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中華街東門交差点 本町通りを渡り、横浜中華街へ
中華街の東門である朝陽門(青龍門)から入る。 |
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横浜中華街 南門シルクロードとの分岐点
左折すると南門シルクロードで、関帝廟通りと交差する天長門の先に横浜媽祖(まそ)廟がある。右折するとメインストリートの中華街大通りである。 |
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横浜中華街 左折して中華街大通りに進む
右折するとローズホテル横浜がある開港道である。 |
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横浜中華街 中高校生で大混雑の中華街大通りを西進
ゴールデンウィークも過ぎた平日なのに、修学旅行や遠足の中高校生で大混雑である。 |
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横浜中華街 中高校生で大混雑の中華街大通りを西進 |
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横浜中華街 中高校生で大混雑の中華街大通りを西進 |
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横浜中華街 中華街大通り 善隣門を出て左折、長安道へ |
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横浜中華街 長安道を南下 |
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横浜中華街 長安道を南下 横浜中華学院 |
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横浜中華街 長安道を左折 地久門を通り関帝廟道を東進 |
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横浜中華街 関帝廟道を東進 日本国新聞発祥之地碑
日本における新聞誕生の地
ここ、横浜の元居留地一四一番は、一八六四( 元治元 ) 年六月二十八日、 ジョセフ 彦が、「 海外新聞 」 を発刊した居館の跡である。
彦は、 リンカーン大統領と握手した 唯一の日本人であった。 リンカーンの民主政治が 勃興期の米国の新聞の力に負うところ大なるを体得し、開国したばかりの祖国のため、日本最初の新聞を創刊し、「
童子にも読める 」 新聞精神を提唱した。読みやすく、判りやすい新聞を、創世記の日本の新聞界に植えつけた 新聞の父 彦 の功は大きい。
さらに木戸孝允、伊藤博文、坂本龍馬など多くの人々に民主政治を伝えた彦は、民主主義の先駆者として、およそ新聞を読むほどの人々の心の奥に残る 文化の恩人であった。
一九九四 ( 平成六 ) 年六月二十八日
「 海外新聞 」 発刊一三〇年記念日に
ジョセフ 彦記念会
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横浜中華街 関帝廟道を東進 横浜関帝廟
関帝とは三国志演義で馴染みの関羽であるが、以前春節の時に中国人の友人に中国式祭礼の風景を撮影したもらった。 |
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横浜中華街 関帝廟道を東進 |
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横浜中華街 関帝廟道を東進 山下町公園 |
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横浜中華街 関帝廟道を東進 山下町公園 |
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横浜中華街 関帝廟道を東進 山下町公園
山下町公園は、春節などの獅子舞の練習場としても使われる。その事が媽祖廟建設の一つの理由になっている。
媽祖廟は、写真の左手の小豆色のビルの手前に見える。 |
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横浜中華街 関帝廟道 天長門を潜り左折、南門シルクロードを北上 |
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横浜中華街 南門シルクロードを北上 |
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横浜中華街 南門シルクロード サンマルクカフェ 中華街東門店前で右折
サンマルクカフェ 中華街東門店前で右折すると東門である朝陽門(青龍門)である。 |
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中華街東門交差点で右折、本町通りを南下 |
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みなとみらい線 元町・中華街駅 |