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 【目次】   H260316-17
成田~バルセロナ(サクラダ・ファミリア、グエル公園、カタルーニャ広場)
  H260318-19
バルセロナ~バレンシア(献花パレード、火祭り)
  H260320-21
バレンシア~グラナダ(アルハンブラ宮殿)~カルモナ(古城ホテル)
  H260322-25
コルドバ~マドリード~成田

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  H260316-17 成田~バルセロナ(サクラダ・ファミリア、グエル公園、カタルーニャ広場)

 成田空港から12時間半のフライトでパリ空港に着き、バルセロナまでのトランジットの手続きを行う。到着ゲートからエスカレータを上り下りし、無人車両COGVALで移動したりして遠く離れた乗り換えロビーに向かう。当初トランジットで4時間の待ちだったが、移動や搭乗手続で時間がかかり、1時間ほどの待ちで済んだ。2時間ほど飛んでバルセロナに着き、ホテルに向かう。

 バスの車窓からカタルーニャ広場などの市内観光をしつつ、サクラダ・ファミリアに向かう。サクラダ・ファミリアの生誕のファザード(東ファザード)前の公園は小公園であるが、全景がよく見えることから次から次と団体客が訪れ、限られた撮影スポットは大混雑である。キリストの生誕や受胎告知、聖母マリアの戴冠などの場面が描かれている生誕のファザードから聖堂に入ると、美しいステンドグラスや、列柱の身廊・内陣に目を奪われ、受難のファザード(西ファザード)に出る。 受難のファザード(西ファザード)の雰囲気は生誕のファザード(東ファザード)と趣が全く違い、中世教会のような荘厳美に溢れた彫刻群の生誕のファザード(東ファザード)に比べ、彫刻の数も少なく現代美術館の入口のようである。磔刑のイエスを始め、ローマ兵などは荒削りの角ばった肉体で表現されており、写実的ではなく、教会の彫刻、という感じではない。所定の時刻が来たので生誕のファザード(東ファザード)に戻り、塔に上るためのエレベータ乗り場に向かう。
 塔内見物のエレベータから降りると眼下に生誕のファザード(東ファザード)前の公園が見え、建設中の栄光のファザード(南ファザード)や、バルセロナ市街を見つつ連絡路を通り隣の塔へ向かう。尖塔内の螺旋階段は急で人一人がやっとと狭く、高所恐怖症でなくとも下るのは恐怖感を感じる。物を落としたらどこまで落ちていくのか、とさえ思う。バルセロナ市街や、建設中の栄光のファザード(南ファザード)、生誕のファザード(東ファザード)前の公園を眺めながら螺旋階段を降り、鉄扉を開けると聖堂へ出る。聖堂側からは一見立入禁止の鉄柵の一室から出てくることになる。

 サクラダ・ファミリアを見物後、 坂の途中にあるサン・パウ病院を経てグエル公園に行く。サン・パウ病院は1902年から30年にかけて建築され、2009年まで診察が行われていたが、老朽化のため閉鎖され、1997年にユネスコの世界遺産に登録された。ガウディのスポンサーであるグエル伯爵が自然と芸術に囲まれて暮らせる住宅地を構想し、ガウディに依頼したが、1900年から14年の間に50軒の予定が二人の購入した2軒だけに終わった。伯爵の死後、市の公園として寄贈されたのがグエル公園である。駐車場の門から椰子並木を歩き、ガウディ博物館(旧ガウディ邸)を過ぎて中央広場に向かう。中央広場にはモザイクが美しいセラミックのベンチやアーチの回廊があり、中央広場を支える多くの柱が林立し、新興住宅地の市場になる予定だったが、中央広場の雨水を集める貯水池となっている百本柱の間がある。有名なトカゲの噴水がある大階段を下ると、正面入口に管理小屋と守衛小屋がある。

 カタルーニャ広場はバルセロナのほぼ中央、旧市街地と新市街地の境界に位置し、グラシア通り、ランブラス通りなどの主要道路が交差し、広場の東側にはスペイン最大のデパートとも言われるエル コルテ イングレス (カタルーニャ広場店)等がある。カタルーニャ広場の東側入口から入り北側に向かって歩き始め、特徴ある外観のバンコ・デ・クレディト・エスパニョール、大噴水、地下鉄出入口と見つつ公園を一周する。

  H260318-19 バルセロナ~バレンシア(献花パレード、火祭り)

 ホテルを出てバルセロナの高速鉄道フランサ駅に着く。フランサ駅は都市で最も美しい駅と考えられ、歴史的な様式と近代的な様式が融合した落ち着いた建物はそれ自体に見る価値があり、更に大理石・青銅・水晶及びモデルニスモとアール・デコのモチーフによる装飾で完成される。バレンシア行きの車両は1等車で、進行方向に対し左1列、右2列である。日本で言えば地方のJR特急のグリーン車のイメージである。
 10時出発で12時55分着の高速鉄道は、車内の走行状態表示板によるとしばらく100km/h前後で走り、途中で200km/hまで上がるものの、乗り心地や雰囲気は地方のJR特急のグリーン車と同じである。添乗員の言う新幹線ではない。バルセロナ市内を抜けると右は田園風景が延々と続いて面白味はなく、反対側の海岸線もただ砂浜があるだけである。バレンシアのホアキン・ソロージャ駅では列車の先頭まで歩いて隣のホームに移り、そこからさらに半分以上歩かないと改札口に出られない。この間ポーター無しで大きなスーツケースを運ぶのは大変である。駅を出てバスに乗りホテルに向かう。
 ホテルから環状道路に出てトゥリア公園沿いに歩いて右折、トゥリア公園に架かる芸術の橋(Pont de les Arts)を渡ると現代美術館である。現代美術館脇のナ・ジュルナダ通り、ムセオ通りと歩いてカルメン広場の修道院デル・カルメンに着く。ロテロス通りを歩いていると献花パレードの一隊が行進しており、更に進むとセラノスの塔に至る。セラノスの門は1391年に建てられたゴシック様式の要塞の門で、当時は町への入り口だった。
 昼食として名物のパエリアを食べた後、バレンシア市旗が翻るセラノスの塔を見物する。火祭りのファリャ(人形)のエルビス・プレスリー像の完成度は高く、翌日には燃やしてしまうのは残念な気がする。始めはナケラ通りを南下するが、途中から狭い道を添乗員の指示に従い右に左に曲がって歩く。所々に酸っぱくて食べられない種類のバレンシアオレンジの街路樹がある。サンタマリア大聖堂前のビルヘン広場には花で飾られたデ・サンバラドスの聖母像があり、サンタマリア大聖堂と北の青いドームの聖母デサンパラドス教会堂の間の道を進んでビルヘン広場の裏に出る。サンタマリア大聖堂正面右の広場を行進する献花パレードを数隊見た後、パラウ通りのバレンシア大司教の宮殿を通って献花パレードの会場に向かう。
 バレンシア旧市街のパス通りは献花パレード会場で、パス通りの終わりはレイナ広場で、パレードはそこで右折してサンタマリア大聖堂の裏を進む。先頭に地域団体の旗を掲げる数人が登場し、その直後に幼女が父母に連れられて登場する。、続いて男児の後、女男の順で小学生、中高校生、夫婦となり、最後に楽団の演奏で一つのグループが終わる。いずれにせよ女性がパレードの主体であり、華やかさも際立っている。幼女たちは緊張した顔ではあるが、自分が注目されている気持ちが強いせいか必死で歩いており、またその姿が愛らしい。次から次とパレードが続くが、地域団体が替わるだけで構成は変わらない。しかし、地区を代表する献花パレードの女王ともいうべき単独で歩く女子高校生はそれぞれ衣装も気品も違うものである。
 バレンシア旧市街のレイナ広場裏道を通り、サンタマリア大聖堂の東の翼廊入口へ向かう。正面右の広場を行進する献花パレードは心なしか役目を終えて(パス通りでの演技を終えて)、ホッとしたというか気が抜けたパレードのように見える。街の所々でパレードを終えくつろぐパレード一行に出会う。環状道路を歩き、セラノスの塔や火祭りのファリャ(人形)を見つつ右折、中央に聖ホセと子供のイエスの像がある聖ホセの橋(Pont de Sant Josep)を渡り、北側の環状道路を歩いてホテルに戻る。バレンシアの火祭りは3月19日の聖ホセの日(祝日)に張りぼての人形を燃やし爆竹を使い、春の訪れを祝う。大工が残った木材を燃やしたのが起源とされる。

 環状道路から坂を下りトゥリア公園を東進、右折して聖ホセの橋(Pont de Sant Josep)の下を進んで南詰へ出る。環状道路のポルタル・ヌエボ広場の火祭りのファリャ(人形)は実名の倒産銀行をその原因(例 幹部の女性問題)を様々な人形を使って表現している。地元のガイドによれば、どの人形が誰で、何をしたのかが分かるとのことである。例えば右中段の赤いカーデガンを羽織った白のワンピースの女性は、現役のバレンシア市長だそうである。サルバドール・ヒネル通りのファリャ(人形)は破壊されていく地球環境を表現している。ムセオ通りに進み、カルメン広場の修道院デル・カルメンに着く。
 ロテロス通りを東進して突き当りで右折すると、左にセラノスの塔があるセラノス通りである。セラノス通りを南下し、ベイリー宮殿や自治政府庁などがあるマニセス広場で左折、カバリェス通りへ入って東進するとサンタマリア大聖堂前の花で覆われたビルヘン広場である。ビルヘン広場の聖母デサンパラドス教会堂も花が飾られている。ビルヘン広場南端にあるデ・サンバラドスの聖母像は、前日には未完成だった深紅の台座が献花パレードの少女たちの花束で綺麗に飾り付けられていた。
 サンタマリア大聖堂と青いドームが美しい聖母デサンパラドス教会堂の間の道を歩き、バレンシア大司教の宮殿横の東の翼廊からサンタマリア大聖堂に入る。ミサを行っている最中だったので一旦外に出てレイナ広場にある正面入口から入り直し、祭壇や聖堂内部を見物する。秘宝室にある聖杯はイエスの最後の晩餐で使われたもので、世界にそれを称するものがいくつかある。レイナ広場に戻り、正面入口の横にある鐘楼のミゲレテの塔を眺める。
 観光客で賑わうサンタマリア大聖堂前のレイナ広場を南下する。広場の南端にあるファリャ(人形)は燃やすのが惜しいほどの出来栄えである。サン・ビセンテ・マルティル通りを南下し、サン・マルティン教会を過ぎ、アユンタミエント広場通りに入る。アユンタミエント広場には夜の火祭りのための特別観覧席として予約したカサス・コン・ソンリサ ホテルがあり、市庁舎前には大人用のファリャ(人形)であるミケランジェロ作モーゼの十戒像や、敬礼をしている女性将校が現職のバレンシア市長を擬した子供用のものがある。
 ホテルへの戻りは旧市街に飾られたファリャ(人形)を楽しむ、ということで現地ガイドが右に左に歩く後をはぐれないように歩く。同じような町並みで迷路を歩くようで、どこを歩いているのかさっぱり分からない。アインシュタインばかりが目立つが、数学を発展させたアラブ人や、物理の古代ギリシャ人などが表現されているファリャ(人形)、アニメチックで見物客が多いファリャ(人形)などを楽しみながら歩く。前日もそうだったが、「ハポン」、「ハポン」と声をかけてきて一緒に写真を撮ることを求める休憩中の献花パレードの音楽隊に会う。 「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」は15世紀末に建てられたゴシック様式の建物で、名称は「絹の交易所」を意味し、商業の場としてバレンシアの繁栄を支えた。内部はねじれた柱が並ぶ柱のサロンをはじめ、開示裁判が行われた広間や礼拝所などもあり長い歴史を感じさせる。
 色っぽいものや楽しいものなど様々な火祭りファリャ(人形)を見ながらアラブ系の露店が立ち並び、人で溢れ返っているレイナ広場に戻る。前日に行われた献花パレードが地区によって再び行われ、それらも見つつセラノスの塔から歩行者天国となった環状道路へ出てホテルに戻る。

 環状道路から右折、トゥリア公園に架かる芸術の橋(Pont de les Arts)を渡り、バレンシア現代美術館横のナ・ジュルナダ通りを進み、展示されているファリャ(人形)や火祭りを祝う人々を見つつムセオ通りを歩くと献花パレードの一隊に巡りあい、カルメン広場の修道院デル・カルメンに着く。ロテロス通りを東進し突き当りで右折、セラノス通りへ出て南下する。旧市街は見物し終えているので、途中から時折糞尿臭が漂う路地を歩いて貧弱なファリャ(人形)を見つつひたすらレイナ広場に向かう。
 現在時刻は20時で、レイナ広場の南端にあるファリャ(人形)の火祭り開始を待ち構える人々で溢れかえっている。レイナ広場周辺の道路はオープンカフェとなっており、ワインを楽しみながら火祭りの開始を待っている。レイナ広場近くのレストラン2階で食事を終え、レイナ広場に戻ったのは子供用ファリャ(人形)に点火される直前の21時50分である。子供用ファリャ(人形)の点火は22時なので、格好のポイントを取ろうと押すな押すな状態である。係員が爆竹を連ねた紐を木に掛けたり、ファリャ(人形)に埋め込んだりしていく。献花パレードの紫の衣装の少女が点火役だが点火することに怯え、止むを得ず係員が点火し、木に掛けられた爆竹が移っていってファリャ(人形)があっという間に燃え上がる。火祭り終了後にサン・ビセンテ・マルティル通りを南下し市庁舎のあるアユンタミエント広場に向かう。
 市庁舎前のアユンタミエント広場にあるカサス・コン・ソンリサ ホテルの最上階テラスに着いたのは22時半である。市庁舎の前にライトアップされたモーゼの十戒像が見える。見物客がアユンタミエント広場に集まりだし、23時10分には見物客が溢れだしてきた。23時35分に突然花火が上がり、その音の大きさに驚いた。日本の花火のように大輪の花が咲く、というタイプではない。他地区の火祭りで打ち上げられる花火だった。開始予定の午前1時、突然周囲の電気が消え、歓声が上がる。市庁舎前の広場から次々と花火が打ち上げられ、その音の大きさに度肝を抜かれる。その後、モーゼの十戒像の周囲に小規模のナイアガラの滝があり、直後に像が内部から赤く点灯されたと思ったら煙を上げ始めた。全く息をつく間もない展開である。周囲からは大歓声が上がる。モーゼの十戒像は燃え上がり、骨格の木造部分が巨大な火柱となって燃え続けた。詳細は動画を見て頂きたい。

  H260320-21 バレンシア~グラナダ(アルハンブラ宮殿)~カルモナ(古城ホテル)

 バレンシアバレンシア前夜のバレンシアの火祭りを深夜まで見物したため、出発は10時とし高速道路を500km以上走って18時過ぎにホテルに入った。彫刻刀で垂直に削り取ったような崖が続くが、砕石場でもあるのだろう、と思った。しかし、行けども行けども同じような崖が続く。添乗員からは砂漠地帯を走るとの説明があったが、砂漠という感じもしない。21時過ぎに迎えのワゴンに乗って途中でアルハンブラ宮殿の夜景を見た後、フラメンコショーの見物に向かった。建物を狭い長い幾つもの部屋に区切り、洞窟のフラメンコショーとして演じられた。
 フラメンコショーに向かう人はアルハンブラ宮殿の夜景を見ることがコースの一部になっている。木立の小山の上にきれいにライトアップされたアルハンブラ宮殿がある。 建物の中をいくつかの細長い部屋で仕切って左右に20席、奥に20席程度を設けている。床に踊り子がハイヒールを地面に打ち付ける所に音響効果を配慮したシートが貼られている。22時過ぎから公演が始まり、1時間ほど次々に踊りが行われる。

 アルハンブラ宮殿の外壁沿いにレアル・デ・ラ・アランブラ通りを歩き、アルハンブラ宮殿のプレートがある門から入館する。カルロス5世宮殿の円柱の中庭を経てアルカサバ(城塞)の横を通り、マチューカの中庭からナスル宮殿に入る。スペイン王カルロス1世で、神聖ローマ皇帝としてはカルロス5世が造った宮殿は列柱が見事だが、イスラム様式が溢れるアルハンブラ宮殿とはしっくりしていない。
 ナスル宮殿(王宮)のメスアルの間は王が政務を執り行った部屋で、壁面や天井を飾るアラビア模様の絵タイルや漆喰細工の美しさに圧倒される。壁一面が細密な装飾で飾られたメスアルのパティオ(中庭) は、かつては王宮に来訪した者の控え室として使われていた。コマレス宮の大ホールと王座、ガゼルの花瓶を見た後、宮殿の中心部に位置するコマレス宮にあるアラヤネスのパティオ(中庭)に出る。水面にコマレス宮が映るように設計された美しい風景を王たちも愛し、贅沢に水を使った空間もイスラム建築の特徴でアンダルシアの暑い空気に一瞬の涼を呼ぶ。アラヤネスのパティオは、天人花の中庭とも言われる。池の両脇に植えられた植物をアラヤネス(天人花)と言うことによる。
 獅子のパティオ(中庭)は、名前の由来となった12頭の獅子に支えられた噴水があり、イスラム様式の天井の飾りや柱廊が美しく、見飽きない。 スタッコ装飾による鍾乳石のようなムカルナス天井が吊られているアベンセラヘスの間は、 アベンセラヘス一族が惨殺されたと言われる部屋で水盤に残る赤いシミは血の跡と伝えられる。アベンセラヘスは、グラナダ王国の有力者の一族で王国末期の政争で謀反の企てを疑われ、主だった男性たちは処刑された。
 王の寵姫だった二姉妹の間は獅子のパティオの北側にあり、見どころの多いナスル宮殿内で最も精密な天井装飾が施されハチの巣状の天井が圧巻でまるで鍾乳洞にいるかのようである。リンダラハのバルコニーは二姉妹の間の奥にあり、ハ一レムの女性たちの憩いの場所だったといわれアーヴィンクを魅了したという幾何学的にデザインされた植木が美しい。荒廃したアルハンブラ宮殿に滞在し、その体験をもとに1832年、「アルハンブラ物語」を上梓した作家アーヴィングの部屋を通り、アルバイシン地区が一望できる回廊は名所の一つである。明確には分からないが、前夜のフラメンコショーが行われたのは丘の上の建物付近ではないかと思う。
 アルハンブラ宮殿は東西に長く、西側のカルロス5世宮殿からナスル宮殿に入り、東のハーレムまで歩いてきて、外に出るとパルタル庭園である。ゆるやかな傾斜地に階段状に配された庭園で、アルバイシン地区を見下ろす展望台には、美しい貴婦人の塔が建つ。かつては周囲に宮殿や貴族の住居などが並んでいたという。糸杉と様々な幾何学的な花壇とで構成され、花壇には様々な花が咲き乱れている。アルハンブラ宮殿にはトイレが見当たらなかった気がする。そのためトイレのために出発点の砲台広場に戻った。ここからヘネラリーフェ庭園に向かう。
 ヘネラリーフェ庭園は14世紀初期に整備されたグラナダ王の夏の離宮で、建設当初の施設はあまり残されていないが、水をふんだんに利用した庭園は美しい。南東の角でアルハンブラ宮殿と連絡しており、左に谷を挟んでアルハンブラ宮殿を見つつ進むと糸杉を加工したの門やアーチがあり、さらに花壇やバレンシアオレンジの並木を歩くとアセキアの中庭に着く。アセキアとは水路のことで、全長50mほどの縦長の庭の中央に細長い水路が設けられ、左右に並ぶたくさんの噴水から水が絶え間なくふり注いでいる。黒竹や糸杉などのの並木道を南東に歩いて出口を出ると土産物店があり、バス駐車場に至る。

 バス駐車場から昼食を取るレストランまでグラナダ市内を歩く。現地ガイドもなく、どこを歩いているのか分からず、大きな教会や広場も帰国後にいろいろ調べたが名前は分からない。分かったのはカテドラル(大聖堂)と、特徴的な噴水のビブ・ランブラ広場だけだった。グラナダからカルモナへのバス車窓からは塔に巨大なアリが張り付いているサイエンスパークや、白っぽい葉のオリーブの並木が延々と続き、舗装がされてない田舎道に入るとサボテンの丘の上にカルモナの古城の外壁が見える。
 14世紀に建てられた古城の門をくぐり抜け、駐車場を通りすぎて古城ホテル(パラドール・デ・カルモナ)に入ると 小規模ではあるが噴水付きのパティオ(中庭)がある。客室には重厚なドアが付いたクローゼットがあり、窓から見ると崖の上でかなり高いことが分かる。オープンテラスでもあるバルコニーからは遥か下にプールがあり、客室の窓は石垣に開けられていることが分かる。
 夕食までの間、カルモナ市内を散策することにした。現在時刻は18時で、ホテルから英語の市内地図をもらって出かけたが、英語の地図と言ってもスペイン語のような表記で読み解くのは難しい。止むを得ず、まず歩いて様子を見ることにした。地図と違い、実際の道路は狭く、日本のかつての城下町のように迷路だらけで地図は役に立たない。サンタマリア教会のような分かりやすい目標はわかっても、今どの道を歩いているのか分からない。本来は近いはずの中央広場で18時半で、これ以上歩いても道に迷うだけであると考えて引き返すことにした。細く狭い迷路をひたすら東に向けて歩き、歩き始めた時に見た建物に辿り着く。

  H260322-24 コルドバ~マドリード~成田

 カルモナから曇天の高速道路をコルドバへ向かう。グアダルキビル川に架かるローマ橋北詰にあるプェンテ門を通り、右手のメスキータ沿いに北上し北側のミナレット横の免罪の門脇にあるチケット売り場から中に入る。オレンジの中庭の回廊を南下、大聖堂に向かう。ミナレットは免罪の門の横にそびえるイスラム寺院の尖塔である。
 メスキータとはスペイン語でモスク(イスラム教寺院)のことで、780年にアブドゥル・ラフマーン1世によって西ゴート王国の教会の跡地に建立された。建物の中央部には16世紀に造られた大聖堂(カテドラル)がある。時の王カール5世は大聖堂(カテドラル)完成後に「お前たちはどこにもないものを壊して、どこにでもあるものを造った」と嘆いたという逸話も残されている。メスキータに入ると約850本もの円柱が林立し、赤レンガと白い石を組み合わせた、馬蹄形の二重のアーチで天井を支えている。素材の違う2種類の石を組み合わせることにより、強度を増している。円柱の「森」とは言い得て妙であり、赤白のアーチが美しい。教会に様々な金や銀の宝物が納められており、かつてのスペインの栄華が偲ばれる。
 大聖堂を見物後、オレンジの中庭に戻り、免罪の門から出て北にあるユダヤ人街に向かう。ユダヤ人街はメスキータ北西の、白壁の家と路地が続くエリアでカトリック両王による追放令が出されるまで、多くのユダヤ人が住んでいた。細い道が複雑に入り組んで迷路になっており、現地ガイドにハグレると迷子になる。町の南側には、赤やピンクの花が咲き乱れる「花の小路」と呼ばれる場所がある。白い壁の両側に植木鉢がびっしりと吊されており、観光客に人気のスポットである。ユダヤ人街の散策を終え、出発点のプェンテ門に戻る。
 時折激しくなる雨の高速道路を走るもセビーリャに着くと暑いくらいの晴天に変わり、ポルトガル通りからスペイン広場へ入る。スペイン広場は1929年のイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られ、レンガとタイルを組み合わせた半円形で、スペイン各県の特徴や歴史を描いたタイル画のベンチがある。映画のロケ地としても有名で、アラビアのロレンスやスターウォーズで使われている。タイル画には風車に向かうドン・キホーテと従者サンチョ・パンサとか、グラナダやコルドバではレコンキスタのイスラム王国の降伏シーンが描かれている。旧市街に入り、黄金の塔からインディアス古文書館、アルカサルのライオンの門を経て大聖堂(カテドラル)、ヒラルダの塔前の公園を過ぎ、大聖堂(カテドラル)入口があるトリウンフォ広場に至る。
 セビーリャの大聖堂(カテドラル)は1402年から1世紀余をかけて建てられたゴシック様式主体の大聖堂で、スペイン最大の規模を誇る。中に入ると巨大な円柱が圧倒的で、数多いステンドグラスが美しい。主祭壇は修復工事中なのか、理由は分からないが、柵のため近寄れない。セビーリャは新大陸発見時の栄華が残っており、宝物室は金製品と銀製品とで部屋が別れている。 遺体ではなく遺灰が入ったコロンブスの墓は1898年のキューバ独立後、ハバナ大聖堂から移された。棺はレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの4人の歴代国王が担いている。前列右の王は十字架の付いた槍でザクロを刺している。ザクロはスペイン語でグラナダといい、この王はグラナダを制したカスティーリャ王である。
 大聖堂(カテドラル)のオレンジの中庭からトリウンフォ広場を経てサンタ・クルス街に向かう。サンタ・クルス街はセビーリャのカテドラルの東側に広がる、市内で最も色濃く旧市街の情緒を残している界隈である。同じような風景が続き、現地ガイドがいないと歩くことも出来ない。時刻は16時過ぎだが、道路に設けられたテーブルを囲んでビールやワインの宴会が繰り広げられている。ムリーリョ公園にあるコロンブスの記念碑には船腹にはイザベル女王とフェルナンド王の名が書かれ、台座にはコロンブスの顔がある。
 スペインの新幹線はスペイン高速の略称からAVEと呼ばれ、最高時速300kmで運行する。セビーリャのサンタ・ジュスタ駅から新幹線に乗るが、マドリードのアトーチャ駅には予定より5分以上早く着いた。添乗員によれば5分、10分の狂いは誤差だそうで、1分以内が常識の日本とは大違いである。バルセロナからバレンシアの時同様、ポーターはいないので結構な距離を歩かされる。アトーチャ駅はスペイン各地から不況対策を訴える全国的なデモ行進の最終日となり、帰宅する人で大混雑で、送迎バスがいつもの所に停まれず更に歩かされる。これでお終いと思ったら、ホテル向かいの国会議事堂周辺がデモ規制でバスが停まれず、スーツケースを押しながら坂道を上らされた。

 ホテルからサン・ヘロニモ通りの坂を下り、プラド通りを北上、シベーレス広場のコムニカシオネス宮殿(マドリード市庁舎)や右奥のアルカラ門を見つつ、レコレトス通りの国会図書館を過ぎてスペイン広場に着く。セルバンテスの記念碑にはドン・キホーテ像があり、記念写真を撮る人が多い、入口にサン・ヘロニモ・エル・レアル教会があるプラド美術館には、スペイン絵画の三大巨匠といわれるエル・グレコ、ゴヤ、ベラスケスをはじめ、16~17世紀に活躍したスペイン絵画の黄金時代の画家たちの作品が、キラ星のように並んでいる。約2時間でプラド美術館の有名な絵画を見物したが、写真撮影は禁止である。バスの車窓から泥棒市の風景を見ながらトレドに向かう。 車窓からタホ川沿いにトレドの風景を見つつ展望台に着く。タホ川沿いの展望台から見たトレドは崖の上の丘にあり、城塞都市としての面影が十分感じられる。タホ川に架かる歩行者用の橋であるサン・マルティン橋を過ぎ、タホ川に架かるラ・カバ橋を渡ってクリスト・デ・ラ・ベガ通りに入り、トレド市街に向かう。駐車場から城壁沿いに西進、6層のエスカレーターでトレド市街へ向かう。
 ローマ時代には一城塞都市だったトレドは、6世紀に西ゴート王国の首都になった。711年にイスラム教徒によって征服され、レコンキスタの流れの中で1085年カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によって再征服される。エスカレータを上った左手に地方議会堂があり直進し、迷路のような小路を右に、左に歩き、サント・トメ教会に着く。エル・グレコの「オルガス伯の埋葬」を所蔵していることで有名な教会で、撮影は禁じられているが、大きな絵で、一目でエル・グレコ作と分かる特徴的な人物像である。コンテ広場を経て、迷路のような小路を右に、左に歩く。
 古都トレドのカテドラルはスペインのキリスト教首座大司教座で、スペイン・カトリックの総本山といわれるだけに、各地のカテドラルの中でも最大の規模を持つ。荘厳な内陣、身廊をなどを見物し、聖具室のエル・グレコの「聖衣剥奪」を鑑賞する。迷路のような小路を又右に、左に歩き、地方議会堂の先のエスカレーターで駐車場に戻り、 マドリードのホテルに着く。

 空港に行くまでの間、マドリード屈指の繁華街であるサン・ヘロニモ通りを歩いたが、一昨日のデモに続き、野党党首の国葬のため国会議事堂周辺は道路閉鎖されてしまった。ホテルから繁華街のサン・ヘロニモ通りを西進、カナレハス広場を過ぎ、有名な繁華街のプエルタ・デル・ソル(太陽の門広場)まで行くも、土産に相応しいものも見つからず引き返すことにした。ホテルから規制地区外に出るのは良いが、戻ろうとすると検問にかかり、遠回りさせられた。マドリードのバラハス空港を出て、ロンドンのヒースロー空港でトランジットして成田に向った。




 
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