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清水寺(仁王門〜三重塔〜西門)

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清水寺 仁王門前広場 清水寺 仁王門前広場 

清水寺 創建伝承

宝亀9年(7788年)、大和国興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残して、去っていった。行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。
清水寺 仁王門前広場 熱中症計は厳重警戒 清水寺 仁王門前広場 熱中症計は厳重警戒 

現在時刻は11:55で、温度.31.8℃、湿度は高湿度で計測不可能、熱中症計は厳重警戒である。

今まで25℃を超すことのなかった東京から、一気に32℃で湿度は高湿度のため測定不可能というとんでもない状況である。水分補給のため、松原通の駐車場で買ったポカリスエットも既に空となった。
清水寺 仁王門の階段を上る 清水寺 仁王門の階段を上る 

次々に中国人が仁王門に向かうが、写真を撮ったら確認するためなかなか動かない。若い女性だけでなく若い男性の着物姿も多く、同じようにポーズを決めて写真を撮るので仁王門前が開かない。

着物姿もいいが、なにか着崩れ感があり、蒸し暑いので裾を捲り上げる娘や、50、60過ぎの老婆がピンクや赤の娘たちと同じ浴衣でポーズをとるなど化物屋敷であり、着物レンタル店の悪意を感じる。珍しく決まっている、と思ったら日本人だった。感覚的に90%以上が中国人、3〜4%がその他外国人、残りが日本人である。
 清水寺 仁王門から見た清水坂 清水寺 仁王門から見た清水坂 

次のお中国人団体が清水坂から仁王門前広場に屯している。
清水寺 仁王門から見た西門、三重塔に向かう 清水寺 仁王門から見た西門、三重塔に向かう 
清水寺 三重塔 清水寺 三重塔 
清水寺 随求堂 清水寺 随求堂 

1718年の再建。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。また、縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。ここでは胎内めぐりを体験できます。
清水寺 三重塔 清水寺 三重塔 

高さ約31メートル。国内最大級の三重塔で、京都の街からよく望見できることから古くから清水寺のシンボル的な存在です。創建は8477年、現在の建物は江戸時代の1632年に再建されたものです。大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。(重要文化財)
清水寺 経堂の南側の崖沿いを歩く 清水寺 経堂の南側の崖沿いを歩く 

工事中ではあるが、清水の舞台に向かう。
清水寺 経堂の南側の崖沿いを歩く 清水寺 経堂の南側の崖沿いを歩く 

階段を下り崖の下の道を歩いて舞台を下から眺めて音羽の滝に行くことも考えたが、昼過ぎに雨が降ることを考え、早めに高台寺に行くことにした。
清水寺 本堂拝観の普門閣(重文 轟門) 清水寺 本堂拝観の普門閣(重文 轟門) 

着物や浴衣姿の中国人が目立つ。右の拝観チケット売り場が混雑しており、清水の舞台が工事中ということもあり、大声の中国人に嫌気がして入場をやめた。
清水寺 本堂拝観の普門閣(重文 轟門) 清水寺 本堂拝観の普門閣(重文 轟門) 
清水寺 本堂拝観の普門閣(重文 轟門) 清水寺 本堂拝観の普門閣(重文 轟門) 
清水寺 本堂拝観の普門閣(重文 轟門) 清水寺 本堂拝観の普門閣(重文 轟門) 
 清水寺 本堂 工事中の清水の舞台 清水寺 本堂 工事中の清水の舞台 
清水寺 経堂、三重塔 清水寺 経堂、三重塔 

寛永10年(1633)の再建で、平成12年(2000)に解体修理されました。平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えました。それ以降は記録から消え、現在その一切経は伝来していません。堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基筆の墨絵の円龍が描かれています。毎年2月15日の涅槃会は、ここで行われます。(重要文化財)
清水寺 三重塔、西門 清水寺 三重塔、西門 
清水寺 西門 清水寺 西門 

現在の建物は1631年再建のもの。ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所です。(重要文化財)
清水寺 西門 清水寺 西門 

重要文化財 西門 江戸初期

 寛永八年(一六三一)の再建。三間一戸、正面八・七メートル、側面三・九メートルの優雅な八脚門で、西面して急な石段上に建つ。
 単層・切妻造り、桧皮葺き屋根で 正面には向拝をつけ、七段の木階を設け、床と共に高欄をめぐらし、背面には軒唐破風を架ける大層珍しい形式になる。軒は二重繁垂木、斗(ます)ぐみは和様一手先出組み。
 左右の脇間に鎌倉様式の写実性と量感ゆたかな持国天と増長天の立像を奉祀する。
 開放されている中央の間は立派な折上小組格天井となり、また随所に勝れた蟇股,虹梁木鼻などを多く備え、平成五年(一九九三)丹塗りと極彩色文様が復元され桃山様式の華麗さを再現している。
 拝殿風の華美なこの門からの京都市街・西山の眺望は素晴らしい。勅使門にも使われたが、絶好の洛中展望台とされ、かつ西山に沈む夕日の見事さに西方極楽浄土を観想する日想観拝所となったとも考えられる。
前方の仁王門と二門が相並び立つ趣向は格別に意味深長である。

 北法相宗清水寺
清水寺 仁王門 清水寺 仁王門 
清水寺 仁王門 清水寺 仁王門 

清水寺の正門です。1467〜1477年の戦(応仁の乱)によって焼失しましたが、16世紀初めに再建され、2003年に解体修理されました。幅約10メートル、奥行き約5メートル、棟高約14メートルの、再建当時の特徴を示す堂々たる楼門です。(重要文化財)
清水寺 仁王門 南側横から見た清水坂 清水寺 仁王門 南側横から見た清水坂 
清水寺 仁王門前広場からの風景 清水寺 仁王門前広場からの風景 
清水寺 仁王門前広場からの風景 清水寺 仁王門前広場からの風景 



 
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