下町散策



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   有名神社 神田明神
有名神社 湯島天神
有名仏閣 浅草寺・浅草神社
歴史点描・江戸風景)有名人の墓所 回向院(両国、小塚原) 鈴ヶ森刑場遺跡
江戸の有名人の足跡 赤穂義士
   
【見出し】


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01 馬喰横山〜水天宮〜日本橋(H18−07−01)
02 白山神社・根津神社〜谷中霊園・上野寛永寺〜入谷朝顔市(H18−07−08)
03 お盆の神社仏閣巡り(靖国神社〜湯島界隈〜浅草寺)(H18−08−12)
04 銀座〜築地〜八丁堀(H18−09−24)
05 佃島・門前仲町〜深川・両国〜浅草(H18−12−16)
06   洲崎十万坪〜亀戸天神〜押上(H19−03−21)
07   小雪舞う隅田川散策(浅草〜両国〜門前仲町)(H20−02−09) 
08 都心の菊花展散策(H20−11−04)
09 浅草 浅草橋〜鷲神社(平成20年二の酉)〜吾妻橋(H20−11−17)
10 日本橋〜本所吉良邸 義士祭〜押上(H20−12−13)
   
関連  01 日本橋〜清澄白河〜両国 江戸の情緒を巡る旅(H18−10−14)
02 神田から「粋 活・下町情緒」新日本橋までの散策(H19-02-10)
03   浅草・墨堤・入谷界隈を歩く(H19−05−26)

馬喰横山〜水天宮〜日本橋(H18−07−01)  

馬喰横山、浜町、水天宮、甘酒横丁、日本橋のコースは、神田明神の天下祭の神幸祭のコースと重なるが、神幸祭の溢れるばかりの人波は無く、淡々と歩くことが出来る。馬喰横山一帯は繊維問屋街で、近くの薬研堀不動院は川崎大師東京別院である。この不動院の隣の駐車場は、神田明神の天下祭の神幸祭で昼食休憩をする両国旧仮置屋である。浜町と言えば明治座であるが、隅田川沿いの浜町公園には加藤清正所縁の清正寺や、東京大空襲慰霊の明治観音堂があり、関東大震災で焼け落ちず「人助け橋」と言われた新大橋の西詰めには慰霊碑が立つ。甘酒横丁を歩き、食事をするため長蛇の列が出来る親子丼で有名な「玉ひで」がある甘酒横丁交差点に出る。妊婦や新生児を抱く家族で賑わう水天宮は、和菓子が美味しい三原堂や、人形焼の重盛などがる。八重洲口には平和の鐘と、名前の由来になったヤン・ヨーステンの記念碑がある。

白山神社・根津神社〜谷中霊園・上野寛永寺〜入谷朝顔市(H18−07−08)  

白山道路沿いの白山神社から、不忍通り沿いの根津神社まで徒歩30分程度と意外と近い。東京の電車や道路は都心から放射状に伸びており、近くとも両者をつなぐ電車が無いことによる錯覚である。徳川家康の生母のお大、秀頼の妻千姫などが葬られている伝通院や、谷中霊園の徳川慶喜以外の歴代将軍の墓を見ることを考えていたが、谷中霊園では、工事用の壁に遮られ、寛永寺では一般の墓所に入ることすら難しかった。幸田露伴の小説のモデルで、放火によって焼失した天王寺の五重塔跡や、最後の処刑者である高橋お伝の墓も谷中霊園にある。寛永寺に残る4代将軍の家綱、5代の綱吉の霊廟勅額門は見事である。入谷朝顔市は、言問通りの根岸1交差点から、入谷交差点間を歩行者天国として開催される。普段は閑散としている入谷鬼子母神も名物の大提灯も片付けられ、狭い境内は人並みに溢れていた。12時頃行ったせいもあり、朝一番が見ごろの朝顔はほとんど咲いていなかった。夕やけだんだんの階段を登ってすぐ左手に彰義隊をかくまったため、新政府軍に銃撃された弾痕が山門の扉に残る経王寺がある。

お盆の神社仏閣巡り(靖国神社〜湯島界隈〜浅草寺)(H18−08−12)  

地下鉄九段下駅を出ると、目の前に靖国神社の大鳥居が見える。靖国神社は年配者だけでなく、高校生や大学生など若い人が結構多く、家族連れも参拝している。靖国通りに沿って急な九段坂を下り、九段会館(旧軍人会館)、を経て、小川町交差点で左折、ロシア正教のニコライ堂を見て聖橋に着く。湯島聖堂の前身は昌平坂学問所(昌平黌)で、秋葉原の昌平橋近くの正門から入った方が分りやすい。仰高門から入り、大きな孔子銅像を経て、大成殿(孔子廟)に到る。神田明神は、道路を挟んで湯島聖堂の北側にあるが、歴史を感じさせる随神門、本殿ではあるが、境内は狭い。明神男坂を下り、鳥居から湯島天神に入る。湯島天神は室町時代初期に勧請されたと言われ、学問の神様である。不忍池の蓮の花は、時期が早過ぎてきれいではあったが、わずかしかない。かつては帰省客で混雑していた上野駅も閑散とし、かっぱ橋道具街も、多くの店がお盆休みである。しかし、浅草寺はいつもと変わらぬ人出で、アーケードの布の屋根は夏らしく涼やかである。

銀座〜築地〜八丁堀(H18−09−24)  

みゆき通りを歩き、建設中の芸術座、明治の文豪島崎藤村と北村透谷の記念碑がある泰明小学校、「君の名は」の碑がある数寄屋橋公園を経て、晴海通りに出る。晴海通りを東進し、銀座4丁目交差点、東銀座の歌舞伎座を通って、築地本願寺、軍艦操練所跡や波除稲荷神社のある築地市場を経てかちどき橋に到る。聳え立つ聖路加ガーデンの近くにある水炊きの治作の周りには、電信創業之地碑や、東京税関の元となった運上所跡の碑がある。佃島の高層マンションを見つつ、江戸初期創建の鉄砲洲稲荷神社の大きな富士塚を見て、南高橋を渡り、住友ツインタワーに向う。福井松平家に因む越前堀、霊岸島、関東大震災や東京大空襲の慰霊碑がある新亀島橋を経て新大橋通りに出る。右手すぐの東京メトロ(旧営団)茅場町駅脇には、伊能忠敬の旧居にあった地図御用所跡の碑がある。平成通りを歩き、鍛冶橋通りに出る。少し左手に歩くと鈴らん通り入口に八丁堀の与力・同心組屋敷跡の碑がある。

佃島・門前仲町〜深川・両国〜浅草(H18−12−16)  

明石町の聖路加ガーデン脇から佃大橋を渡ると、右側はもんじゃ焼き屋が立ち並ぶ西仲通りで、左側はありふれた下町風景の佃仲通りである。佃島は、徳川家康が関東下向の際、摂津国佃村の漁民と共に、住吉の社(田蓑神社)が分霊されたのを始めとする。石川島人足寄場南端の石川島灯台を見つつ、佃の大川端リバーシティ21を通る。門前仲町交差点で右折、深川不動を見て、清澄通りに戻り北上する。深川不動に隣接する深川公園には、永代寺跡の碑や、日露戦争の慰霊碑がある。仙台堀川に架かる海辺橋の南詰めには、松尾芭蕉の奥の細道の出発点である採荼庵(さいとあん)があり、北詰めに滝沢馬琴誕生の地の碑がある。清澄庭園脇を通り、二之橋を渡って左折し、本所松坂町の吉良邸跡に向う。赤穂義士祭は高輪泉岳寺が有名であるが、小さな稲荷神社となっている吉良邸跡を中心に、赤穂義士所縁の土地からの屋台が路地に所狭しと並ぶ。旧陸軍被服廠跡の横網公園は、震災の高熱で折れ曲がった鉄路などが外に展示され、慰霊堂や、復興記念館などがある慰霊公園である。

洲崎十万坪〜亀戸天神〜押上(H19−03−21)  

門前仲町駅から永代通りを東進、深川不動尊、富岡八幡宮前を通り、東西線木場駅で右折、平木橋を渡り、洲崎神社に到る。寛政3年の深川の高潮被害から、幕府が土地を買い上げたことに由来する洲崎十万坪、立ち入り禁止の境界標の波除碑などがある。東陽町駅前交差点から四ツ目通りを北上、江東区役所を過ぎて右折、横十間川親水公園、道なりに仙台堀川公園を経て四ツ目通りに戻る。仙台堀川公園は、いかにも水辺という趣である。猿江恩賜公園は、幕府時代からの木材蔵があった所で、皇太子(昭和天皇)成婚記念で南側が東京市に払い下げられ、整備開園された。四ツ目通りを右折、蔵前橋通りを進み、亀戸天神に着く。亀戸天神は、寛文2年(1662)、太宰府天満宮より勧請、小規模ながら結構は大宰府に倣って造営されている。朱色の鳥居をくぐると石造の太鼓橋があり、藤棚のある心字池の向こうに本殿がある。

小雪舞う隅田川散策(浅草〜両国〜門前仲町)(H20−02−09)  

 浅草寺で参拝の後、吾妻橋から江戸通りを南下、駒形橋、厩橋と過ぎて、稲穂を表す黄色の蔵前橋を渡る。横網町公園は、旧陸軍被服廠と言ったほうが分りやすく、関東大震災での火災による大旋風で人が巻き上げられたりして多くの人が死んだことで知られている。京葉道路を両国橋に向うと、芥川龍之介生育の地碑や、吉良上野介の本所松坂町跡の碑などがある。両国回向院は、かけらを持つと賭け事に勝つとの俗説があるねずみ小僧次郎吉の墓などがある。
 両国橋を渡り、浜町の明治座前を歩き、新大橋を渡る。新大橋は、関東大震災で唯一落ちずに被災者が逃げられたため、「人助け橋」とも言われる。小名木川河口に松尾芭蕉銅像がある芭蕉庵史跡展望庭園があり、清澄庭園と清澄通りを挟んで反対側の霊巌寺には、寛政の改革で知られる松平定信の墓所と江戸六地蔵がある。
 富岡八幡宮の別当寺だった永代寺は、神仏分離令で廃寺となり、跡地に深川不動尊が建立された。勧進相撲で知られる富岡八幡宮は、大関力士碑や、伊能忠敬像などがある。

都心の菊花展散策(H20−11−04)  

 日比谷公園は、会場の草地広場が広々としており、テントが散在しているとしか見えず、素人目にも立派な菊花がもったいない気がする。靖国神社の神門を通り、中門鳥居の前によしず張りの菊花展がある。規模は小さいが、きれいにまとめられている。靖国神社から靖国通りを歩いて、ニコライ聖堂、聖橋、湯島聖堂と進み、神田明神に至る。
 神田明神の境内は大きくないが、国学発祥之地碑、石獅子、天下祭など歴史の重みを感じさせる。裏参道から蔵前橋通りに出て、不忍通りを歩いて湯島天神に向かう。普段は土産物の屋台が並ぶ参道もよしず張りの菊花展となり、本殿や、大河ドラマ篤姫の菊人形が飾られた参集殿などに所狭しと見事な菊の鉢が並べられている。本殿裏手に回ると、千本咲や、ダルマ作りなどの素人にも分かりやすい説明がつけられた菊の鉢が並べられ、圧倒される。
 菊花を堪能した後、上野駅を経て、浅草通りを歩いてかっぱ橋道具街を通り、浅草六区に至る。外人が食品サンプルを土産に買うことでも有名なかっぱ橋は、様々な商品が並ぶ。浅草演芸ホールなど馴染みの六区を通り、五重塔通りを歩くと、浅草寺落慶50周年記念行事として江戸時代の奥山を再現した「浅草奥山風景」が行われている。浅草寺の札所の裏に設けられた菊花展の会場は、奉納品も含めて丁寧に飾り付けられており、見ていて楽しい。浅

浅草 浅草橋〜鷲神社(平成20年二の酉)〜吾妻橋(H20−11−17)  

 馬喰横山の繊維問屋街から江戸通りに出て、浅草橋の群代屋敷跡や浅草見附跡の碑を見た後、JR浅草橋駅の吉徳、久月などの人形店街、クリスマス用の飾り物商店街を通り、蔵前橋通りを渡って、国際通りに入る。春日通り、浅草通りを渡って、ROXなどがある浅草六区を通り過ぎ、千束五差路交差点に来ると歩道の半ばは焼きそば、串焼きなどの定番の屋台が占め、鷲(おおとり)神社の二の酉の市の参拝客で大混雑で、歩くのもままならない。
 3年前に国際通りを走るつくばエクスプレスが開通した時に訪れた鷲神社は、閑散としていた。平成20年 二の酉の市の浅草鷲神社の狭くはない境内の至る所に熊手を売る店が軒を接し、参拝客でごった返すため、歩くのもままならない。金、銀、赤など華やかな色で飾られた熊手は芸術品と言っても過言ではなく、数十万から2000円と幅広い値段である。境内を仕切ってテントを張り、人がすれ違うのも難しい狭い通路は、どこを行けば参道に出られるのかも分からない。さらに国際通りを進むと一葉記念館の案内があり右折、旧居跡の案内板を見た後改築された一葉記念館に至る。国際通りに戻るが、屋台と参拝客の混雑は昭和通りと交差する三ノ輪交差点まで続く。
 交差点を右折して昭和通りに進み、大関横丁交差点で右折して明治通りに入る。三ノ輪から土手通りを南下、吉原遊廓に因む見返り柳のある吉原大門交差点で右折、吉野通りに出る。江戸六地蔵の一つがある東禅寺を参拝後、山谷堀公園を経て江戸通りを歩き、浅草吾妻橋に着く。

日本橋〜本所吉良邸 義士祭〜押上(H20−12−13)  

 日本橋交差点から永代通りを南下、茅場町交差点で左折し、平成通りを歩き東京証券取引所、鎧橋を渡って新大橋通りに出て、水天宮に着く。人形町の甘酒横丁を歩き、浜町緑道を過ぎると浜町の明治座に着く。清洲橋通りを北上、薬研堀不動尊のある柳橋通りを経て、両国橋を渡り回向院、両国コアシティ(旧国技館)に至る。両国橋を渡った所には江戸時代から続くイノシシなどの肉を食するもゝんじやがあり、鼠小僧次郎吉の墓や、相撲関係の石碑がある回向院の隣の両国コアシティの中庭には、旧国技館の土俵の位置に輪が描かれている。
 本所松坂町の吉良邸は、白壁の中に稲荷神社がある小さな本所松坂町公園として整備されているが、場所が非常に分かりにくい。両国小学校や、両国3丁目郵便局を目標にした方が良い。泉岳寺の義士祭は線香がもうもうとし、参拝する人で溢れ返るが、本所の義士祭は衣料の安売りや、地元町内会主催の飲食物や、飲み物販売、国技館が販売するちゃんこ鍋、浅野家ゆかりの地の物産店が建ち並ぶ。
 京葉道路を東進、清澄通りを経て三ツ目通りに入り北上、吾妻橋交番前交差点で右折、浅草通りへ進む。業平一丁目交差点で左折、言問通りへ曲がると、東武橋から5ヶ月前の今年の7月から始められた東京スカイツリータワーの建設が見られる。まだクレーンが立っているだけでほとんど進捗していないが、東武の業平橋駅から押上駅までの敷地に建つ予定である。押上は4社が乗り入れるターミナルで、浅草にも近いので観光立地は良い。

【関連サイト】 日本橋〜清澄白河〜両国 江戸の情緒を巡る旅(H18−10−14)  

日本橋COREDOから歩き始め、三越と日本橋三井タワーの向かいの木屋で右折、富くじで有名な椙森神社を経て人形町通りに出る。人形町交差点手前のお富与三郎で有名な玄冶店跡を見つつ、甘酒横丁に入り、浜町の明治座で右折、清洲橋通りを進んで清洲橋に到る。女性的な優美さで知られる清洲橋からは、芭蕉庵が見える。清洲橋を渡ってすぐに北の海部屋や、大嶽部屋・大鵬道場が、花篭部屋や間垣部屋は京葉道路と北斎通りの間にある。清澄3交差点で左折し、清澄通りを北上するが、右折すると清澄庭園や、松平定信の霊巌寺がある。葛飾北斎の生誕地は江戸東京博物館前にある。両国橋を渡り、馬喰横山の繊維問屋街を通って、江戸橋通りを東京駅までひたすら歩く。奥州道の江戸城防備のために設けられた常盤橋門の遺構が残る常盤橋公園には、渋沢栄一の銅像がある。

【関連サイト】 神田から「粋 活・下町情緒」新日本橋までの散策(H19-02-10)  

神田駅から日銀通りを歩き、日本銀行本店などを見つつ、日本橋の道路元標前に到る。日本橋の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表している。中央通りは東京マラソンの記念幟で飾られている。銀座2丁目、3丁目にはTIFFANY、Cartier、Louis Vuittonなど海外ブランド店が続く。月島大橋がコースのため、東京マラソンの幟で飾られている西仲通り(月島もんじゃ街)は11時ではあるが、店の多くは開店前で、食べられないと嘆く人もいた。。佃島では、佃煮の甘いしょうゆの香りが漂い、佃島渡船碑、住吉神社、石川島灯台がある。深川不動尊は、勧進相撲を始め相撲に縁の深い富岡八幡宮に隣接し、反対隣には廃寺となった富岡八幡宮の別当寺の永代寺跡がある。清澄通りを北上し、小津安次郎監督誕生の地碑、松尾芭蕉が奥の細道を旅立ちした採荼庵を経て、清澄庭園で左折、清洲橋に向う。水天宮に出て、人形町通りを北上、新日本橋駅に到る。

【関連サイト】 浅草・墨堤・入谷界隈を歩く(H19−05−26)  

上野駅交差点から昭和通りを300m北上し、右折して東京メトロ(旧営団)唯一の踏切を渡る。かっぱ橋本通りを東進、かっぱ寺の曹源寺、梅田雲浜の墓がある海禅寺と歩き、合羽橋交差点で右折、かっぱ橋道具街通りを南下する。各種調理機器や食品サンプルで有名なかっぱ橋道具街は、見物客で溢れ、狭い歩道を歩くのは困難である。国際通りから雷門通りと歩き、浅草松屋に到る。隅田川に架かる吾妻橋を渡り、隅田川公園、墨堤通りを歩き、言問橋を過ぎ、桜橋を渡り、待乳山聖天を経て、言問通りを西進する。言問団子は小さく高いが、餡がたっぷりと付いて美味しい。入谷交差点を渡り、朝顔市の混雑が想像できない入谷鬼子母神前を歩き、凌雲橋を上って鶯谷駅、国立科学博物館、上野公園と通って、パンダ橋を経てゴールの東京地下鉄ビルに着く。

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