぶバーンホフ通りを東進してドルフ広場で右折、エッタラー通りへ進む。正面に見える冠雪したコンフェル(Kofel)山は独特の山容で標高1,342mである。エッタラー通りを南下し、カトリック教会、ホテル マキシミリアンと経て、グリム童話に題材をとったフレスコ画の町として有名な赤頭巾ちゃんの家、ヘンデルとグレーテルの家、ブレーメンの音楽隊の家、七匹の子山羊の家と続く。
 エッタラー通り を戻り、正面入口左右には墓碑が立てられているカトリック教会は外観からは想像できないほど立派な天井などの絵、祭壇がある。ドルフ広場で左折、バーンホフ通りを西進しキリスト受難劇劇場に戻る。
 激しい雨のアウトーバーンを走り、薄日が差してきたミュンヘン市内のニンフェンブルク宮殿を散策する。ニンフェンブルク宮殿は、バイエルン選帝侯フェルディナント・マリアの命により1675年完成、孫の神聖ローマ皇帝カール7世が現在の形にした。第一印象は横に広いが平板な宮殿である。 宮殿前には池があり、白鳥が戯れ、ウエディングドレスで盛装した新郎新婦が池や宮殿前で写真を撮っていた。
 ホテル前の地下鉄中央駅から地下鉄に乗り、オデオンスプラッツ駅に着くとオデオン広場があり、将軍堂と、黄色のテアティーナ教会がある。レジデンツ通りを南下し、最後のバイエルン選帝侯で初代のバイエルン王でもあるマクシミリアン4世のマックス・ヨーゼフ像が建つマックス・ヨーゼフ広場に着く。その左手にレジデンツ博物館入口がある。
 レジデンス博物館はバイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の本宮殿で、立派な博物館であるが、残念ながら日本語のガイド設備はなく、土産物店でも日本語ガイドブックは用意されていない。博物館入口には貝で作られたペルセウスの泉があり、続けてアンティクヴァリウム(考古館)がある。レジデンツ見学の最大の見どころであるが、とにかく長い、の一言に尽きる。説明がないので分からないが、壁に展示された胸像や天井画を見た後、黒ホールを経て中国、日本製の磁器コレクションのコーナーに着く。見ただけで伊万里焼、柿右衛門と分かるものが多いが、これらの品物は使用されず、最初から展示されていた。
 居住区には様々なタペストリーや寝具などが展示されており、ドイツの有力地方王族とはいえ、その豪奢ぶりは見事である。自由散策の時間なのでツアーガイドもつかず、日本語の案内やガイドブックがないので写真の説明ができないのが残念である。ただ、タペストリーによってはもっとも若いものでも100年を経ており、色褪せが目立つ。
 レジデンツ通りを南下し、先に新市庁舎の時計塔が見える工事中のマリエン公園の先のディーナー通りを進む。マリエン広場の噴水を通り右折、カウフィンガー通りへ出ると聖ペーター教会の尖塔の先が見えるマリエン広場となる。1867〜1909年に建設された高さ85mの新ゴシック様式の新市庁舎がある。マリエン広場には金のマリア像があるが、FCバイエルン・ミュンヘンの欧州チャンピオンズリーグでの優勝を祝い、祝杯を挙げるファンが溢れており、近づくことができなかった。
 FCバイエルン・ミュンヘンのユニホームを着たファンがビールを飲みながらファン同士でハイタッチを繰り返しながら歩き回っているカウフィンガー通りを西進する。さすがに酔っ払ったドイツ人にはいささか恐怖を覚え、素面の地元の人もさり気なく避けていた。カウフィンガー通りには様々な有名店が並び、土曜日なので買い物客が多く、ストリートミュージシャンもいた。タマネギ頭の2つの塔が目印で、1468〜88年に建設された聖母教会のフラウエン教会や、宗教改革に対抗して建てられたカトリック教会で1597年に完成した聖ミヒャエル教会と経て、地下鉄カールスプラッツ駅があるカールス広場を過ぎてバイアー通りに入り、地下鉄中央駅前のホテルに着く。

  オーストリア ザルツブルク〜世界遺産巡り〜ウィーン H250526-0529

 昨日の夕方のミュンヘンの好天はどこにいたのか、と思うほどどんよりした曇り空、で時折小雨がぱらつく中をアウトバーンを走った。ベルヒテスガーデンはオーストラリア国境の山岳地帯にあり、近くのオーバーザルツベルクにはヒットラーの別荘があった。ベルヒテスガーデンそのものにはさして観光の目玉があるわけでなく、登山や近くのケーニヒ湖で楽しむ長期滞在型の拠点である。
 北詰の指揮者カラヤンの生家から、恋人同士の名前を書いた南京錠が所狭しと掛けられているザルツァハ川に架かるシュターツ橋を渡る。黄色のモーツアルトの生家がある旧市街地の繁華街であるゲトライデガッセ通りを歩き、市場前のザルツブルク大学付属教会のコレーギエン教会を経て、レジデンツ広場、レジデンツ宮殿と見物していく。
 バロック様式とローマ風の建築様式が見事に調和した華麗な教会である大聖堂を見物後、レジデンツ広場を経て、旧市街地繁華街のゲトライデガッセ通りを戻り、モーツアルトの生家に向かう。
 ザルツブルクの旧市街地繁華街のゲトライデガッセ通りに戻り、黄色い建物のモーツアルト生家に入る。内部にはモーツアルトが使ったピアノやバイオリン、楽譜原本、肖像画などが飾られているが、いずれも撮影禁止であり、日本語のガイドブックもない。ザルツァハ川右岸のシュターツ橋北詰には指揮者カラヤンの生家があり、指揮するカラヤン像がある。ライナー通りを北上、ミラベル宮殿、ザンクト・アンドレー教会、国際会議場と経てホテルに至る。

 ザルツカンマーグートはオーストリア屈指の景勝地として知られ、大小約50の湖が宝石のようにちりばめられている湖沼地帯。この素晴らしい絶景は映画「サウンド・オブ・ミュージック」でも紹介されている。ザルツブルクから氷雨で温度は4℃と真冬のアウトバーンを走り、山岳地帯に来ても氷雨で眺望は開けない。山が迫る小さなハルシュタット湖での観光遊覧も、雨がひどくて窓は水滴で覆われていた。オペレッタ白馬亭で知られるヴォルフガング湖のレストラン白馬亭に向かう。雨は小降りになるも眺望は良くなく、晴れていたら素晴らしい光景だったろうに、と思いつつ昼食を摂る。
 ヴォルフガング湖からウィーンまでは約4時間、309kmである。好天だったら素晴らしい風景だろうと思いつつ、車窓からザルツカンマーグートを眺める。しかし、ウィーンに向かうに連れ、雨もやみ、雲も薄くなる。さらに薄日が差してきてウィーン市内では19時頃だが、天気は好天となってくる。シェーンブルン宮殿前やシュヴァルツェンベルクプラッツ(広場)のソ連戦勝記念碑前を通ってホテルに至る。

 南東角の入口からウィーン川沿いの市立公園に入り、修理が終わった有名な金色のヨハン・シュトラウス2世像を見る。この像の修理が完成した直後、中国人団体客が来て花壇は踏み荒らし、あちこちに痰を吐く(中国人の習性)乱行を行った。一時日本人がやった、との非難の声が上がり、在留邦人が中国人の蛮行、と打ち消すのに苦労したそうである。世界各地だけでなく、杭州、上海でも民度の低さを意識しない中国人の蛮行を見ており、在留邦人の苦労がわかる。
 シェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の夏の宮殿でマリア・テレジア・イエローで彩られた外観が印象的である。二本の柱が立つ正門から入り、豪奢なハプスブルグ家の宮殿を見物するが、撮影は禁止されている。現地ガイドに寄る絶妙な案内でナポレオン戦争の戦後処理であるウィーン会議通称「会議は踊る」の話や、幼い頃のモーツアルトによるマリー・アントワネットへの結婚申し込み秘話などを楽しく聞きながら見物する。広大な庭園などを散策して宮殿を後にする。
 免税店があるカールス広場近くの交差点から歩いて国立オペラ座に着き、バスでリング経由で聖シュテファン寺院に行く。聖シュテファン寺院はシュテフフルが愛称で1147年にロマネスク教会として建設され、14世紀にはルドルフ4世の命でゴシック様式の大教会に生まれ変わった。聖シュテファン寺院とオペラ座、リング通りを繋ぐ歩行者専用の通りであるケルントナー通りを南下、老舗高級店からドラッグストアまでさまざまな店が軒を連ね、多くの人で1日中にぎわいをみせる。国立オペラ座前交差点で右折、オペルンリングへ入り、ウィーン中心街を巡るリング散策を始める。中世風の格好をして旅行者相手にチケット販売をする販売人をオペラ座界隈で見かける。
 国立オペラ座からウィーン周回のリングを歩きだす。オペルンリングのゲーテ像横から王宮庭園に入り、新王宮裏正面からブルクリングへ戻る。新王宮沿いに北西に進み、新王宮のゲート前交差点で左折してマリア・テレジア広場に向かう。マリア・テレジアは身長は150cm前半だが体重は100kgを超えていたとの事で、広場の女帝像も巨大である。広場を挟んで南に美術史博物館、北に自然史博物館がある。
 マリア・テレジア広場からブルクリングを渡り、ゲートから入ると翼を広げた形の新王宮と英雄広場がある。新王宮は1879年に建設を開始したが、王朝終焉のため完成は一部のみとなった。現在は3つの博物館として利用されている。英雄広場からフォルクス公園を経て、ウニヴェルシテートリングへ出ると女神アテナ像が立つ古代ギリシャ風神殿の造りの国会議事堂がある。その隣の北側に市庁舎公園と市庁舎があり、道路の向かいにブルク劇場がある。
 ウニヴェルシテートリングのウィーン大学からヴォティーフ教会があるショッテントーア駅交差点で右折、ショッテンリングへ入るとすぐ先に日本大使館・領事館がある。ショッテンリングを北東に進み突き当りの交差点で右折、フランツ・ヨーゼフス河岸通りへ進んでドナウ運河沿いにフランツ・ヨーゼフス河岸通りを南東へ歩く。シュヴェーデンプラッツ駅前を過ぎ、ユリウスラープ広場で右折、シュトゥーベンリングへ入って南下する。
 シュトゥーベンリングを南下ドイツ語が分からないので明確でないが官庁や美術館前を通り、応用美術博物館N先の市立公園に北入口から入るとフランツ シューベルト像がある。公園を出てパルクリングを南下して交差点で左折、ソ連戦勝記念碑があるシュヴァルツェンベルク広場で左折、レンヴェーク通りへ進み、ベルヴェデーレ宮殿前の坂を上ってホテルに戻る。

 今回のツアーで初めて朝から好天で20℃と暑ささえ感じる中、ウィーン空港に向かう。出国手続き専門の現地ガイドも加わり、手続くを済ませた後、スターアライアンスのビジネスクラス用ラウンジでWi-Fiを使いながらパリ行きの搭乗を待つ。ウイーンは好天だが、アルプスを越え、パリに着くといつもの曇り空である。成田行きまで5時間あるので、ラウンジで寛ぐ。搭乗機でフランクフルトやハバロフスクなどの通過を確認しつつ、帰国する。




 
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