奥浅草探訪(小塚原〜山谷〜吉原〜鷲神社〜
いろは会商店街(あしたのジョー)〜三ノ輪駅)H291125
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地図上の歩行距離 4.7km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります) Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離
経路 A:南千住駅〜吉野通り(小塚原回向院〜泪橋交差点)〜B:玉姫稲荷神社(1.0km)〜アサヒ会商店街〜
日の出会商店街〜C:吉原大門交差点(0.7km/1.7km)〜吉原仲之町通り〜国際通り〜
D:鷲神社(0.9km/2.6km)〜土手通り〜いろは会商店街(あしたのジョー)〜日本堤交番:(1.2km/3.8km)〜
吉野通り〜明治通り〜F:三ノ輪駅(0.9km/4.7km)
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小塚原回向院〜吉野通り〜玉姫稲荷神社(靴のめぐみ祭り市H291125)
南千住駅前で吉野通りを渡り北上、常磐線の高架下を歩くと回向院に出る。回向院に入ると右の壁に観臓記念碑があり、その先に一般霊園と区別された史跡参拝所がある。2.26事件の磯部浅一元一等主計夫妻の墓、相馬大作供養碑、腕の喜三郎、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓、橋本左内の墓、吉田松陰の墓、頼三樹三郎の墓などがある。吉田松陰の墓の前に多くの墓が並んでいるが、名前を見ても誰だか分からない。吉野通りに出て常磐線の高架下を南下、日比谷線の高架手前で右折して小塚原処刑場跡の延命寺に入ると、処刑者を慰霊する日蓮宗の題目塔と大きな首切地蔵がある。
吉野通りの南千住駅前歩道橋を渡り、右折すると投込寺で有名な浄閑寺に出る南千住二・三丁目交差点を過ぎ、あしたのジョーの矢吹丈が励んだ丹下ジムがあったとされる泪橋交差点で明治通りを渡る。橋名の由来は小塚原の御仕置場に赴く囚人たちが現世を去るに際して涙を流しがら渡ったからとも、囚人の知人が今生の別れを惜しんで袖を濡らしたからだとも伝える。吉野通りを南下、コンビニのポプラ手前で左折、玉姫稲荷神社へ東進し寶珠稲荷神社やドヤ街とも言われる格安のホテルを過ぎる。
寶珠稲荷神社からさらに東進し、格安のホテルが並ぶ先に玉姫稲荷神社の南鳥居があり、そこから境内に入る。玉姫稲荷神社の境内は多くのテントが建ち並び、外から見る以上に広い。その広い境内で押すな押すなの大混雑である。靴のめぐみ祭り市はそれぞれのテントで皮革製品が格安で売られている。台東区のこの一帯には靴製造業など皮革製品を扱う会社が多く、テントの殆どが靴販売であるが、次いで女性用のバッグであり、僅かな数であるがベルトも売られている。大きな王冠と紳士靴の神輿が飾られている拝殿前の特設会場では抽選結果の報告とゲストの芸能人の紹介が行われていた。片側2車線ある広い玉姫稲荷神社通りも観光客で大賑わいである。玉姫稲荷神社通りを南下 右折してアサヒ会商店街へ進む。
アサヒ会・日の出会商店街〜吉原仲之町通り〜新吉原弁天池跡
アサヒ会商店街には靴のめぐみ祭り市の小旗が飾られているが、皮革製品を売るテントや屋台はなく、あの喧騒はどこに行ったのだろうと思う。アサヒ会商店街を西進 東浅草二丁目交差点で吉野通りを渡り日の出会商店街を西進 北めぐりんの東浅草二丁目バス停、東浅草小学校前交差点と経て、吉原大門交差点で土手通りを渡り吉原仲之町通りへ進む。
旧吉原遊廓の名所の一つで吉原大門交差点の見返り柳から吉原大門の標識まで道はS字を描いて曲がっており、五十間通りという。これは日本堤から遊廓が直接見えないようにするためと言われる。吉原大門の標識から仲之町通りを南西に歩くが、片道1車線の狭い通りであるが、両脇にはローマの休日とか金瓶梅、鹿鳴館、ペッパーミントなど吉原らしいビルが並ぶ。揚屋通りと交差している千束四丁目交差点、京町一丁目通りと交差する千束保健センター交差点、吉原神社と過ぎて、せんわ通りの台東区立台東病院に着く。そのすぐ先の新吉原弁財天本宮には、今は個人の庭の池程度であるが関東大震災では500人近くが溺死した吉原花園池(弁天池)跡に慰霊の大観音像がある。
鷲神社〜いろは会商店街(あしたのジョー)〜三ノ輪駅
せんわ通りのカクヤス前交差点で右折して西進し千束一丁目交差点で右折、酉の市の提灯が飾られた国際通りを北上する。鷲神社の叉木の両脇には大提灯が飾られるなど華やかなものだが、三の酉に備えて取り付けの鉄枠だけがある。 店によって竹だったり、鉄だったりするが、熊手を挿す柱の仕組みが分かって面白い。社殿で参拝後、瑞鷲渡殿を通り長國寺へ向かう。長國寺と鷲神社とは明治の神仏分離令までは同じ寺だったため、酉の市の主導権争いは激しく、長國寺は「酉の市の寺」として強調するが、鷲神社はそれほどでない。国際通りの西徳寺交差点で右折するが、今回は「あしたのジョー」を地域おこしにしているいろは会商店街訪問を優先するので飛不動尊、一葉記念館には立ち寄らない。右に吉原ソープ街を見つつ東進、日本堤一丁目交差点で右折して土手通りを南下する。
土手通りを南下しあしたのジョーの矢吹丈像で左折、いろは会商店街へ向かう。アーケード入口には目立つゲートがあったが撤去されているため場所が分かりにくい。いろは会商店街のアーケードは昭和51年に建設されたが、今年(平成29年)5月から撤去作業が始められて29年度中に終了の予定である。いろは会商店街の所々に矢吹丈(ジョー)、丹下段平などの立て看板が置かれているが、シャッター商店街化が進んでおり、規模は小さく普通の商店街化しているアサヒ会商店街や日の出会商店街との違いが目立つ。土手通り側入口、吉野通り側入口とも幹線道路から奥まった所に入口があり、それが寂れさせる一因の気もする。吉野通り側入口ゲートの左側には数人の労務者が座って4リットル入り焼酎ボトルなどを飲み交わしていた。現在地に移転前は山谷地区交番と言われ、山谷暴動時のマンモス交番の愛称で知られていた浅草署日本堤交番の角で左折、吉野通りを北上し泪橋交差点で左折、明治通りをして西進し三ノ輪二交差点で右折して三ノ輪駅に至る。
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