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国技館通り 旧安田庭園 西門前 舟橋聖一生誕記念碑
旧安田庭園の西門前のビルの外壁にあるが、文字が劣化して読みにくい。 |
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国技館通り 旧安田庭園 西門前 舟橋聖一生誕記念碑
花の生涯
作家舟橋聖一は明治37年(1904)12月25日に、本所区横網町二丁目二番地に生誕。
作家、国文学者として盛名高く、その七十二年の生涯は権威に屈せず、市井の文人、文学者として独自の風格を以って貫かれている。
代表作の一つ、「花の生涯」は井伊大老の生涯を綴った醇乎たる逸品であるが、文学者、文化人として、前人未踏の道を歩いた作者の人生行路もまた、そのまま花の生涯と呼ぶにふさわしいものである。
井上 靖 |
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国技館通り 国技館 |
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国技館通り 国技館 正面入口前 葛飾北斎
狂歌絵本『隅田川両岸一覧』三巻のうち、中巻の一枚です。にわか雨に降られ、傘を持った人々が新柳橋の上を走っている様子が、隅田川の対岸から描かれています。白雨というのは天気雨のことです。左奥の橋は御蔵橋で、幕府の材木蔵であった「御竹蔵」の入堀に架かっていました。奥一帯の「御竹蔵」には当初は建築用の資材が保管されていましたが、現在の猿江公園の材木蔵に移されるようになると米蔵として使用され、本所御米蔵と称されました。その広大な敷地は、現在の国技館、江戸東京博物館などがあたります。 |
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国技館通り 国技館 正面入口前 葛飾北斎 |
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国技館通り 国技館 正面入口 |
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国技館通り 国技館 正面入口 忠臣蔵 俵星玄蕃の道場跡
宝蔵院流の槍の名手、俵星玄蕃は忠臣蔵に登場する架空の人物で、彼の道場は、本所横網町のこの辺りにあったとされています。
上杉の家老・千坂兵部が二百五十石の高禄で、吉良家に召抱えようとしますが、赤穂浪士の世を忍ぶ苦心に同情を寄せた玄蕃はこれを断りました。
屋台の夜なき蕎麦屋「当たり屋十助」に姿を変えて吉良邸を探っていた赤穂浪士・杉野十平次の前で、「のうそば屋、お前には用の無いことじゃが、まさかの時に役に立つかも知れぬぞ見ておくがよい」と、槍の技を披露しました。
討入り当夜、助太刀に駆けっけると、杉野に会い、大変驚き、吉良邸外の守りを固め、本懐成就に協力したとされます。 |
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国技館通り 国技館 南門から構内に入る
国技館通を歩いていると、国技館の構内に入って見物している人がいる。どうしたら入れるのだろうと思っていたら、南門から入ることが出来、警備員がどうぞ、と案内してくれた。 |
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国技館通り 国技館 南門から構内に入る |
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国技館通り 国技館 正面入口 |
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国技館通り 国技館 正面入口
正面入口の右手にあり、三横綱の立ち姿で、左から鶴竜、白鵬、稀勢の里である。 |
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国技館通り 国技館 正面入口
正面入口の左手にあり、中央の白鵬は不知火型、左の鶴竜、右の稀勢の里は雲龍型である。 |
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国技館通り 国技館 正面入口 左端 相撲土産売店 |
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国技館通り 国技館 正面入口 左端 相撲土産売店 |
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国技館通り 国技館 正面入口 左端 相撲土産売店 |
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国技館通り 国技館 正面入口 左端 相撲土産売店 |
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国技館通り 国技館 相撲土産売店前 記念写真スポット
左は美男力士で人気の遠藤がお姫様抱っこをしているポーズである。 |
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国技館通り JR 総武線 両国駅 西口 |