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冬枯れの不忍池散策〜五條天神社の鷽替神事

【関連サイト】   上野寛永寺、上野公園散策H250312(不忍池(弁天堂〜桜並木〜池畔遊歩道))

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 昌平橋通り 池之端一丁目交差点で不忍通りを渡り、不忍池池畔遊歩道へ 昌平橋通り 池之端一丁目交差点で不忍通りを渡り、不忍池池畔遊歩道へ 

不忍池池畔遊歩道に入り東進する。
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 

毎年7月から8月にかけて紅白の美しい花が咲き誇る蓮であるが、冬枯れで茶色の茎やしおれた花が池面を覆い、寂寥感が漂う。
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 野外ステージ 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 野外ステージ 
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 弁天堂 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 弁天堂 

冬枯れの蓮が茶色のため、同系色の朱塗りの弁天堂が目立たない。
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 野外ステージ 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 野外ステージ 
 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 下町風俗資料館 界隈案内図 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 下町風俗資料館 界隈案内図 
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 下町風俗資料館 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を東進 下町風俗資料館 

公式ホームページには次のように記されている。

古き良き下町の文化を永く後世に伝えるために・・・

明治・大正ころまでの下町には江戸の名残がありました。 しかし大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の戦災によって、ほとんどその面影をなくし、さらに目覚しい復興を遂げた戦後、特に昭和30年代後半には東京オリンピックを契機とする再開発が積極的に進められ、街はすっかり様変わりしました。
人びとの暮らしもまた時代とともに変化し、便利さを取り入れた代わりに、古い時代の大切なものが忘れられようとしていました。
古き良き下町の文化が失われつつあることに、憂いの声が上がったのは昭和40年代のことでした。
それは次第に下町を愛する人びとの間に広がり、やがて庶民の歴史である下町の大切な記憶を次の世代へ伝えるための資料館設立の構想が生まれたのです。
これを実現するために台東区内外からたくさんの貴重な資料が寄贈されました。
そして、多くの人びとの長い歳月をかけた願いが実り、台東区立下町風俗資料館は、昭和55年(1980)10月1日に、ここ不忍池畔に開館いたしました。
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を北上 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を北上 

下町風俗資料館で池畔遊歩道は左に曲がり、北上する。
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を北上 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を北上 
冬枯れの不忍池池畔遊歩道を北上 弁天堂 冬枯れの不忍池池畔遊歩道を北上 弁天堂 
不忍池池畔遊歩道 弁天堂参道入口にある駅伝発祥の地記念碑 不忍池池畔遊歩道 弁天堂参道入口にある駅伝発祥の地記念碑 

左奥に弁天島に渡る天龍橋があり、手前左には茶店の桜木亭がある。

駅伝の歴史ここに始まる

我が国、最初の駅伝は、
奠都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」が
大正六(一九一七)年四月二十七日、二十八日、二十九日の三日間にわたり開催された。
スタートは、京都・三条大橋、
ゴールは、ここ
東京・上野不忍池の
博覧会正面玄関であった。
不忍池池畔遊歩道 弁天堂参道入口 清水坂下交差点 不忍池池畔遊歩道 弁天堂参道入口 清水坂下交差点 
不忍池池畔遊歩道 弁天堂参道入口 不忍池池畔遊歩道 弁天堂参道入口 

参道沿いの桜並木が満開の時は歩くのも困難なほど人出で溢れ、屋台も密着する。
 弁天堂参道入口 清水坂下交差点で左折、動物園通りを北上 弁天堂参道入口 清水坂下交差点で左折、動物園通りを北上 

この石段坂を「清水坂」という。坂の上には、東叡山寛永寺清水観音堂があり、坂の名はその堂の名称にちなむ。清水観音堂は寛永八年(一六三一) に京都の清水寺を模し摺鉢山の上に創建され、元禄七年(一六九四)に現在地へ移転した。国の重要文化財に指定されている。

清水坂を上った所に清水観音堂がある。

上野寛永寺は開山の天海大僧正が京都の比叡山延暦寺を模したと言われ、清水寺は清水観音堂、琵琶湖は不忍池であり、寛永寺の山号は東の比叡山ということで東叡山である。
 動物園通りを北上 五條天神社の石碑に従い右折 動物園通りを北上 五條天神社の石碑に従い右折 
 五條天神社 鳥居 五條天神社 鳥居 

上り坂の途中に鳥居があり、その奥に五條天神社がある。
五條天神社 本殿 五條天神社 本殿 

鳥居の先の数段の階段を降りた奥に本殿がある。上野公園は何度も来ているが、五條天神社を訪れたのは初めてである。

坂を上りきった所が桜の名所のさくら通りであり、そこからも五條天神社や隣接する花園稲荷神社は小社にしか見えず、意外に大きいのに驚いた。
五條天神社 鷽替えは終了との掲示がされている社務所 五條天神社 鷽替えは終了との掲示がされている社務所 

鷽替神事で大混雑の湯島天神に比べ、空いているなと思ったら「鷽替え 本日の授与は終了いたしました」との掲示がされていた。時刻は11時半で、五條天神社は当日(1月25日)しか授与しない。
五條天神社 本殿 五條天神社 本殿 

本殿は工事中のようである。
五條天神社 鷽替の神事 五條天神社 鷽替の神事 

鷽替の神事

 鷽はアトリ科の美麗な小鳥です。
この小鳥をかたどった「神符」を年頭に受けて神棚にまつり、一年中に話した「嘘言」をこの神符に託して、翌年神前に納め罪を滅ぼし、又今迄の悪い出来事も「うそ」として祓い清め、吉に取替えると云う縁起のよい神事です。
昔から、新年に当って、開運出世の効ありと云われ、特に「金鷽」を受け得た人は、将来家運が隆盛に赴く吉兆であると伝えられます。
多くの天神様で行われている神事ですが、当社では一月一日及び初天神の二十五日に此の神事を行います。当社の金鷽は頭部に金紙をつけて表しています。(他は銀紙をつけている)
五條天神社 鳥居を出て左折、坂を上る 五條天神社 鳥居を出て左折、坂を上る 
坂を上る途中にある花園稲荷神社 坂を上る途中にある花園稲荷神社 
坂を上りきり右折 坂を上りきり右折 

右折してサクラ並木で有名なさくら通りに向かう。
坂を上り切った所にある花園稲荷神社 坂を上り切った所にある花園稲荷神社 



 
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