|  | 駅入口交差点で右折、第一京浜へ  
 横須賀線、京急本線、京浜東北線・根岸線を歩いた時は鶴見総持寺を参拝するため北側に出ていたが、今回は南側に出て第一京浜に出る。大きな交差点で地下道を使う。
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      |  | 第一京浜を西進  | 
    
      |  | 下野谷町交差点で左折、旧東海道(生麦旧道)へ  
 JR鶴見線の国道駅手前で第一京浜から旧東海道に入る。国道駅は第一京浜を跨ぐ形で駅がある。
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      |  | 旧東海道(生麦旧道) JR鶴見線 国道駅  | 
    
      |  | 旧東海道(生麦旧道)  | 
    
      |  | 旧東海道(生麦旧道)  
 生麦魚河岸の幟が飾られており、商店街の多くは魚屋である。とは言え、築地のような魚河岸ではなく、普通の魚屋である。
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      |  | 旧東海道(生麦旧道) 生麦事件発生現場の碑  
 普通の民家の壁に掲げられている。生麦村名主の関口日記よりの転載である。当時の生々しい状況が分る。
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      |  | 旧東海道(生麦旧道) キリンビール横浜工場  | 
    
      |  | 旧東海道(生麦旧道)  | 
    
      |  | 旧東海道(生麦旧道)が第一京浜と合流  
 左側の木立に生麦事件の碑がある。
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      |  | 旧東海道(生麦旧道) 生麦事件の碑  | 
    
      |  | 旧東海道(生麦旧道) 生麦事件の碑  
 生麦旧道が第一京浜と合流した所にあるが、第一京浜を歩いて来ると見落とす可能性が高い。
 文久2年(1862年)、朝廷が攘夷決行を求めて遣わした勅使大原重徳を護衛して京に戻る途中の薩摩藩の行列の前を横切った英人一行を殺傷した。後に薩英戦争となり、明治維新につながった事件である。
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      |  | 旧東海道(生麦旧道) キリンビール横浜工場  | 
    
      |  | 旧東海道(生麦旧道) キリンビール横浜工場  
 工場見学者の入口で、生麦事件の碑の隣にある。
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      |  | 第一京浜を西進  | 
    
      |  | 第一京浜を西進  
 生麦で川崎〜横浜までのほぼ半分である。前日明け方に首都圏を直撃した台風9号一過のため、30度を超す蒸し暑い中の歩きは厳しかった。
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      |  | 第一京浜を西進  
 首都高横羽線の東神奈川入口まで到る。ここは京急本線の仲木戸駅近くで、横浜まで2km弱である。
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      |  | 青木町で右折、宮前商店街に入る  
 第一京浜と国道一号線が合流する青木橋手前である。
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      |  | 洲崎大神  
 洲崎大神は、建久二年(一一九一)、源頼朝が安房国(現、千葉県)一神社の霊を移して祠ったことに始まると伝えられている。
 『江戸名所図会』の様子は、今も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたり。そこが、かっての船着場である。横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の警護に当たる陣屋も造られた。
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      |  | 洲崎大神  | 
    
      |  | 洲崎大神  | 
    
      |  | 青木橋  | 
    
      |  | 青木橋にある神奈川宿由来  
 この橋の右側に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。最初の鉄道では神奈川停車場はこの南側にあった。
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      |  | 京急本線 神奈川駅  
 国道1号線が分岐して横浜駅方向に左折する青木橋にある。手前に神奈川宿由来が見える。
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      |  | JR 横浜駅  |