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河原町駅〜四条通り〜花見小路

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京都 四条大宮交差点 アークホテル京都 四条通 四条大宮交差点 アークホテル京都 

河原町駅〜四条通り〜花見小路〜建仁寺〜松原通り〜六道珍皇寺〜松原通り(清水道交差点〜産寧坂入口)〜清水寺〜清水坂〜産寧坂〜霊山観音〜高台寺〜台所坂〜ねねの道〜祇園女御供養塔〜円山公園〜八坂神社〜京都駅

【撮影記録】
令和元年 7月 18日 曇り 時々小雨 後 雨
10:00〜15:30 13,600歩(概算 8.9km 地図上の距離 4.2km)

台風の影響で蒸し暑く、午後から雨の予報で当初の八坂神社から知恩院、平安神宮、二条城の部分は断念覚悟で歩いた。
ある程度覚悟はしていたものの、清水寺は中国人が90%以上で、写真を撮ろうとすると割り込まれ、工事中ではあるが舞台に行くには長蛇の列と散々で、休憩しつつタイミングを図ったが、断念した。産寧坂以降も状況は変わらず、さすがに高台寺は中国人は少なかったが、八坂神社も多く、雨が激しくなってきたのでタクシーで京都駅に向かった。料金も1,700円と思いの外に安かった。
四条通 四条大宮交差点 阪急京都本線 大宮駅 四条通 四条大宮交差点 阪急京都本線 大宮駅 

阪急京都本線 大宮駅から乗車して河原町駅で下車、東進して四条大橋を渡り祇園に向かう。
四条通を東進 四条大橋交差点 四条通を東進 四条大橋交差点 

地下駅の河原町駅から地上に出ると、四条大橋の西詰にある四条通の四条大橋交差点に出る。
四条通を東進 鴨川に架かる四条大橋 四条通を東進 鴨川に架かる四条大橋 
四条通を東進 鴨川に架かる四条大橋 四条通を東進 鴨川に架かる四条大橋 

鴨川沿いの西石垣エリアには夏の名物の鴨川納涼床が続く。WEBで調べると、店は中華あり、京料理ありと様々で料金も数千円から数万円と様々である。
四条通を東進 鴨川に架かる四条大橋 四条通を東進 鴨川に架かる四条大橋 

四条大橋の東詰の四条大橋交差点には地下駅の京阪本線の祇園四条駅があり、鴨川沿いの川端通に京都四條 南座がある。
四条通を東進 四条大橋交差点 京都四條 南座 四条通を東進 四条大橋交差点 京都四條 南座 
四条通を東進 四条大橋交差点 四条通を東進 四条大橋交差点 

これはボヤキというか、嘆きであるが、東京では道路名は「○○通り」で統一されている。関西は「△△通」が原則のように見えるが、場所によって、本などの文書によって同じ通りが「△△通り」となっている。例えば、四条大橋交差点東詰の標記である。

場所や本によって標記を変えるとホームページの統一性が乱れるので、当ホームページでは「△△通」で統一する。
四条通を東進 京都四條 南座 四条通を東進 京都四條 南座 

江戸時代(慶長年間 1596−1615年)初期に起源を発し、元和年間に官許されたとされる劇場で、同一の場所で今日まで興行を続けてきたという意味では、日本最古の劇場である。名称の由来は、四条通の南側に位置しているため。

1906年(明治39年)に松竹に買収され、以後松竹の直営となっている。
四条通を東進 京都四條 南座 四条通を東進 京都四條 南座 
四条通を東進 祇園祭の飾り付けがされている商店街 四条通を東進 祇園祭の飾り付けがされている商店街 
四条通を東進 祇園祭の飾り付けがされている商店街 四条通を東進 祇園祭の飾り付けがされている商店街 
四条通 右折して花見小路通へ 四条通 右折して花見小路通へ 

花見小路通(はなみこうじどおり)は、京都市の南北の通りの一つ。北は三条通から南は安井北門通まで約1km、祇園の中心を通るメインストリートである。 四条通を境に北側と南側で雰囲気は大きく異なる。四条通以北は居酒屋などが入居するテナントビルが立ち並ぶ。 四条通以南はもともと建仁寺の領地であったものが明治以降発展した。由緒ある茶屋や料理屋が立ち並ぶ。2001年に電線類地中化、石畳の整備が完成し、情緒ある町並みへと生まれ変わった。

実際に花見小路通を歩くと建仁寺に向かって一直線の道であり、明治以降紆余曲折はあったとは思うが、立派な表参道だったろう、と思わせる。
花見小路通を南下 一力亭 花見小路通を南下 一力亭 

祇園の中でも最も格式の高い、由緒のある「お茶屋」。
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも登場する歴史的なお茶屋で、元々の屋号は「万亭」でしたが、この芝居が大当たりし、世に知れ渡るようになると、実在の屋号までが芝居の中で使われた「一力」と言う名で呼ばれるようになりました。
大正初期の法律改正により四条通でのお茶屋営業が禁止され、四条通に面していた入口を花見小路側に移設しましたが、今もお座敷の名に当時の名残が残っています。

一力亭は花見小路通に入ってすぐに目につくいかにも格式あるお茶屋という雰囲気である。
 花見小路通を南下 久露葉亭 花見小路通を南下 久露葉亭 

一力亭の向かいにあり、ベンガラの壁が目立つ。帰京後にWEBで調べたらレストランで、料理はともかく、店員のサービスが良くないとの評価が並ぶ。

店の角に「祇園町南側歴史的景観保全修景地区」という黒い柱が立っている。
花見小路通を南下 菊梅、西坂 花見小路通を南下 菊梅、西坂 

左手前に和装小物の菊梅、その奥に京料理の西坂がある。
花見小路通を南下 ぎおん徳屋 花見小路通を南下 ぎおん徳屋 

ぎおん徳屋は甘味処であるが、右の壁に面白い掲示板がある。
花見小路通を南下 ぎおん徳屋 花見小路通を南下 ぎおん徳屋 

ぎおん徳屋との関係が分からないが、「七月授業日割表 八坂女紅場学園」という黒板が掲示されている。最初に「舞踊科 井上八千代先生」の札がかかる。

八坂女紅場学園は1872年(明治5年)に創設された八坂女紅場が母体である。1902年(明治35年)、財団法人となる。1951年(昭和26年)、学校法人となる。都をどりで知られる祇園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう)に付属するように看板があがっている。通称「にょこば」。
「女紅場」(じょこうば)は、明治初期、全国でにつくられた女子のための習い事の施設。のちにこの言葉は用いられなくなった。
祇園女子技芸学校の必須科目は舞、鳴物、茶道、三味線。その他、能楽・長唄・一中節・常磐津・清元・地歌・浄瑠璃・小唄・笛・華道・書道・絵画などを学ぶことができる。生徒は祇園の芸・舞妓の全員で、年齢は15歳から80過ぎまでと幅広い。
花見小路通を南下 花見小路通を南下 
花見小路通を南下 花見小路通を南下 

正面奥に建仁寺の北門が見える。
花見小路通を南下 付近観光案内図 花見小路通を南下 付近観光案内図 

付近観光案内図とは言うが、建仁寺は左下角で、右上角に清水寺、中央上に霊山観音と高台寺、左上に八坂神社と広範囲の地図である。



 
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