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掲示板(一言どうぞ)
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03大徳寺(興臨院〜総見院)〜妙心寺(妙心寺〜退蔵院)R011027
地図上の歩行距離 X.Ykm(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります)
Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離
経路 A:リーガロイヤルホテル京都〜B:大徳寺〜C:妙心寺〜D:東海道新幹線 京都駅 八条口
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大徳寺(興臨院〜総見院)
観光バスの駐車場から東の総門より大徳寺に入る。秋の特別公開の3箇所のうち、興臨院、織田信長の菩提寺である総見院を拝観した。金毛閣(山門)前の参道が右折する角にある興臨院を拝観後北上、仏殿、法堂、石田三成の墓所である三玄院と過ぎて突き当りの宗務本所で左折してすぐの総見院に至る。拝観後に参道を戻り、総門を出て妙心寺に向かう。興臨院、総見院については別ページにまとめた。
興臨院は能登の戦国大名・畠山義総が創建し、畠山氏が衰退した後も、前田利家によって修復が行われた。表門(重文)から入り石庭が美しい重要文化財 方丈前庭園を見た後、西庭園で貝多羅樹の説明を受ける。その葉は古代印度で竹筆で経文を書写するに用いられ、「葉書」の名の由来となった。方丈の縁を歩き、茶室「涵虚亭」を見た後、花頭窓から見る方丈前庭園が評判の唐門(重文)を出る。
織田信長の菩提寺である総見院は、9年前(平成22年)に立ち寄ったが、非公開だった。本堂で総見院についての案内と見物があるが、指定の時刻には余裕があるので織田一族の墓所を先に見物することにした。入口に
秀吉公が千利休から譲り受けて植えたものと伝えられている侘助椿がある墓地の奥に織田一族の墓所があり、信長を始め、嫡男信忠、次男信雄などの7基の五輪塔の他に、正室濃姫(帰蝶)、側室お鍋の方、松平信康の正室徳姫の墓がある。理由は不明だが、柴田勝家と組んで自害させられた3男信孝、11男長益(有楽斎)はない。本堂で有名な織田信長像を拝観したが、残念ながら撮影厳禁である。その後境内散策で3ヶ所の茶室、織田信長像が総見院に戻った特に利用された輿、加藤清正が朝鮮から持ち帰った石を利用した掘り抜き井戸などを見物した。
妙心寺(妙心寺〜退蔵院)
妙心寺に付属する花園会館で精進料理を食した後、雲龍図で有名な法堂に向かう。 玄関から入って渡り廊下を歩いて南側の法堂に進み、撮影厳禁の雲龍図を見物する。鏡天井には、8年の歳月を費やして描かれた狩野探幽の筆による雲龍図が見られる。雲龍図は広い法堂の中を一周すると常に顔が正面にあり、場所によって昇り龍になったり、下り龍になったりする。続いて大庫裏に向い、 写真撮影は厳禁だが法堂よりはだいぶ小さいが雲龍図があり、煮炊きをするための煙出しや井戸からの大量の水の注ぎ込み、排出するための仕組みなどの説明があったがよく考えられている。大庫裏を見物後。法堂横を南下して別ページにまとめた退蔵院を見物後、観光バスにて京都駅八条口に向い、そこで解散となった。
退蔵院は、今から六百年以上前、応永十一年(一四〇四)に建立された山内屈指の古刹で、方丈で専任の解説員が瓢鮎図、元信の庭などの解説から池泉式回遊式庭園「余香苑」の案内まで立ち会い、しかも全ての場所において撮影許可だった。もっとも撮影の影響があるのは瓢鮎図だけであるが、レプリカである。方丈で小さな瓢箪で大きななまずをいかに捕えるかーという公案の回答を絵にした瓢鮎図を見た後、方丈内から元信の庭を見物、かくれ茶室、坐禅道場を経て外に出る。方丈前の元信の庭を見た後、池泉回遊式庭園「余香苑」に進む。ひょうたん池の縁に沿って丘を下り、底にある休憩所から引き返す。余香苑の出口には平成25年のJR東海の「そうだ京都、行こう。」キャンペーンで取り上げられた有名な紅枝垂れ桜があり、方丈の玄関にはそのポスターが展示されている。
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