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大川端リバーシティ21〜中央大橋〜鐵砲洲稲荷神社

【関連サイト】   築地、鉄砲洲稲荷、佃島の江戸遺構散策H260916(鐵砲洲稲荷神社〜南高橋〜中央大橋)

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上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 佃二北交差点 上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 佃二北交差点 

中央区のコミュニティバスである江戸バス(南循環)は、相生橋南詰交差点の次のこの交差点で右折して佃仲通りを西進する。
上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 佃島小学校 界隈案内図 上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 佃島小学校 界隈案内図 

現在地は中央下の赤印で、右下角の中央大橋に向かう。

右下角で隅田川は分岐し、隅田川本流は上へ直進し、佃大橋、勝どき橋と向かう。左に曲がるのが隅田川(派川)である。
上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 江戸バス #10 バス停 シニアセンター 上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 江戸バス #10 バス停 シニアセンター 
上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 中央大橋南詰 上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 中央大橋南詰 

南詰交差点で左折すると佃公園から住吉神社、月島駅を経て月島もんじゃ街に向かう。
上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 中央大橋南詰 界隈案内図 上野月島線(都道463号) 中央大橋支線 大川端リバーシティ21 中央大橋南詰 界隈案内図 

隅田川が本流と派川とに分岐する地点である。
八重洲通り 中央大橋から見た上流の永代橋、東京スカイツリー 八重洲通り 中央大橋から見た上流の永代橋、東京スカイツリー 

上野月島線(都道463号) 中央大橋支線は中央大橋から八重洲通りとなる。
八重洲通り 中央大橋から見た隅田川の分岐点の石川島公園 八重洲通り 中央大橋から見た隅田川の分岐点の石川島公園 
八重洲通り 中央大橋 オッシプ・ザッキン作 「メッセンジャー」  八重洲通り 中央大橋 オッシプ・ザッキン作 「メッセンジャー」  
八重洲通り 中央大橋から見た水上バス 八重洲通り 中央大橋から見た水上バス 
八重洲通り 中央大橋 オッシプ・ザッキン作 「メッセンジャー」  八重洲通り 中央大橋 オッシプ・ザッキン作 「メッセンジャー」  

両都市と両河川をつなぐ友情を記念して、パリ市は東京都へオッシプ・ザッキン作「メッセンジャー」を寄贈する。
92年10月27日 東京にて

本作品は、1937年オッシプ・ザッキン47才の時の作品である。
この年に開かれた「パリ万国博覧会」に出品された作品であり、オッシプ・ザッキンの作品の中でも大作の一つに数えられている。
八重洲通り 中央大橋 オッシプ・ザッキン作 「メッセンジャー」  八重洲通り 中央大橋 オッシプ・ザッキン作 「メッセンジャー」  

隅田川に向って建てられており、像の背中しか見ることが出来ない。
八重洲通り 住友ツインビル前交差点で左折 八重洲通り 住友ツインビル前交差点で左折 
八重洲通り 住友ツインビル前交差点で左折 八重洲通り 住友ツインビル前交差点で左折 
亀島川に架かる南高橋を渡る 亀島川に架かる南高橋を渡る 
亀島川に架かる南高橋 亀島川水門 亀島川に架かる南高橋 亀島川水門 
亀島川に架かる南高橋 亀島川水門 亀島川に架かる南高橋 亀島川水門 

 亀島川水門は、亀島川が隅田川と合流する地点に位置し、周辺流域を高潮の侵入から守るための防潮水門です。

 台風などによる高潮や津波が発生し河川の水位が上昇したとき、地盤高の低い地域では浸水などの災害が起きる恐れがあります。このようなときに水門を閉鎖して水害を防ぎます。

 また、大きな地震があったときも直ちに閉鎖して津波に備えます。
 湊町一丁目交差点で左折、鉄砲洲通りへ 湊町一丁目交差点で左折、鉄砲洲通りへ 

交差点の左に鐵砲洲稲荷神社が見える。
鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 
鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 
鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 
鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 社殿 鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 社殿 

 鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。
 神社は、寛永元年(一六二四)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(一八六八)現在地に移転し、今日に至っています。
 関東大震災により被害をうけた境内は昭和十年(一九三五)より復興、整備され、正面中央奥に社殿、左手に神楽殿と摂社八幡宮、右手に社務所と手水舎が向い合うように配置され、境内西南隅に神輿庫が設けられています。また、西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。むかしの富士塚は「江戸名所図会」に描かれた有名なものでした。
 境内は昭和初期の神社建築とその配置の有様をよく伝えており、また、富士塚も区内唯一の富士信仰の名残りをとどめている点から、共に中央区民文化財に登録されています。
鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 鉄砲洲浅間神社(富士塚) 鉄砲洲通り 鐵砲洲稲荷神社 鉄砲洲浅間神社(富士塚) 

社殿の右奥にあり、分かりにくい所にある。普段は柵が設けられており、中に入ることはできない。



 
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