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大磯駅〜澤田美喜記念館〜鴫立庵

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大磯駅〜澤田美喜記念館〜鴫立庵〜東海道(国道1号)〜旧島崎藤村邸〜統監道〜(バス移動)〜大磯城山公園 旧吉田茂邸(バラ園〜日本庭園〜旧吉田茂邸)

【撮影記録】
令和元年 5月 19日 晴れ
13:00〜15:50 5,100歩(概算 3.3km

昨年(平成30年)12月にイベントで城山公園、旧吉田茂邸、明治記念大磯邸園を散策した。しかし、旧吉田茂邸は休館日で日本庭園散策にとどまったことと、腰痛で旧島崎藤村邸などの大磯駅近傍は歩くのを断念した。
今回のイベントは昨年のイベントの逆コースであり、3日前の伊勢神宮散策の疲れもあったので旧吉田茂邸の邸内見物までできれば、と考えていた。イベントとしては城山公園までだが、疲れが出てきたので散策を断念した。
大磯駅前 澤田美喜記念館入口 大磯駅前 澤田美喜記念館入口 

大磯駅向かいのバス停(写真右端)の手前に入口がある。
大磯駅前 澤田美喜記念館入口 大磯駅前 澤田美喜記念館入口 
結構急な坂を上り、澤田美喜記念館へ 結構急な坂を上り、澤田美喜記念館へ 

坂手前の右手には聖ステパノ学園の小学校がある。
澤田美喜記念館 澤田美喜記念館 

館内には、隠れキリシタン関係の資料などが展示されているが、撮影禁止である。

イベントの参加者は多く、団体で入館したが、30分間の在館時に数組の入館者がおり、失礼ながら意外な気もした。
澤田美喜記念館 澤田美喜記念館 

澤田美喜の文章であるが、写真が不鮮明で解読できない。以下に稲門会幹事の資料を紹介する。

 澤田美喜は三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の孫として生まれ、令嬢として育ったが、熱心なクリスチャンで、外交官夫人としての体験なども手伝い、戦後の混乱の中でアメリカ占領軍兵士との間に生まれた混血児の救済と養育のためにエリザベスサンダースホームを設立した。エリザベスサンダースホームの敷地にはもともと岩崎家の別邸があったが、戦後の財閥解体に伴い岩崎本家は財産税として政府に物納した。澤田美喜はこの土地を政府から買い戻し乳児院を建てようとし、岩崎本家の資金をあてにせず自己の財産をつぎ込んだが資金が足りず困り果てていた時に、英国大使館から福祉事業に使って欲しいと委託されていた英国人エリザペス・サンダースの遺産170ドルが寄付され、この資金を基に土地を買い戻し乳児院の設立に踏み切ることができた。

(中略)

 熱心なクリスチャンであった澤田美喜は隠れキリシタンの遺物の収集家でもあった。殉教者の子孫が大切に守ってきた品々に強い信仰の息吹を感じるとして、持ち主の名はもちろん、作者、明確な時代もわからぬままに打ち捨てられた遺物を、九州のみならず本州のあらゆる場所を巡り歩き収集した。

 澤田美喜記念館は澤田美喜の生前の遺志を引き継ぎ建設された。建物はノアの箱舟をイメージした長六角形の船形で、2階は聖ステパノ礼拝堂、1階はコレクション展示室となっており、澤田美喜が戦前戦後40年にわたり収集した隠れキリシタンの遺品や関連する品々851点が展示されている。

(川崎稲門会)
澤田美喜記念館から急な坂を下る 澤田美喜記念館から急な坂を下る 
澤田美喜記念館から急な坂を下る 澤田美喜記念館から急な坂を下る 
坂の下に隣接する聖ステパノ学園 澤田美喜記念館から急な坂を下る 
坂の下に隣接する聖ステパノ学園 澤田美喜記念館から急な坂を下る 
JR 東海道線 大磯駅 JR 東海道線 大磯駅 
大磯駅前バス通りを南下 聖ステパノ学園 大磯駅前バス通りを南下 聖ステパノ学園 
 大磯駅前バス通りを南下 洋菓子 鴫立亭本店 大磯駅前バス通りを南下 洋菓子 鴫立亭本店 
大磯駅前バス通りを南下 大磯町立 大磯小学校 大磯駅前バス通りを南下 大磯町立 大磯小学校 
大磯駅前バス通りを南下 鴫立庵 道標 大磯駅前バス通りを南下 鴫立庵 道標 
大磯駅前バス通りを南下 鴫立沢交差点で右折、東海道(国道1号)へ 大磯駅前バス通りを南下 鴫立沢交差点で右折、東海道(国道1号)へ 

鴫立沢交差点を渡って左に鴫立庵がある。
東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 

鴫立庵(しぎたつあん)

 京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つとされる。敷地内に建てられた石碑にある銘文「著盡湘南清絶地」から「湘南発祥の地」とされることもある。名称は西行の歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」(新古今和歌集)による。

(川崎稲門会)
東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 

鴫立庵

 1664年(寛文4年)小田原の祟雪がこの地に五智如来像を運び、西行寺を作る目的で草庵を結んだのが始まりで、1695年(元禄8年)俳人の大淀三千風が入庵し 鴫立庵と名付け、第一世庵主となった。現在ては、京都の落柿舎・滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場のーつといわれている。祟雪が草庵を結んだ時に鴫立沢の標石を建てたが、その標石「著盡湘南清絶地」と刻まれていることから、湘南発祥の地として注目を浴びている。

心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮(西行法師)
東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 

景観重要建造物 鴫立庵 及び敷地

 木造平屋の日本の伝統的技法を用いた史跡建造物で、風情のある遺構として人々に親しまれており、昭和58年7月1日に町指定有形文化財に指定されています。また、敷地内には回遊性のある遊歩道が設定されており、石碑や小堂宇などを含めた庭園にも景観的価値が認められています。
 建築物のみならず周囲の史跡庭園、周辺の自然環境など複合的な景観要素が一体となった静寂な佇まいは、大磯らしい風格のある良好な景観を形成しています。
東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 
東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 
東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 東海道(国道1号) 鴫立沢交差点 鴫立庵 

鴫立庵の中には入らず、旧島崎藤村邸に向かう。



 
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