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中原街道 荏原三丁目交差点で戸越銀座(商栄会)に入る
荏原三丁目交差点自体が目立たない交差点で、渡った所に戸越銀座通りの案内柱があるが、これも目立たない。手持ちの地図と比較して歩かないと見落としかねない。 |
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戸越銀座(商栄会)を東進
道の両側の電柱には左に戸越銀座(商栄会)のロゴ、右に戸越銀座共通の野良猫のマスコット「戸越銀次郎」を描いた緑の小旗が飾られている。
しかし、これがあるから戸越銀座を歩いていると分かるが、道の両側は普通のマンションやアパートであり、道を間違えたのでは、と思いかねない。 |
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戸越銀座(商栄会)を東進 戸越銀座(商栄会)の入口ゲート
戸越とは、江戸越しの村、に由来する。関東大震災後に銀座のレンガを譲り受け、街に敷き詰めたことから銀座の名前を冠したと言う。その地域での繁華街、と言う意味で名付けた銀座ではない。全長1.3kmで、東京で最も長い商店街である。
戸越銀座は西から商栄会、中央街、銀六会の3商店街で構成されており、中央街がもっとも賑わっている。それぞれの商店街には入口と出口に写真のようなゲートがあり、ロゴは異なり、電柱を飾る小旗の色も異なる。 |
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戸越銀座(商栄会)を東進
武蔵小山のアーケードで覆われたパルム商店街のような整然とした印象はないが、様々な商店が延々と続く。 |
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戸越銀座(商栄会)を東進 野良猫のマスコット「戸越銀次郎」の小旗
小旗のデザインは3商店街共通だが、戸越銀座(商栄会)の小旗は緑色である。 |
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戸越銀座(商栄会)を東進 |
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戸越銀座(商栄会)を東進 『戸越と銀座のゆかり』
明治8年(1875)西村勝三氏が耐火煉瓦製造所を設立し、同20年に現在の品川区北品川4丁目に品川白煉瓦製造所と名を改め事業の展開を計りました。製造された煉瓦は中央区銀座のガス灯用のガス発生炉用耐火煉瓦として使用されたり、当品川区では旧仙台藩伊達家下屋敷跡(現東大井4丁目)の醸造工場等にも使用されました。
大正12年の関東大賞災で被害をうけた銀座のレンガを戸越の人々が譲り受け、当時水はけの悪かった戸越の大通り等に再利用しました。
この様な由縁で現在の戸越銀座の『銀座』の名称も全国でも一番先に譲り受けたとのことです。
『戸越銀座』が誕生して70周年の記念に品川白煉瓦株式会社と当時からの地主である竹内家の御厚意により、この歴史的資料をここに展示できたことを心より深謝いたします。
戸越銀座商栄会商店街振興組合
平成7年12月1日 |
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戸越銀座(商栄会)を東進 『戸越と銀座のゆかり』
案内板の下には当時使用されたレンガが展示されている。 |
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戸越銀座(商栄会)を東進 戸越銀座(商栄会)の出口ゲート |
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戸越銀座通り 東急池上線 戸越銀座駅 |
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戸越銀座通り 東急池上線 戸越銀座駅 |
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戸越銀座(中央街)を東進 戸越銀座(中央街)の入口ゲート
東急池上線の踏切を渡った所から戸越銀座(中央街)が始まる。 |
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戸越銀座(中央街)を東進 戸越銀座(中央街)のゲート
出口ではなく戸越銀座(中央街)としては続くが、国道1号線で途切れるためゲートがある。 |
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戸越銀座(中央街)を東進 戸越銀座交差点で国道1号を渡る
国道1号からの入口という意味でゲートがある。 |
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戸越銀座(中央街)を東進 戸越銀座交差点で国道1号を渡る
左手奥には首都高2号目黒線の戸越インターが見える。 |
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戸越銀座(中央街)を東進
小旗の色は青で、商店の種類も多く、賑わっている。 |
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戸越銀座(中央街)を東進 戸越銀座(中央街)のゲート
中央街は最も賑わっているせいか、ゲートの数も多い。尚、年末風景としてテレビ放映される時の戸越銀座のゲートは写真のデザインである。 |
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戸越銀座(中央街)を東進 |
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戸越銀座(中央街)を東進 戸越銀座(中央街)の出口ゲート |
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戸越銀座(銀六会)を東進 戸越銀座(銀六会)の入口ゲート
商店街の小旗は黄色となる。 |
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戸越銀座(銀六会)を東進 道案内 |
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戸越銀座(銀六会)を東進 道案内
道案内としては戸越公園、都営浅草線戸越駅、東急池上線戸越銀座駅と書かれているが、地図上には全く描かれておらず、近隣界隈図である。 |
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戸越銀座(銀六会)を東進
中央街に比べ華やかさに欠け、商店の数も少ない。 |
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戸越銀座(銀六会)を東進 宝徳稲荷神社
立派な提灯は「大社」であるが、住宅に挟まれた参道奥の社は小社である。 |
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戸越銀座(銀六会)を東進 戸越銀座(銀六会)の出口ゲート
出口ゲート付近は名前は戸越銀座だが、中央街のような華やかさはない。 |
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戸越銀座(銀六会)を東進 戸越銀座(銀六会)の出口ゲート |