海晏寺〜京急立会川駅〜鈴ヶ森刑場跡


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旧東海道 海晏寺 石碑 旧東海道 海晏寺 石碑 

旧東海道を歩いていたら曰くありげな二つの石碑が建っている。
右は天保時代のもので、「鮫洲正観世音菩薩道場」と書かれており、台座に海晏寺とある。左は、「贈 太政大臣岩倉公御墓参拝道」と彫られている。
旧東海道 海晏寺 石碑からの風景 旧東海道 海晏寺 石碑からの風景 

高架は京急本線で、正面奥に海晏寺が見え、石碑の参拝道の意味が分る。
旧東海道 海晏寺の正門から見た風景 旧東海道 海晏寺の正門から見た風景 

目の前の道路は第一京浜である。高架は京急本線で、黄色の部分は青物横丁駅である。
旧東海道 海晏寺 旧東海道 海晏寺 

品川橋近くにあった案内図では、岩倉具視、松平春獄の墓がある。
旧東海道 海晏寺 旧東海道 海晏寺 
旧東海道 海晏寺 旧東海道 海晏寺 
旧東海道 海晏寺 旧東海道 海晏寺 
旧東海道 海晏寺 旧東海道 海晏寺 
旧東海道 海晏寺 大震災横死者供養塔 旧東海道 海晏寺 大震災横死者供養塔 

他の壁面には寄贈者名が書かれているだけで、日付や由来も無いが、関東大震災のものであろう。
旧東海道 海晏寺 旧東海道 海晏寺 

大寺にふさわしい墓地ではあるが、どこにも岩倉具視、松平春獄の墓らしきものは無く、案内板も無いので断念した。
南品川3丁目交差点 仙台坂トンネル 南品川3丁目交差点 仙台坂トンネル 

区役所通りで旧仙台坂を登ると大井町駅に出る。
南品川3丁目交差点で左折、旧東海道へ 南品川3丁目交差点で左折、旧東海道へ 

中央奥の高架に京急本線 鮫洲駅が見える。
旧東海道 鮫洲商店街に入る 旧東海道 鮫洲商店街に入る 
旧東海道を南下 旧東海道を南下 

「しながわ 花街道」の幟が飾られている。
旧東海道を南下 旧東海道を南下 
旧東海道 鮫洲駅前の八幡神社 旧東海道 鮫洲駅前の八幡神社 

八幡神社は、京急本線鮫洲駅からは駅前の小路から入る感じである。
旧東海道を南下 旧東海道を南下 

「しながわ 花街道」の幟が飾られている。ここらまで来ると、代わり映えのしない普通の道である旧東海道を歩く、と言うよりはゴールの鈴ヶ森刑場跡を目指すのが目的とならざるを得ない。
京急 鮫洲駅商店街 京急 鮫洲駅商店街 

なにやらイベントがあるような雰囲気で、かって近くに土佐藩邸があり、海岸防備に坂本竜馬も参加した、とのことで鮫洲駅前には銅像がある。
京急 本線 立会川駅 京急 本線 立会川駅 

右側に坂本竜馬の象が立つ。
京急 本線 立会川駅 坂本竜馬像 京急 本線 立会川駅 坂本竜馬像 

坂本竜馬像は、高知市から平成16年に寄贈されたもので、桂浜にある有名な銅像を小さくしたものである。
ペリーが始めて来航した嘉永6年(1853年)、19歳の坂本龍馬は藩からの許可を得、郷里土佐を離れ江戸で剣術修行中であった。土佐藩は、立会川河口付近にあった土佐藩の下屋敷警備のため、江戸詰めの武士を動員し、龍馬もその中に加わった。
京急 本線 立会川駅 坂本竜馬像 京急 本線 立会川駅 坂本竜馬像 
旧東海道 浜川橋(涙橋) 旧東海道 浜川橋(涙橋) 

立会川駅のすぐ脇を流れる立会川に架かる橋である。

立会川が海に注ぐこの辺りの地名の浜川から名付けられたこの橋は、またの名を「涙橋」ともいいます。この橋が架けられたのは、徳川家康が江戸入府後の1600年頃と思われます。
慶安4年(1651)、品川に推お仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りに来て、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、「涙橋」と呼ばれるようになりました。
旧東海道 浜川橋(涙橋) 旧東海道 浜川橋(涙橋) 
旧東海道 天祖神社 旧東海道 天祖神社 

浜川橋を渡ってすぐにある神社である。
旧東海道 天祖神社 旧東海道 天祖神社 
旧東海道を南下 旧東海道を南下 

そろそろゴールの鈴ヶ森刑場跡、と思うから歩ける。
旧東海道 鈴ヶ森刑場跡 旧東海道 鈴ヶ森刑場跡 
旧東海道 鈴ヶ森刑場跡 旧東海道 鈴ヶ森刑場跡 
旧東海道 鈴ヶ森刑場跡 旧東海道 鈴ヶ森刑場跡 
旧東海道 鈴ヶ森刑場跡 旧東海道 鈴ヶ森刑場跡 

鈴ヶ森刑場跡は、こんもりした木立の中に多くの史跡や、火あぶりの柱などの遺跡が多く残る。

寛政十一年(一七九九)の大井村「村方明細書上」の写によると、慶安四年(一六五一)に開設された御仕置場で、東海道に面しており、規模は元禄八年(一六九五)に実施された検地では、間ロ四〇間(七四「メートル)、奥行九間(一六・ニメートル)てあったという。
歌舞伎の舞台ておなじみのひげ題目を刻んだ石碑は、元禄六年(一六九三)池上水門寺日の記した題目供養碑で、処刑者の供養のために建てられたものである。大経寺境内には、火あぶりや、はりつけに使用したという岩石が残っている。
ここで処刑された者のうち、丸橋忠弥、天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お駒などは演劇などによってよく知られている。
 江戸刑制史上、小塚原とともに重要な遺跡である。
鈴ヶ森交差点 鈴ヶ森交差点 

手前が海岸通りで、第一京浜との三叉路になっており、旧東海道は第一京浜と合流する。
鈴ヶ森交差点 鈴ヶ森交差点 

歩道橋後ろのこんもりした木立が鈴ヶ森刑場跡である。
京急 本線 大森海岸駅 京急 本線 大森海岸駅 

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