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昌平橋通り 天神下交差点で右折、春日通りへ |
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春日通り 湯島天神 夫婦坂
湯島天神の表参道は反対側であり、男坂、女坂も昌平橋通りから奥に入った所にある。その点、春日通りからの夫婦坂、唐門から入るのは分かりやすい。 |
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湯島天神 破魔矢、お守り授与所 |
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湯島天神 破魔矢、お守り授与所
さすがは湯島天神で、お守りや絵馬の中心は学業成就・合格祈願である。 |
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湯島天神 絵馬の山
当然ながら合格祈願の絵馬であり、絵馬に書き込む高校生も多い。 |
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湯島天神
社殿は平成7年(1995)総檜木造りとして造営された.平成5年(1993)お木曳き(造営の開始)の神事が行われ、遷座祭(完成)まで2年7か月を要した。
祭神は菅原道真である。伝承によれば文明4年(1355)湯島の郷民が霊夢によって老松の下に勧請したといわれている。太田道灌が社殿を再興し、江戸時代になって、徳川家康はじめ歴代の将軍があつく庇護し隆盛をきわめた。かって、湯島天満宮は”湯島天神”として知られ鳥居前には町もでき人々の往来で賑わった。 |
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湯島天神 男坂
境内の東側に男坂があり、階段を下ると昌平橋通りである。 |
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湯島天神 女坂
男坂の鳥居の横にあり、なだらかな階段である。 |
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湯島天神 男坂 |
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湯島天神 講談高座発祥の地碑
男坂の鳥居の手前にある。
江戸時代中期までの講談は、町の辻々に立っての辻講釈や、粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演じられていた。
文化四年(一八〇七年)湯島天満宮の境内に住み、そこを席場としていた講談師伊東燕晋が、家康公の偉業を読むにあたり庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高さ三尺、一間四面の高座常設を北町奉行小田切土佐守に願い出て許された。これが高座の始まりであり、当宮の境内こそ我が国伝統話芸講談高座発祥の地である。 |
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湯島天神 表参道 合格祈願だるま
川崎大師など、普通のだるまは商売繁盛、家内安全が目的であるが、胴体に「合格」と書かれているものばかりであある。 |
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湯島天神 表参道
もともと狭く短い参道一杯に露店が設けられている。 |
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湯島天神 銅鳥居 |
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湯島中坂上交差点で左折 |
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湯島中坂を下る |
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湯島中坂下交差点で右折、昌平橋通りへ |
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東京メトロ 千代田線 湯島駅 |