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東京、横浜の有名商店街散策
04日暮里繊維街〜荒川仲町通り商店街〜
ジョイフル三の輪〜旧日光街道 千住宿H290316


【地図の見方】


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地図上の歩行距離 6.1km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります)
Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離

経路 A:日暮里駅〜日暮里繊維街〜B:日暮里中央通り交差点(0.8km)〜尾竹橋通り〜三河島駅〜
C:荒川仲町通り商店街入口(0.7km/1.5km)〜荒川仲町通り商店街〜明治通り〜
D:サンパール荒川前交差点(0.7km/2.2km)〜明治通り〜ジョイフル三の輪〜
E:円通寺(1.3km/3.8km)
〜素盞雄(すさのお)神社〜
旧日光街道 千住宿〜F:北千住駅(2.3km/6.1km)

【関連サイト】   タイムトラベル!昭和から平成へ、あらかわめぐりH240218日暮里駅〜荒川仲町通り商店街〜都電荒川線 三ノ輪橋駅)
タイムトラベル!昭和から平成へ、あらかわめぐりH240218(史跡 上野彰義隊所縁の円通寺)
初春の日光街道 旧千住宿散策H270311((円通寺 上野戦争遺構(彰義隊士墓、寛永寺 黒門))
初春の日光街道 旧千住宿散策H270311(日光街道〜素盞雄神社〜千住大橋)
    初春の日光街道 旧千住宿散策H270311(旧日光街道 旧千住宿散策) 
     
     

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 日暮里駅〜日暮里繊維街〜荒川仲町通り商店街

 日暮里駅の東口バスターミナル南端から日暮里中央通りの裸木のサクラ並木を進み、日暮里駅前交差点で尾久橋通りを渡ると日暮里繊維街となる。日暮里繊維街は、日暮里中央通りを中心に両側約1kmにわたり、服地、繊維製品、服飾関連の小物や付属品の店舗が約90軒並ぶ。日暮里繊維街を東進、第二日暮里小学校の先の日暮里中央通り交差点で左折、尾竹橋通りへ進む。

 尾竹橋通りを北上し三河島駅から最初の信号で右折してすぐの角を右折し、荒川仲町通り商店街へ入る。今まで2回JRのイベントで荒川仲町通り商店街を訪れたが、三河島駅の近くだが入口が分かりにくく、係員が立って道を指示していた。今回は係員がいないので曲がるタイミングが心配だった。荒川仲町通り商店街を東進し半ば過ぎで道路工事の為進めず、左折して住宅街を歩き、突き当りで右折、明治通りを南東に進む。荒川区役所前歩道橋、サンパール荒川前交差点と経て、当初予定していた荒川一丁目交差点の次の信号手前で左折、都電荒川線の踏切を渡り、すぐ先で右折し、ジョイフル三の輪へ入る。

 ジョイフル三の輪〜日光街道〜円通寺 上野戦争遺構(彰義隊士墓、寛永寺 黒門)

 都電荒川線の荒川一中前駅から入った所にジョイフル三の輪の入口がある。日比谷線三ノ輪駅や、都電荒川線三ノ輪橋駅周辺の散策コースによく取り込まれる有名な商店街である。ジョイフル三の輪を東進、区立瑞光公園を過ぎて、賑わっている都電荒川線三ノ輪橋駅界隈では品物を道路に張り抱いて並べる店が多く、買い物客の自転車通行も多いので歩きにくい。日光街道出口手前で右折、アーチが有名な都電荒川線始発の三ノ輪橋駅に寄った後、ジョイフル三の輪に戻り右折、出口で左折して日光街道へ出て北上する。

 慶応4年(1868)の上野戦争で戦死した彰義隊士らが葬られている。円通寺の住職が彼らの死を悼み弔ったことが縁で、上野寛永寺の黒門が境内に移設されている。黒門には当時の鉄砲の弾痕が生々しく残っている。彰義隊士の墓の一画には多くの石碑が立ち並ぶが、上野戦争時の戦死者だけでなく、明治時代の没後に建てられた慰霊碑もある。有名人や大きな碑を中心に撮ったが、戦死者の碑は少なかった。墓所には箱館戦争で有名な榎本武揚、大鳥圭介、永井尚志、高松凌雲などが並ぶがいずれも追弔碑である。

 素盞雄(すさのお)神社〜千住大橋〜旧日光街道 千住宿

 日光街道を北上、南千住警察署入口交差点を過ぎ、南千住交差点角の素盞雄(すさのお)神社に着く。延暦14年(795)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は、「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。日光街道から参道を進むとひと目で富士塚と分かる岩山があるが、神社の説明板によると『素盞雄神社には「瑞光石」が鎮座する塚がある。この塚はある人の眼には富士塚として映り、″南千住富士″とも呼ばれる。』とある。正面の拝殿には赤絨毯にびっしりと飾られた雛人形があり、驚かされる。雛人形は地蔵堂脇のテントや、神楽殿にも飾られ、由緒などの説明はない。境内には大神輿のもみ綱新調のご奉賛の案内が境内のあちこちに掲示されていた。

 日光街道 隅田川に架かる千住大橋隅田川に架けられた橋としては最も古く、最初の架橋は徳川家康入府4年後の文禄3年(1594年)である。千住大橋南詰には八紘一宇の碑や、千住大橋の来歴とそれに関連して松尾芭蕉の奥の細道が記されている。北詰には千住浮世絵顕彰碑や、足立市場前交差点にある千住宿奥の細道プチテラスの松尾芭蕉像と、芭蕉に焦点を当てている。この背景には深川から舟で来た芭蕉の奥の細道の第一歩が北詰(足立区)なのか南詰(荒川区)かの永年の論争がある。

 足立市場前交差点にある千住宿奥の細道プチテラスにある松尾芭蕉像、大名行列から歩き始めるとすぐに旧千住宿千住河原町の「元やっちゃ場 南詰」の説明板がある。やっちゃ場は多くの問屋のセリ声が「やっちゃい、やっちゃい」と聞こえてくる場所(市場)からきたと言われている。京成本線のガード下をくぐると道路の両側の商店に元やっちゃ場遺構の説明板が展示されている。千住仲町交差点で墨堤通りを渡るとこの案内板はなくなる。千住仲町交差点角の源長寺(延命子育て地蔵)を過ぎ、千住仲町を北上、掃部宿憩いのプチテラス、千住掃部宿の詳細な説明板と経て、千住警察署入口交差点を渡り、本町商店街へ入る。ハローワーク足立前にある問屋場・貫目改所跡、ハローワーク足立と過ぎ本町商店街を北上する。千住二丁目交差点で右折、北千住駅前通り(きたろーど1010)へ入ると北千住駅に至る。







 
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