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国際通りを南下 鷲神社に向かう
江戸の冬の名物である「べったら市」の屋台がある場所は長國寺と鷲神社との境界の通路である。 |
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国際通りを南下 鷲神社に向かう |
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国際通りを南下 鷲神社に向かう |
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国際通り 鷲神社入口 叉木に並ぶ参拝者
国際通りの北側(三ノ輪駅方向)と、南側(浅草寺、入谷駅方向)から来る参拝者は大熊手が飾られた叉木で合流する。
警備員が5列に整列して進むよう指示しているが、南北の参拝者が合流する叉木では全く進まず、牛歩どころか蝸牛の歩みですら無く、時折思い出したように数歩進む有様である。 |
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国際通り 鷲神社入口 叉木に並ぶ参拝者 |
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国際通り 鷲神社入口 叉木 鷲神社御由緒
浅草「酉の祭」 「酉の市」起源発祥の神社
「おとりさま」・鷲神社と鷲大明神
鷲神社は江戸時代以前より此の地にまつられ、江戸時代は鷲大明神社と号し、福運を招き、強運にあずかる守り神として鷲大明神がまつられ、大明神と伝われるとおり神様をおまつりしてあります。
鷲大明神は天日鷲命と申され、開運・商賣繁昌にあらたかな神として古くから崇敬されております。
その発祥は景行天皇の御代、日本武尊が東夷征討の時、鷲大明神社(鳥の社)に立ち寄られ、戦勝を祈願し、志をとげての帰途社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が十一月の酉の日であったので、この日を鷲神社の例祭日と定めたのが「酉の祭」則ち「酉の市」の起源・発祥です。
その后、日本武尊が併せまつられ、浅草「酉の祭」「酉の市」は次第に賑わいを増し、酉の市に商われる縁起熊手も年毎に人気となり、江戸の庶民の春(正月)をm迎える行事として益々盛大に華やかさを加えたのです。特に吉原遊廓の隆盛と共に賑わい「吉原のおとりさま」とも云われました。
江戸時代からまつられている「鷲大明神」天日鷲命は、鷲の背に乗るお姿から「鷲大明神・おとりさま」といわれ、江戸の数々の火事、関東大震災、第二次大戦の戦禍にもお守りされ、三百年以上にわたり鷲神社に安置されております。天日鷲命は、「東都歳時記」に“開運の守護神なり”とあり、日本武尊と共に福運・強運・商売繁昌・武運を司どる神様として厚く信仰されております。
(続く) |
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国際通り 鷲神社入口 叉木 鷲神社御由緒
(承前)
「酉の祭」「酉の市」
歳末にあたり一年を神に感謝し、新年を迎えるにあたり福運を願う祭りである浅草「酉の市」は、江戸の昔の華やかさとその伝統を今に伝えると共に多くの善男善女の厚い信仰を集め、今に受け継がれております。
「酉の市」は江戸時代には「酉の祭」とよばれ、人と神が和楽する祭りを意味しております。
又、「市」は「齋いつく」で神様をおまつりするために「身を清めてつつしむ」ということです。
このように「祭」・「市」も本来は「清浄な神祭」を表しております。縁起熊手にも神社で使われる四手(神で作った四垂れ)や神様をまつる場所であることを示す注連縄がつけられております。
この事からも「酉の市」の「市」は神社の御祭神と参詣する多くの善男善女の人々が共に和み楽しむ神社の祭を表しており、佛教・寺とは何のかかわりのない祭なのです。
江戸時代の「酉の市」は鷲大明神社(鷲神社)として開かれており、当時は神佛混淆といい神社と寺が一緒に運営されておりました。別当長國寺(別当とは単に僧侶が神主をかねる僧職の事。)は寛文九年に元鳥越より現在の所に移転して鷲大明神社(鷲神社)の別当となりました。
明治元年「神佛分離令」が出され、鷲大明神社と長國寺は分離されることになり、長國寺の別当を廃し、鷲大明神社は、社号を鷲神社と改め、当時の長國寺住職・田中常繁氏は鷲神社神主となり、本来の姿になったのです。
その后、長國寺は明治四十三年、それまでの山号の本立山を鷲在山と改めており、更に大正十二年の関東大震災后に南向きの本堂を鷲神社と同じ西向きに改めております。
このように「鷲大明神社」「鷲大明神」といわれるように「おとりさま」は神様をおまつりする神社であり、その御由緒により十一月の酉の日に「酉の市」が斉行され多人の参詣者が集い、鮮やかな感動をよび、人と祭りのふれあいを感じさせるのです。
浅草田圃 「酉の市 御本社」鷲神社 |
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国際通り 鷲神社入口 叉木 古熊手納所 |
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国際通り 鷲神社入口 叉木
叉木の左右に神職が立ち、お祓いを行っている。参拝の列に並んで叉木に来るまで約10分である。まさに蝸牛以下の歩みである。 |
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国際通り 鷲神社 叉木のすぐ先の朱塗りの大鳥居
ここから本殿まで、普段だったらすぐに辿り着けるのに列は全く動かない。警備員が買い物を済ませるだけならば長國寺との間の道や、参拝の列外に出て横を歩くよう指示するが従う人は皆無である。
大鳥居の右手の参道には酉の市にのみ販売される切山椒や、大頭の屋台があるが、買うために列を離れることもできず、断念した。ほんのりと甘い切山椒は、5年前(平成25年)の三の酉で買ったのでお土産に、と思ったが残念である。 |
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鷲神社 表参道沿いに並ぶ縁起熊手の屋台
屋台によって熊手のデザインも違うし、事前に予約している会社、政治家などの有名人の格も異なり、その名前を書いた紙も違う。 |
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鷲神社 表参道沿いに並ぶ縁起熊手の屋台 |
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鷲神社 表参道 天保10年建立の小鳥居
小鳥居の右側の屋台には衆議院議員で在任48日で辞任した松島みどりや、元議員の深谷隆司などの名札が見える。 |
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鷲神社 表参道 天保10年建立の小鳥居
小鳥居前に警備員が並び、表参道を横断する人のために列の進みをコントロールしている。蝸牛の歩みが思い出したように数歩ずつ進むのはこのためであった、と分かった。 |
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鷲神社 表参道沿いに並ぶ縁起熊手の屋台 |
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鷲神社 表参道沿いに並ぶ縁起熊手の屋台
石原慎太郎と4兄弟の名前が張り出されている。何故か次男のタレントの良純だけが「様」で、残り4人は先生である。政治家が先生なのは分かるが、芸術家の4男の延啓も先生である。
長國寺の縁起熊手よりも全体的に豪華であり、有名人の名札もあるので動画を撮りたいところであるが、何しろ蝸牛の歩み以下で絵にならないので断念した。 |
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鷲神社 表参道 叉木 |
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鷲神社 表参道沿いに並ぶ縁起熊手の屋台
縁起熊手の屋台にも格があるのか、社殿瑞鷲渡殿に近づくに連れ豪華な熊手が並び、名札も有名人になる。 |
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鷲神社 社殿、瑞鷲渡殿
正面の社殿で参拝後、瑞鷲渡殿を潜って鷲神社の出口から長國寺との境界の道に向かう。 |
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鷲神社 社殿、瑞鷲渡殿 |
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鷲神社 神楽殿(神札授与所)
瑞鷲渡殿の1階部分である。 |
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鷲神社 社殿
目の前に鈴を鳴らす鈴緒が見えるが、列は全く動かない。
7段の各社の提灯が壁を作り、普段なら背景として区立台東病院が見えるはずだが全く見えない。 |
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鷲神社 社殿(動画)
社殿前に聳え立つ提灯の壁が見事である。
この写真は動画のスナップショットです。再生ボタンをクリックすると動画を楽しむことができます。
上映時間 26秒
サイズ 77.8MB |
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鷲神社 社殿 |
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鷲神社 社殿 |
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鷲神社 社殿 |
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鷲神社 社殿
人形町駅の軍鶏鍋、軍鶏肉の親子丼で有名な「玉ひで」の名前も見える。 |
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鷲神社 社殿で参拝後、瑞鷲渡殿を通り抜ける
国際通りの叉木で参拝の列に並んで参拝を終えるまで30分である。殆ど動かない列に並んでいたため、時間の長さはもっとあるように感じられた。 |
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鷲神社 社務所前を北上 |
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鷲神社 境内を北上 |
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鷲神社 出口を出て右折 |
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鷲神社 長國寺との間の道を東進 |
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鷲神社 縁起熊手購入で商売繁盛の三三七拍子(動画)
縁起熊手を買うと景気の良い三三七拍子が行われる。
この写真は動画のスナップショットです。再生ボタンをクリックすると動画を楽しむことができます。
上映時間 48秒
サイズ 143.7MB |
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区立台東病院前で右折、長國寺・鷲神社 裏道へ |