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掲示板(一言どうぞ) |
東京、横浜の有名商店街散策
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01谷中銀座、上野界隈の徳川幕府の遺構巡りH290110
千駄木駅がある団子坂下交差点で不忍通りを渡り、都道神田白山線(三崎坂)へ入り最初の交差点で左折、谷中よみせ通りへ進む。延命地蔵尊が描かれている谷中よみせ通りのゲートの先にある谷中ぎんざ入口のゲートをくぐる。谷中七福神の幟が飾られた谷中ぎんざを東進、名物谷中メンチの肉のサトー、肉屋すずきや惣菜いちふじなどの有名店を過ぎ、夕やけだんだんを上る。坂上の御殿坂にあり山門に上野戦争時の弾痕が残る経王寺に寄った後、向かいの諏訪台通り(初音のみち)に進む。
初音町という町名は鴬谷と呼ばれるところがあり、初音とは、その年に初めて鳴く鴬などの声のことによる。入ってすぐに朝倉彫塑館がある諏訪台通り(初音のみち)は、通りの両側の至る所に寺院がある寺町で、道も狭く、結構車の通行もあり、路上駐車があると通り抜けるのに苦労する。赤穂義士供養塔がある赤穂浪士ゆかりの観音寺、狩野芳崖の墓がある長安寺、笠森お仙で有名な笠森稲荷がある功徳林寺、絵馬堂と過ぎ、突き当りの信号で左折、都道神田白山線へ進む。上野桜木交差点で左折して言問通りへ入り東進、浄名院の塀沿いの交差点で右折して上野寛永寺に向かう。
上野寛永寺に区道の門から入ると右手に根本中堂があり、正面奥に徳川慶喜が水戸退去前の2ヶ月ほど蟄居していた書院が見える。旧本堂(根本中堂)は現在の東京国立博物館前の噴水池あたりにあったが、彰義隊の兵火で焼失した。そのため川越市の喜多院の本地堂が移築され、寛永寺の本堂となった。本堂(根本中堂)の右側には鐘楼を始め、さまざまな遺構や碑がある。上野中学校沿いに区道を南下し突き当りで左折北上、突き当りで左折して寛永寺第三霊園に入る。徳川綱吉霊廟の勅額門を見た後、霊園の塀沿いに東進し徳川家綱霊廟の勅額門を過ぎ、忍岡中学校手前交差点で右折し東京国立博物館の柵沿いに歩いて東京国立博物館の正門で左折、上野公園へ向かう。
大噴水の外周沿いにチューリップの鉢植えセットが並べられている。正月ではあるが、蕾から咲き始めたばかりの段階だがきれいである。無風でポカポカして暖かく、大して歩いてもいないのに気が抜けたのか疲労感が強くなった。工事中の大噴水広場を過ぎ、数組の大道芸が演じられている枯木のサクラ並木のさくら通りを南下、動物園通りからさくら通りへの清水坂を上る。清水坂を上ると目の前に鬱蒼とした木立があり、そこが彰義隊墓所である。西郷銅像から京成上野駅への階段を下り、上野駅不忍口前のUENO3153(旧聚楽台)を経て東京メトロ銀座線の上野駅に至る。
02アメ横〜鳥越神社〜浅草橋雑貨問屋街〜横山町繊維問屋街〜甘酒横丁H290128
JR上野駅の不忍口から国際化し、雰囲気が大きく変わったアメ横商店街に入り南下する。アメ横に入った途端ヒジャブというイスラム女性教徒の独特のスカーフ姿が目に入る。中国人グループは言うまでもない。キャリーバックは当たり前で大きなスーツケースを転がす人も多く、通行の邪魔になる。
火鍋などの中国料理が多いが、結構大きな店があちこちに出来ている。アメ横は5年ぶりだが、その後のインバウンドブームが多くのマグロなどの販売店を消し去ったことになる。アメ横商店街の南端交差点で左折、春日通りへ出て御徒町駅に着く。
春日通りを東進、台東四丁目交差点で昭和通りを渡り、元浅草一丁目交差点手前の都営 大江戸線/つくばエクスプレス線の新御徒町駅の隣に佐竹商店街(佐竹通り)の北口がある。江戸時代、この付近一帯は、出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷があった地で、藩主は佐竹氏だった。アーケードには佐竹商店街に関するクイズの垂れ幕が掛かるが、回答はかすれて読めない。突き当りの佐竹通り南口交差点で清洲橋通りに合流、少し先の鳥越一丁目交差点手前で左折、おかず横丁へ入り東進、出口ゲートで右折する。
鳥越二丁目交差点で左折、蔵前橋通りへ出て東進、鳥越神社を訪れる。白雑2年(651)白鳥神社として創建。前九年の役の際、源頼義・義家がこの地で白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り隅田川を渡ることができたことから、鳥越大明神と名付けられた。蔵前橋通りを進み、蔵前四丁目交差点の先の蔵前一丁目交差点で右折、江戸通りへ進む。交差点には旧町名由来案内の旧浅草蔵前と天文台跡の案内板がある。
蔵前一丁目交差点から江戸通りに入ると季節の飾り物を扱う立沢商店があり、今回は桜の造花が飾られていた。江戸通りを南下すると、リボンと紐の中根商店、生活空間ディスプレイのプリズム味岡、四季の装飾の大西造花、須賀神社、ディスプレー装飾の丸正と続く。道路の反対側には人形の久月総本店、人形の三桜がある。JR総武線・都営浅草線の浅草橋駅先には、人形の秀月、江戸最古の吉徳大光がある。浅草橋北詰には浅草見附跡碑があり、神田川に架かる浅草橋を渡って浅草橋南交差点にある郡代屋敷跡案内板の先に浅草橋交差点がある。
浅草橋交差点で靖国通りを渡り左折、靖国通りを清杉通りへ向かい途中のゲートで右折、新道問屋街へ入る。馬喰横山繊維問屋街は西辺はJR総武線快速、南辺は都営新宿線、東辺は都営浅草線で囲まれた変形4角形である。新道問屋街に入ってすぐの交差点で左折、東通りを東進し突き当りで右折、横山町大通りを南下する。紳士服の量販店で有名な坂善本店などの店を通り過ぎ、突き当りで左折して清洲橋通りへ入る。共栄会通りを渡り、東日本橋三郵便局東を経て日本橋交差点で清杉通りと合流する。清洲橋通りを南下、久松町交差点の賀茂真淵県居の跡案内板を見た後、明治座前の浜町公園前交差点で右折、明治座通り(甘酒横丁)へ入る。
明治座通り(甘酒横丁)を西進、弁慶像がある浜町緑道から甘酒横丁となる。長い列が出来ている大正5年創業のたい焼きの柳家などを過ぎ、甘酒横丁交差点で左折、水天宮通りへ進み南下する。「江戸からの商業地」案内板や、人形町今半と経て、水天宮前交差点で白木が美しい水天宮社殿を見る。長らく工事中だった水天宮社殿は昨年(平成28年)4月8日に仮宮からの移転が終わり、一般に公開された。その後水天宮通りを戻り半蔵門線水天宮駅に至る。
04日暮里繊維街〜荒川仲町通り商店街〜ジョイフル三の輪〜旧日光街道 千住宿H290316
日暮里駅の東口バスターミナル南端から日暮里中央通りの裸木のサクラ並木を進み、日暮里駅前交差点で尾久橋通りを渡ると日暮里繊維街となる。日暮里繊維街は、日暮里中央通りを中心に両側約1kmにわたり、服地、繊維製品、服飾関連の小物や付属品の店舗が約90軒並ぶ。日暮里繊維街を東進、第二日暮里小学校の先の日暮里中央通り交差点で左折、尾竹橋通りへ進む。 尾竹橋通りを北上し三河島駅から最初の信号で右折してすぐの角を右折し、荒川仲町通り商店街へ入る。今まで2回JRのイベントで荒川仲町通り商店街を訪れたが、三河島駅の近くだが入口が分かりにくく、係員が立って道を指示していた。今回は係員がいないので曲がるタイミングが心配だった。荒川仲町通り商店街を東進し半ば過ぎで道路工事の為進めず、左折して住宅街を歩き、突き当りで右折、明治通りを南東に進む。荒川区役所前歩道橋、サンパール荒川前交差点と経て、当初予定していた荒川一丁目交差点の次の信号手前で左折、都電荒川線の踏切を渡り、すぐ先で右折し、ジョイフル三の輪へ入る。
都電荒川線の荒川一中前駅から入った所にジョイフル三の輪の入口がある。日比谷線三ノ輪駅や、都電荒川線三ノ輪橋駅周辺の散策コースによく取り込まれる有名な商店街である。ジョイフル三の輪を東進、区立瑞光公園を過ぎて、賑わっている都電荒川線三ノ輪橋駅界隈では品物を道路に張り抱いて並べる店が多く、買い物客の自転車通行も多いので歩きにくい。日光街道出口手前で右折、アーチが有名な都電荒川線始発の三ノ輪橋駅に寄った後、ジョイフル三の輪に戻り右折、出口で左折して日光街道へ出て北上する。 慶応4年(1868)の上野戦争で戦死した彰義隊士らが葬られている。円通寺の住職が彼らの死を悼み弔ったことが縁で、上野寛永寺の黒門が境内に移設されている。黒門には当時の鉄砲の弾痕が生々しく残っている。彰義隊士の墓の一画には多くの石碑が立ち並ぶが、上野戦争時の戦死者だけでなく、明治時代の没後に建てられた慰霊碑もある。有名人や大きな碑を中心に撮ったが、戦死者の碑は少なかった。墓所には箱館戦争で有名な榎本武揚、大鳥圭介、永井尚志、高松凌雲などが並ぶがいずれも追弔碑である。
日光街道を北上、南千住警察署入口交差点を過ぎ、南千住交差点角の素盞雄(すさのお)神社に着く。延暦14年(795)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は、「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。日光街道から参道を進むとひと目で富士塚と分かる岩山があるが、神社の説明板によると『素盞雄神社には「瑞光石」が鎮座する塚がある。この塚はある人の眼には富士塚として映り、″南千住富士″とも呼ばれる。』とある。正面の拝殿には赤絨毯にびっしりと飾られた雛人形があり、驚かされる。雛人形は地蔵堂脇のテントや、神楽殿にも飾られ、由緒などの説明はない。境内には大神輿のもみ綱新調のご奉賛の案内が境内のあちこちに掲示されていた。
日光街道 隅田川に架かる千住大橋隅田川に架けられた橋としては最も古く、最初の架橋は徳川家康入府4年後の文禄3年(1594年)である。千住大橋南詰には八紘一宇の碑や、千住大橋の来歴とそれに関連して松尾芭蕉の奥の細道が記されている。北詰には千住浮世絵顕彰碑や、足立市場前交差点にある千住宿奥の細道プチテラスの松尾芭蕉像と、芭蕉に焦点を当てている。この背景には深川から舟で来た芭蕉の奥の細道の第一歩が北詰(足立区)なのか南詰(荒川区)かの永年の論争がある。 足立市場前交差点にある千住宿奥の細道プチテラスにある松尾芭蕉像、大名行列から歩き始めるとすぐに旧千住宿千住河原町の「元やっちゃ場 南詰」の説明板がある。やっちゃ場は多くの問屋のセリ声が「やっちゃい、やっちゃい」と聞こえてくる場所(市場)からきたと言われている。京成本線のガード下をくぐると道路の両側の商店に元やっちゃ場遺構の説明板が展示されている。千住仲町交差点で墨堤通りを渡るとこの案内板はなくなる。千住仲町交差点角の源長寺(延命子育て地蔵)を過ぎ、千住仲町を北上、掃部宿憩いのプチテラス、千住掃部宿の詳細な説明板と経て、千住警察署入口交差点を渡り、本町商店街へ入る。ハローワーク足立前にある問屋場・貫目改所跡、ハローワーク足立と過ぎ本町商店街を北上する。千住二丁目交差点で右折、北千住駅前通り(きたろーど1010)へ入ると北千住駅に至る。
06武蔵小山パルム商店街〜戸越銀座〜大崎駅H290220
武蔵小山駅前の武蔵小山パルム駅前再開発現場の右手に進む。武蔵小山パルム商店街は,入口の武蔵小山駅前から出口の中原街道の平塚三丁目歩道橋手前まで、800mに渡り全天候型のアーケードが出来ている。明るいアーケードは清潔感が溢れている。出口で緩やかに左に曲がっていき、中原街道の平塚三丁目歩道橋手前で左折、中原街道を東進、荏原三丁目交差点で中原街道を渡る。
中原街道の荏原三丁目交差点で戸越銀座に入る。道の両側は普通のマンションやアパートであり、少し歩くと戸越銀座(商栄会)の入口ゲートがあり、アーケードで覆われた武蔵小山のパルム商店街のような整然とした印象はないが、様々な商店が延々と続く。道の両側の電柱には左に戸越銀座の3商店街のロゴ、右に戸越銀座共通の野良猫のマスコット「戸越銀次郎」を描いた小旗が飾られている。戸越銀座の商栄会を東進 『戸越と銀座のゆかり』日を経て東急池上線戸越銀座駅を過ぎると戸越銀座(中央街)のゲートがある。戸越銀座交差点で国道1号を渡り東進して、戸越銀座(銀六会)の入口ゲートに着く。宝徳稲荷神社を過ぎ、戸越銀座(銀六会)の出口ゲートに至る。 戸越銀座(銀六会)の出口ゲートを過ぎると三ツ木通り商店街で、街の雰囲気は激変し、ありふれた道路にコンビニなどの店が点在している。三ツ木通り商店街を東進、三ツ木公園を経て新幹線、横須賀線高架手前で左折し横須賀線沿いの坂を上り降りして突き当りで右折して区役所通りを北西に進む。百反通りを渡り、大崎ウィズシティN、BF大崎ビル(ソニーシティー大崎)、大崎駅西口バスターミナルと過ぎて大崎駅に至る。
08大島駅〜仙台堀公園〜砂町銀座〜仙台堀公園〜東陽町駅H291226
都営新宿線の大島駅がある新大橋通りの大島六丁目交差点で左折、丸八通りを南下し丸八橋北詰にある大島稲荷神社を見つつ丸八橋を渡って左折、小名木川沿いに東進する。塩の道橋右の仙台堀川公園入口から入って裸木のサクラ並木を南下、仙台堀川公園東交差点を過ぎ、東砂1丁目公園を左手に見つつ歩き、二つ目の信号がある交差点で右折して区道102号へ進む。 区道102号を西進、砂町銀座交差点で丸八通りを渡り、砂町銀座へ入る。下町を代表する有名商店街とするにはシャッター店もあり、閑散としているのには驚いた。しかし、この印象は西進するにつれ変わっていった。丸八通りから入ると自動車がすれ違える広さのある商店街であるが、途中で車1台がやっとの狭い道となり、それからは歳末大売出しで大賑わいの商店街となって明治通り側の出口である砂町銀座入口交差点に出る。明治通りを南下し、城東警察署を過ぎ、境川交差点で清洲橋通りを渡って弾正橋に至る。
明治通りの弾正橋北詰から仙台堀川公園へ下り、弾正橋、貨物線のJR越中島線の鉄橋を潜り抜けて西進する。遊歩道は木々の間を曲がりくねり、仙台堀川に沿ったサクラ並木や、庭園風の池などを眺めて歩く。横十間川親水公園との合流点や、カナダから贈られたトーテム・ポールを過ぎ豊住橋脇の出口に至る。
豊住橋北詰交差点で左折、四ツ目通りへ入り仙台堀川に架かる豊住橋を渡る。東陽六丁目交差点で葛西橋通りを渡り、四ツ目通りを南下し、江東区役所を過ぎて東陽町駅前交差点の東京メトロ東西線の東陽町駅に至る。
22イセザキモール〜馬車道〜赤レンガ倉庫H290123
桜木町駅から野毛大通り(県道218号)を歩き、桜木町二丁目交差点で国道16号を、花咲町二丁目交差点で新横浜道り(桜川新道)を渡り、横浜にぎわい座、野毛3丁目交差点、美空ひばり像と過ぎ、日ノ出町交差点で横浜駅根岸道路(市道80号)を渡る。県道218号は平戸桜木道路となり、日ノ出町駅ホーム下を進み初音町交差点で左折、藤棚浦舟通り(市道81号)へ進む。交差点に入ってすぐの京急本線黄金町駅を過ぎ、大岡川に架かる太田橋を渡る。
藤棚浦舟通り(市道81号)の伊勢佐木町6丁目交差点で左折するとモニュメントがあり、イセザキモールに入って北上する。イセザキモールは1、2丁目と3〜7丁目の2グループで構成され、5、6丁目はどこにでもある普通の商店街、3、4丁目は小奇麗だが特に繁華街という感じはしない。しかし、1、2丁目は閉店したが横浜松坂屋やカレーミュージアムなどの大きなビルが並び、繁華街の名残が残る。しかし、大きなビルは軒並みパチンコ屋やJRAの施設になっており、「横浜屈指」の面影は乏しい。6丁目商店街のモニュメント、5丁目商店街のモニュメントと過ぎ道路を渡って4丁目商店街へ入るとイセザキモールパーキングの前にピアノの形をした青江三奈の名曲である伊勢佐木町ブルースの歌碑がある。伊勢佐木町3丁目交差点で横浜駅根岸道路(市道80号)を渡り、2丁目商店街へ 入りJRAエクセル伊勢佐木、有隣堂書店と経て伊勢佐木町入口交差点のゲートを出て新横浜道り(桜川新道)を渡る。
伊勢佐木町入口交差点にあり、関内の名前の由来になった吉田橋関門跡の碑を過ぎ、馬車道交差点で国道16号線を渡って馬車道を北上する。関内ホール、写真師・下岡蓮杖顕彰碑、県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店) と経て本町四丁目交差点で本町通りを渡り、万国橋通りへ進む。
馬車道の本町四丁目交差点で本町通りを渡り、万国橋りへ入り、横浜第二合同庁舎(旧生糸検査所)、大岡川に架かる万国橋、万国橋交差点のワールドポーターズ と過ぎ、サークルウォーク交差点で右折、大桟橋に停泊する飛鳥Uを見つつサークルウォークを歩き国際大通りへ進む。赤レンガ倉庫の2号館横を歩き赤レンガパークに向かうが関東大震災で壊滅した旧税関事務所遺構は整備工事中だった。赤レンガパークから飛鳥Uを見た後、特設テント「鍋小屋」、1号館前の特設スケートリンク Art Rinkと経て国際大通りに戻る。
赤レンガ倉庫から新港橋を渡り、開港の道・山下臨港線プロムナードを東進 象の鼻パークの象の鼻テラスに立ち寄る。開港の丘から大桟橋に停泊する飛鳥Uを見た後、山下臨港線プロムナードの高架沿いのスクリーンパネルや開港波止場のピア象の鼻の観光船乗り場を経て、象の鼻パークの東端にある水上警察署から山下臨港線プロムナードに戻る。山下臨港線プロムナードを東進、スロープを下り山下公園へ入る。
津波避難情報が掲示された山下公園西端の休憩所から芝生広場を歩き始め、赤い靴を履いた女の子像に立ち寄る。麻布十番商店街の雑色通りにモデルとなった女の子の小さな像がある。きみちゃんはアメリカ宣教師の養女となったが病気でアメリカに行けず、孤児院で明治44年(1911年)に死んだ。9歳であった。さらに進み、氷川丸を過ぎ山下公園中央口交差点から出て直進、突き当りの朝陽門(東門)がある中華街東門交差点にある元町・中華街駅に至る。
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