本所 吉良邸 義士祭(H20−12−13)
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京葉道路 両国歩道橋手前のガソリンスタンドで右折 両国シティコア(旧国技館)に隣接するガソリンスタンドの横を右折する。右折した所や、吉良邸跡への横道入口に案内表示があるが、小さくて見落としやすい。もっとも最近までその表示すらなく、地元の人に聞かないと行くこともできなかった。 |
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京葉道路 両国歩道橋手前のガソリンスタンドで右折 | |
中華料理店横の道を左折 何度も言うように本所松坂町公園(吉良邸)の案内表示がないので、道の左手を見つつ横丁の奥に両国3丁目郵便局の看板が見えたら左折すことである。 |
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本所義士祭H201213 第一印象は、近くの馬喰横山の繊維問屋街がらの出店ではないか、とも思わせる衣類の安売り店の多さである。品物は普及品であるが、何しろ安い。この種の店が通路の半分以上続く。 |
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本所義士祭H201213 | |
本所義士祭H201213 | |
本所義士祭H201213 | |
本所義士祭H201213 ふかしイモや焼きそばなどは地元商店街が店を出しており、普通の露店風景ではない。 |
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本所義士祭H201213 地元の商店街が出店しているので、揃いの衣装である。 |
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本所義士祭H201213 | |
本所義士祭H201213 カメラを向けたらピースサインで愛想を振りまく中高年のおばさんには驚いた。下町らしい、と言うか、おぞましさを感じた。 |
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本所義士祭H201213 本所松坂町公園(吉良邸) 吉良邸は本所松坂町公園となっているが、白壁に囲まれた小さな神社である。 |
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本所義士祭H201213 本所松坂町公園(吉良邸) 本所松坂町公園由来 この公園は「忠臣蔵」で広く知られる、赤穂義士の討入があった、吉良上野介義央の上屋敷跡です。 その昔、吉良邸は松坂町一、二丁目(現、両国二、三丁目)のうち約八、四〇〇平方メートルを占める広大な屋敷でしたが、年を経て一般民家が建ちならび、いまではそのおもかげもありません。 昭和九年三月地元町会の有志が、世に伝えようと、旧邸跡の一画を購入し史蹟公園として、東京市に寄付したもので、昭和二十五年九月墨田区に移管されました。 周囲の石壁は、江戸時代における高家の格式をあらわす海鼠壁長屋門を模した造りで、園内には元吉良邸にあった著名な井戸や稲荷杜などの遺蹟があリ当時をしのばせております。また内部の壁面には義士関係の記録や絵画が銅板で展示されております。 |
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本所義士祭H201213 本所松坂町公園(吉良邸) 神号は松坂稲荷大明神である。 |
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本所義士祭H20121 本所松坂町公園(吉良邸) 北西の角には首洗いの井戸がある。 |
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本所義士祭H201213 本所松坂町公園(吉良邸) 松坂稲荷大明神由来 「松坂稲荷」は「兼春稲荷」と「上野稲荷」の二社を合祀したものです。「兼春稲荷」は徳川氏入国後、現今の社地たる松坂町方面に御竹蔵を置かれし当時、その水門内に鎮座せしもので元禄15年の赤穂浪士討入り後、吉良邸跡へ地所清めのために遷宮され、昭和10年に既存の「上野稲荷」と合祀され、当本所松坂町公園開園とともに当初に遷座されました。 |
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本所義士祭H201213 本所松坂町公園(吉良邸) | |
本所義士祭H201213 本所松坂町公園(吉良邸) 吉良邸跡 吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西七十三間、南北三十五間で、面積は約二千五百五十坪(約八四〇〇平方メートル)だったとされています。 吉良上野介が隠居したのは元禄十四年(一七〇一)三月の刃傷事件の数カ月後で、幕府は呉服橋門内にあった吉良家の屋敷を召し上げ、代わりにこの本所二ツ目に屋敷を与えています。 現在吉良邸跡として残されている本所松坂町公園は、当時の八十六分の一の大きさに過ぎませんこの公園内には、吉良上野介の首を洗った井戸を再現したり、吉良上野介を祀った稲荷神社が残されています。 |
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本所義士祭H201213 | |
本所義士祭H201213 道の突き当りは両国小学校である。 |
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本所義士祭H201213 国技館の関係会社が鶏しょうゆベースのちゃんこ鍋を500円で売っており、美味しいこともあって求める人の列が出来ている。 |
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本所義士祭H201213 浅野長政ゆかりの茨城県桜川市からの物産販売店である。 |
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本所義士祭H201213 ちゃんこ鍋は結構量があり、男性には食事と言うには少ないので中途半端であるが、女性には持て余す人もいる。 |
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本所義士祭H201213 墨田区銘品名店会も土産物を販売している。も |
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本所義士祭H201213 小中学生が和太鼓演技を行う準備をしていたが、なかなか始まらないので断念した。 |