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日本大通り駅〜大桟橋通り〜開港広場

【関連サイト】   横浜の開港遺跡、黄葉のイチョウ並木散策H281208(開港広場〜山下公園〜元町・中華街駅)

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みなとみらい線 日本大通り駅 みなとみらい線 日本大通り駅 

日本大通り駅〜大桟橋通り〜開港広場〜山下公園通り〜山下公園(インド水塔〜氷川丸〜未来のバラ園〜天空のパティオ)〜横浜人形の家〜元町商店街〜アメリカ山公園〜横浜外国人墓地〜港の見える丘公園(イングリッシュ・ローズの庭〜大佛次郎記念館〜霧笛橋〜香りの庭〜フランス山)〜元町・中華街駅

【撮影記録】
平成29年 5月 6日 晴れ
10:40〜12:20 6,000歩(概算 4.2km、地図上 3.5km)

4日前に全コースを歩く予定だったが、あまりの人出の多さに横浜公園から中華街に抜けて昼食とした。ところがこれが裏目に出て昼食修了が14時過ぎで、疲れも出てしまい、山下公園以降は断念した。本来は3日以降は天候不順のはずだったが、6日まで持ったので歩くことができた。
湿度は高くないが、温度は高く、2日は体調を途中で崩したので、こまめに水分補給と途中休憩を繰り返した。
本町通り 県庁前交差点 開港記念会館(ジャックタワー) 本町通り 県庁前交差点 開港記念会館(ジャックタワー) 

日本大通り駅の右手にある交差点で、シンメトリックな開港記念会館が目に入る。赤レンガ造りで横浜3塔の順位は3番だが、いかにも横浜、という雰囲気がある。
横浜開港50周年を記念して建てられた建物で、赤煉瓦と花崗岩をとりまぜた辰野式フリークラシックのスタイル。東南隅に高塔(時計塔)、西南隅にハ角ドーム、西北隅に角ドームをあげ、高塔は「ジャック」の愛称で親しまれている。
 関東大震災で内部を消失したが、RCの柱梁を入れて復元、昭和63年には屋根を復元して、現況の姿となった。
ちなみに、キングタワーが神奈川県庁で、クイーンタワーが横浜税関、ジャックタワーが横浜開港記念館である。

駅で左折して本町通りを東進する。
本町通り 港郵便局前交差点 日本大通リを渡る 本町通り 港郵便局前交差点 日本大通リを渡る 

日本大通りでも全国都市緑化よこはまフェア みなとガーデン2017の花壇が展示されている。
本町通り 大さん橋入口交差点で左折、大桟橋通りへ 本町通り 大さん橋入口交差点で左折、大桟橋通りへ 
大桟大桟橋通り 新緑のケヤキ並木を北上 大桟大桟橋通り 新緑のケヤキ並木を北上 
大桟橋通り 大さん橋入口交差点 電話交換創始之地 大桟橋通り 大さん橋入口交差点 電話交換創始之地 

横濱電話交換局跡
明治廿三年十二月十六日
紀元二千六百年
記念
逓信省
 大桟橋通り 大さん橋入口交差点 電話交換創始の地 大桟橋通り 大さん橋入口交差点 電話交換創始の地 

 明治23年(1890)12月16日、この場所にあった横浜電話交換局おいて,横浜と東京間及び市内にわが国で初めて電話交換業務が開始されました。

平成4年4月1日
日本電信電話株式会社
大桟橋通り 大さん橋入口交差点 近代のパン発祥の地 大桟橋通り 大さん橋入口交差点 近代のパン発祥の地 

 一八五九年、欧米諸国との貿易がはじまるや、幕府は、日本大通五番地の横浜港郵便局を中心とするこの地区に、外国人の日用食料品街「お貸し長屋」を建てた。
 その一画で、内海兵吉は一八六〇年、フランス人にパンの製法を習って「パン屋」をはじめた。
 当初は「焼き饅頭」のようなものができた。だが、これが現代日本人の日常生活につづくパン食文化の始めである。パンの元祖「富田屋」として知られた。
 その後、イギリス人クラークのパン屋「ヨコハマベーカリー」が登場する。ここで修業し、受けつぎ発展したのが打木彦太郎の元町「ウチキパン」で、イギリス流の山型食パンである。
 現代日本の日常生活に根づくバン食文化「パン屋」がはじまったこの地区に、横浜市中区制九〇周年を記念し「近代のパン発祥の地」を設置する。
大桟橋通り 新緑のケヤキ並木を北上 大桟橋通り 新緑のケヤキ並木を北上 
大桟橋通り 横浜海岸教会 大桟橋通り 横浜海岸教会 
大桟橋通り 横浜海岸教会 大桟橋通り 横浜海岸教会 

我が国最古のプロテスタント教会につながる由緒ある教会堂。明治8年(1875)鋳造の鐘を今も開港広場に鳴り響かせている。鐘塔の屋根の庇と塔の庇が重畳するなど、個性的な造形がこの建物の魅力。             

所在地  :中区日本大通8
構造・規模:RC造3階
建築年代 :昭和8年(1933)
指定・認定:横浜市認定歴史的建造物
      平成元年(1989)12月
設   計:雪野元吉
施   工:宮内工務店
大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 
大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 

普段は何もない円形の広場だが、所狭しと様々な花が植えられている。
大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 横浜開港資料館(旧英国総領事館) 大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 横浜開港資料館(旧英国総領事館) 

英国工務省の設計で、昭和6年(1931)に建てられました。鉄筋コンクリート造3階建一部地階付、銅阪葺屋根をもつ邸館風建築で、古典主義建築の秀作です。
 英国総領事館は、昭和47年(1972)に横浜での業務を停止しました。昭和56年(1981)この建物を利用して、横浜開港資料館が開館しました。
大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 旧居留地90番地の大砲 大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 旧居留地90番地の大砲 

口径11.5cm 全長 282.5cm 重量 1480kg

 外国人居留地90番地(現山下町90番地)に、生糸の輸出と時計の輸入に従事していたスイスの商社、シーベル・ブレンワルト商会(慶応元年(1865)創立)があり、明治維新の際の 戊辰戦争中は武器の輸入も行っていました。 昭和34年、同社跡地で建物の基礎工事中に大砲が見つかり、掘り出され、展示されておりましたが、平成15(2003)年、横浜市に寄贈されました。この大砲は、鋳鉄製の11ポンドカノン砲で、オランダ東印度会社のエンクハイゼン商館所属船の備砲です。使わなくなった大砲を錨に作り変え、横浜に出入りする船に売買するために持っていたものが、大正12(1923)年の関東大震災の時に、地中に埋まって しまったのではないかと推察されます。明治43年に出版された書籍に、同社の「倉庫の入り口に明治初年に武器を扱っていた記念として大砲が備えつけられていた」という記載があります。
 明治初期の外国人居留地の外国商館と、取扱商品並びに輸入先がわかる遺品として、貴重な資料です。

平成15年12月  横浜市教育委員会
大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 旧居留地90番地の大砲 大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 旧居留地90番地の大砲 
大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 横浜開港資料館(旧英国総領事館) 大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 横浜開港資料館(旧英国総領事館) 
大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 日米和親条約締結の地 大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 日米和親条約締結の地 

安政元年(1854年)2月から3月にかけて、日米代表が横浜村の海岸で会見、和親条約を結んだ。これは、神奈川条約ともいわれ、日本の開国を促し、本市の誕生の遠因ともなった。歴史的舞台となった応接所のあとは、現在の神奈川県庁の付近である。
大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 大桟橋通り まちなかフラワースポット 開港広場 
大桟橋通り 開港広場前交差点で右折、山下公園通りへ 大桟橋通り 開港広場前交差点で右折、山下公園通りへ 

直進すると大桟橋に向かう。



 
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