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上野公園(奏楽堂〜さくら並木〜西郷銅像)

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谷中霊園入口で左折、 都道 神田白山線へ 谷中霊園入口で左折、 都道 神田白山線へ 

都道 神田白山線 上野桜木交差点で言問通りを渡る 都道 神田白山線 上野桜木交差点で言問通りを渡る 

都道神田白山線は、交差点を渡り一方通行の細道を進んで上野公園に向かう。
都道 神田白山線 直進して上野公園へ 都道 神田白山線 直進して上野公園へ 

交差点名はないが、道の左右は東京藝術大学である。
都道 神田白山線 東京藝術大学 大学美術館 都道 神田白山線 東京藝術大学 大学美術館 
都道 神田白山線 上野公園 博物館動物園駅跡 都道 神田白山線 上野公園 博物館動物園駅跡 

昭和8年、京成本線開通にあわせ開業したが、老朽化が進み、ホームも4両編対応だったため、平成9年営業停止、16年に廃止となった。
都道 神田白山線 上野公園 博物館動物園駅跡 都道 神田白山線 上野公園 博物館動物園駅跡 
上野公園 博物館動物園駅 照明復元事業 上野公園 博物館動物園駅 照明復元事業 

 この博物館動物園駅は、1933年(昭和8年)に竣工しました。6灯の壁付照明器具が、3方に開いた出入口を照らしていましたが、第2次世界大戦の金属供出により取外され、永く失われていました。
 この駅舎と地下駅空間の保存と再生を願い、20年間にわたる活動を続けてきた市民グループ、NPO法人<上野の杜芸術フォーラム>による企画と募金活動により、2010年、漸く1対の復元が成りました。芸術の中枢機能が集積するこの交差点<アートクロス上野>に向けた光を復活させるものです。
上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 上野公園 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 

 この建物は、明治二十三年(一八九〇)東京音楽学校(現東京芸術大学)本館として建設された。設計は山口半六、久留正道で、わが国初の本格的な音楽ホールであり、音楽教育の記念碑的な存在である。
 中央天井をヴォールト状(かまぼこ型)に高くし、視覚、排気、音響上の配慮がなされている。また、壁面や床下に藁や大鋸屑が詰められ、遮音効果をあげるなど技術的な工夫があり、貴重な建築物である。
 この奏楽堂からは、滝廉太郎を始めとする幾多の音楽家を世に送り出してきたが、老朽化が進み、取壊しの危機にひんしていた。しかし、音楽関係者を始めとする多くの人々の保存に対する努力が実り、昭和六十二年三月、歴史と伝統を踏まえ、広く一般に活用されるよう、この地に復元された。
改修工事が行われている上野公園 改修工事が行われている上野公園 
改修工事が行われている上野公園大噴水 改修工事が行われている上野公園大噴水 
上野公園 大噴水前の桜並木 上野公園 大噴水前の桜並木 
上野公園 五条天神社前で左折 上野公園 五条天神社前で左折 
上野公園 日本芸術院会館前で右折 上野公園 日本芸術院会館前で右折 
上野公園 清水観音堂 上野公園 清水観音堂 
上野公園 彰義隊墓所 上野公園 彰義隊墓所 

木立の中に彰義隊墓所があり、その後に西郷銅像がある。
上野公園 彰義隊墓所 上野公園 彰義隊墓所 

西郷さんの後ろの木立の中に建てられている。

一五代将軍徳川慶喜の一橋藩主時代の側近家来であった小川興郷らは、慶応四年(一八六八年)、大政奉還をして上野寛永寺に蟄居した慶喜の助命嘆願のために同志をつのった。そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士、変革期に世に出ようとする人々が集まり、「彰義隊」と名乗り、やがて上野の山を拠点として新政府軍と対峙した。旧暦五月十五日の上野戦争は、武力に勝る新政府軍が一日で彰義隊を壊滅させた。
 生き残った小川ら隊士は、明治七年(一八七四年)にようやく新政府の許可を得て、激戦地であり隊士の遺体の火葬場となった当地に彰義隊戦死の墓を建立した。なお、遺骨の一部は南千佳円通寺内に合葬されている。以後、百二十年余りに渡り、小川一族によって墓所が守られてきた。現在、歴史的記念碑としてその管理は東京都に移されている。
上野公園 西郷銅像 上野公園 西郷銅像 

西郷さんの前で、上野の山沿いにかつて聚楽台というレストランがあったが、取り壊されて再開発中である。
上野公園 西郷銅像 上野公園 西郷銅像 

 西南の役のため一時逆賊とされたが明治二十二年二月、明治天皇の特旨により賊名を除かれ、正三位を追贈された。この銅像はこれに感激した隆盛の旧友、吉井友実が、同志と共に追慕の情を表すべく建立を計画したものであり、御下賜金のほか有志二万五千人の醵金を得て、明治二六年起工、同三〇年竣工、我が国彫刻界の巨匠高村光雲の作である。



 
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