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港の見える丘公園 フランス山 港の見える丘公園 フランス山 
港の見える丘公園 フランス山 港の見える丘公園 フランス山 

フランス領事館時代
建物震災前のフランス領事館

1894(明治27)年、フランス人建築家サルダの設計により建築に着手、1896(明治29)年3月に完成しました。煉瓦造2階建て、建坪およそ36mX18mの規模でしたが、官邸とともに関東大震災で倒壊しました。跡地からはジェラール瓦、煉瓦などが出土しています。フランス橋の橋台壁面には、’RF’(フランス共和国の略)と彫られたメダイヨン(円形飾り)が保存展示されています。領事館正面外壁に嵌め込まれていたもののうちの一つです。また、展示してある遺構は工事の際、出土したものです。
港の見える丘公園 フランス山 パルタール広場 港の見える丘公園 フランス山 パルタール広場 

沿革
 パリの中央市場は、12世紀以来パリ中心部のレ・ア−ル(LES HALLES)地区に存在していました。19世紀後半ナポレオン三世時代にオスマン市長が建築家バルタールに設計を依頼し新たな姿にしたものがこの建造物です。
 全体は、12棟で構成され1854年〜1858年に6棟が建てられ1860年〜1866年に3棟、1886年に1棟そして最後の2棟は1935年に完成しました。
 市場は、主要部分を占める地上階と倉庫である地下階部分とから成っていました。地上階の鉄骨上屋は、パリ郊外に復元されており、当公園に設置されたこの構造体は地下階部分のものとして、上部構造を支え、柱、アーチ・梁等すべて鋳鉄製で構成されている珍しいものです。
 建設時期は、エッフェル塔より前であり、初期の鉄骨様式を知るうえで貴重なものであります。
港の見える丘公園 フランス山 港の見える丘公園 フランス山 

階段を上り、展望台に向かう。結構長くて急な坂であるが、エスカレーターなどなく、上るも下るも年配者には大変である。
港の見える丘公園 フランス山 港の見える丘公園 フランス山 

階段を上りきった所から撮ったもので、一番下の所で左右にさらに階段がある。
港の見える丘公園 フランス山 フランス領事官邸遺構 港の見える丘公園 フランス山 フランス領事官邸遺構 

フランス領事官邸遺構は、様々な案内板がなければ、単なる廃墟である。
港の見える丘公園 フランス山 フランス領事官邸遺構 港の見える丘公園 フランス山 フランス領事官邸遺構 

 1862年9月(文久2年8月)に起きた生麦事件など、攘夷派による外国人殺傷事件が相次いだため、フランスは、横浜居留地に住む自国民の保護と居留地の防衛を目的に、イギリスとともに軍隊の駐屯を決定しました。
 1863年6月下旬(文久3年5月)フランス海兵隊が横浜に到着し、山手居留地185番に駐屯を開始、7月、8月頃、駐屯軍兵舎が186番に3棟建設されました。1875(明治8)年3月に撤退するまでの約12年間、部隊の交替をくり返しながら駐屯を続けました。これがフランス山と呼ばれるようになった由来です。
 撤退により兵舎が不要となったので、海兵隊当局はフランス山の永代借地権をフランス駐日外交代表部に譲渡しました。横浜駐在のフランス領事はここに領事館を建設する提案をしましたか、なかなか実現しないでいたところ、1885(明治18)年になってフランス人居留民の有志らが領事館建設の嘆願書を提出しました。このことがきっかけとなって計画が具体化し、1894(明治27)年にフランス人建築家サルダの設計で、領事館と領事官邸の新築工事が始まりました。1896(明治29)年3月、山手185番(フランス山下方)に領事館、12月に山手186番(フランス山上方)に領事官邸が完成します。領事官邸には、風車の付いた井戸が掘られました。
 1923(大正12)年、関東大震災により、領事館・領事官邸ともに倒壊します、震災後、領事館は仮設の建物を使用していましたが、官邸は、1930(昭和5)年、スイス人建築家ヒンデルの設計で山手186番に再建されました。その官邸も、戦後まもない1947(昭和22)年には火災で焼失してしまいます。現存している遺構は、その際に焼け残った1階部分です。
港の見える丘公園 フランス山 港の見える丘公園 フランス山 
港の見える丘公園 展望広場 案内図 港の見える丘公園 展望広場 案内図 

港の見える丘公園の現在展望台になっている高台の周りには、幕末から明治の始めにかけてイギリス軍兵舎がおかれ、山のすそにはフランス軍が駐屯していた記録があります。この山は今でもフランス山と呼ばれ親しまれています。
 その後、高台にはイギリス領事館邸が、山側にはフランス領事館が建てられ、高台ではイギリス領事館邸がそのままイギリス館として市民に利用されています。フランス領事館は既になくなっていますが、フランス領事館跡、フランス橋、フランスより寄贈されたバルタールパビリオン等が今でもフランスのなごりを残しています。
 園内の沈床花壇は、刈り込まれたカイズカイブキに囲まれて噴水や緑の芝生があり、ローズガーデンにはバラや季節の花が訪れる人々を楽しませてくれています。
 海に臨んだ展望台や霧笛橋からは横浜港、山下公園、ベイブリッジが見え、晴れた日には房総の山々を眺めることができます。
 また、大佛次郎記念館、神奈川県近代文学館も公園にあり、市内外より多くの観光客が訪れています。
港の見える丘公園 展望広場 港の見える丘公園 展望広場 
港の見える丘公園 展望広場から見えるベイブリッジ 港の見える丘公園 展望広場から見えるベイブリッジ 

ベイブリッジが遠くに見えるが、冬の晴れた日以外は靄がかかっているようで、きれいな写真が撮れない。
港の見える丘公園前交差点から出て、山手本通りへ 港の見える丘公園前交差点から出て、山手本通りへ 
山手本通り 横浜外人墓地 山手本通り 横浜外人墓地 

入口の横の道を進むとアメリカ山公園に出る。
山手本通り 横浜外人墓地 山手本通り 横浜外人墓地 
山手本通り 横浜外人墓地 山手本通り 横浜外人墓地 
山手本通り 元町公園前 横浜山手聖会堂 山手本通り 元町公園前 横浜山手聖会堂 

元町公園の前にあり、中世ヨーロッパの城のようである。
山手本通り 元町公園前 山手234番館 山手本通り 元町公園前 山手234番館 
山手本通り 元町公園 山手本通り 元町公園 
山手本通り 元町公園 エリスマン邸 山手本通り 元町公園 エリスマン邸 

エリスマン邸は「現代建築の父」と言われるアントニン・レーモンドの設計で、大正15年(1926)に建てられた建築史上極めて価値の高い洋館です。平成2年、元町公園内に移築・復元されました。
1階は大正時代の洋館の部屋のようすを復元し紹介しています。暖炉のある応接室、テーブルのある居間兼食堂、庭を眺めるサンルームがあります。2階では”横浜山手”の歴史やこの地区にある洋館の紹介をしています。写真、図面など洋館に関する資料を展示しています。
山手本通り 元町公園 エリスマン邸 山手本通り 元町公園 エリスマン邸 

エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
 山手本通り 元町公園前 横浜雙葉学園 山手本通り 元町公園前 横浜雙葉学園 

交差点の手前右側にべーリック・ホールがあり、向かいの右側が元町公園、反対側に横浜雙葉学園がある。横浜山手、フェリス女学院と名門の女子校が建ち並ぶ。
山手本通り 元町公園 べーリック・ホール 山手本通り 元町公園 べーリック・ホール 
山手本通り 元町公園 べーリック・ホール 山手本通り 元町公園 べーリック・ホール 
山手本通り 元町公園 べーリック・ホール 山手本通り 元町公園 べーリック・ホール 

べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
平成13(2001)年横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から建物と庭園を公開しています。



 
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