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三ノ輪駅〜国際通り〜飛不動前交差点

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日比谷線 三ノ輪駅 日比谷線 三ノ輪駅 

日比谷線 三ノ輪駅〜国際通り〜飛不動前交差〜一葉記念館〜飛不動尊〜一の酉(長國寺〜鷲神社)〜長國寺・鷲神社 裏道〜花園公園〜吉原弁財天〜区立台東病院〜吉原神社〜吉原大門交差点〜土手通り〜いろは会商店街(あしたのジョー)〜吉野通り

【撮影記録】
平成30年 11月 1日 晴れ
11:25〜14:20 6,900歩(概算 4.2km 地図上の距離 3.2km

鷲神社、吉原、山谷、南千住と散策するコースを検討していたら、関東三大酉の市の散策を思いついた。一の酉として鷲神社を歩いたが、山谷のあちこちで路上飲酒が見られ、歩くことも撮影もできず、玉姫稲荷神社手前で散策を諦めた。
いつ来たか忘れるほど昔に鷲神社の参道を正面から歩いたが、あの時と同じように牛歩ならぬ蝸牛の歩みとなった。
三ノ輪駅前の大関横丁交差点で明治通りを横断、昭和通りを南西に進む 三ノ輪駅前の大関横丁交差点で明治通りを横断、昭和通りを南西に進む 

大関横丁交差点より南を昭和通り、北を日光街道という。
昭和通り 三ノ輪交差点で左折、国際通りを南下 昭和通り 三ノ輪交差点で左折、国際通りを南下 
昭和通り 三ノ輪交差点で左折、国際通りを南下 昭和通り 三ノ輪交差点で左折、国際通りを南下 
国際通りを南下 国際通りを南下 

国際通りを南下するに連れ、時折幸運や金運を「かき集める」という意味を込め、商売繁盛の縁起物である縁起熊手を持ち帰る人に会う。
国際通りを南下 国際通りを南下 

鷲神社や長國寺に近づくに連れ、屋台が増えてくる。
国際通りを南下 国際通りを南下 

今年(平成30年)は三の酉まである。
国際通りを南下 国際通りを南下 
国際通りを南下 ヤマザキショップ角交差点 国際通りを南下 ヤマザキショップ角交差点 

焼肉龍苑の手前のヤマザキショップ角の交差点に一葉記念館の案内があり、左折して150m進むと一葉記念公園と記念館がある。

この案内は三ノ輪方面から来ると見つけられるが、反対からは見つけられず、摩耗しているので分かりにくい。そのため、さらに南下して目標として分かりやすい飛不動尊側から一葉記念館に向かう。
国際通りを南下 龍泉交差点で左折 国際通りを南下 龍泉交差点で左折 
国際通りを南下 龍泉交差点で左折 国際通りを南下 龍泉交差点で左折 

信号機に交差点名が書かれた標識はなく、国際通り中央に「龍泉」と記された標柱がある。
龍泉交差点で左折した所にある樋口一葉旧居跡碑 龍泉交差点で左折した所にある樋口一葉旧居跡碑 

龍泉交差点で左折してすぐに一葉記念館の案内柱、旧居跡碑などがある。

一葉記念館は交差点から3番目の角を左折して直進するとあり、2番目の角は飛不動前交差点である。
龍泉交差点で左折した所にある樋口一葉旧居跡碑 龍泉交差点で左折した所にある樋口一葉旧居跡碑 
龍泉交差点で左折した所にある樋口一葉旧居跡碑 龍泉交差点で左折した所にある樋口一葉旧居跡碑 

樋口一葉旧居跡

 樋口一葉は明治二十六年七月二十日、本郷菊坂町より
下谷竜泉寺三百六十八番地に移り住み、この界隈を背景にして不朽の名作「たけくらべ」や「わかれ道」の題材を得た。この碑の位置は、一葉宅の左隣り酒屋の跡にて、一葉と同番地の西端に近く碑より東方六メートルが旧居に当る。
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 なお一葉はこのあたりを

 「鶉なく聲もきこえて花すゝき
   まねく野末の夕べさびしも」

と和歌に詠んでいる。
龍泉交差点で左折した所にある樋口一葉旧居跡碑 龍泉交差点で左折した所にある樋口一葉旧居跡碑 
 飛不動前交差点 旧町名由来案内 飛不動前交差点 旧町名由来案内 

旧 竜泉寺町

 本町名は、古刹「竜泉寺」にちなんで付けられた。「竜泉寺」の創建は大変古く、慶長から元和の頃(一五九六〜一六二三)にさかのぼる。そのためこの付近一帯は早くから竜泉寺村と呼ばれていた。そして延宝七年(一六七九)の頃、吉原から金杉へ抜ける道筋に民家が建ち始め、町並ができた。そこは竜泉寺村の内であったが、いつしか竜泉寺町と呼ぶようになった。
 明治二年(一八六九)竜泉寺町は下谷竜泉町と改称した。その後、同ニ十四年には竜泉寺村、干束村および三ノ輪村の一部を合わせ町域を広げるとともに下谷竜泉寺町となった。そして明治四十四年に下谷を略し再び竜泉寺町となった。
 明治文壇の女流作家樋ロー葉は、明治二十六年七月からこの地に住んだ。わずか十箇月だったが、ここでの生活があってこそ一葉文学が生まれたといえる一葉ゆかりの地である。
 飛不動前交差点で左折、北上 飛不動前交差点で左折、北上 

右折すると長國寺、鷲神社の東側と区立台東病院の間の裏道となり、酉の市では飲食や縁起熊手の屋台が並ぶ。
 飛不動前交差点で左折、北上 飛不動前交差点で左折、北上 

酉の市では多くの参拝客が訪れるが、近所にトイレは少ない。そのため、酉の市に限ってこのような案内板が設けられている。

ただし、距離感は曖昧であり、3番目の公園は一葉記念公園で、4番目は東泉小学校であるが結構遠く、4番目は昭和通りの大関横丁に近い。



 
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