新大橋~椙森神社~新日本橋駅


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【関連サイト】 隅田川の橋めぐり 第3回 東京~神田(H17-06-04)


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新大橋 新大橋 

江戸時代には焼失や流失を締り返したか、明治45年に架けられた鉄橋は明治・大正・昭和の3代を生き抜き、隅田川最長寿の橋であった。関東大震災の際にも唯一この橘だけが通行可能で多くの人命を救った。現在の橋は昭和52年に完成した。
新大橋 新大橋 
清洲橋通りを渡る。 清洲橋通りを渡る。 

新大橋通りを西進、水天宮前交差点の手前の人形町二郵便局で右折する。
松島神社(大国神) 松島神社(大国神) 

昔、この辺りが海だった頃、松の繁る小島にあったことから、この名がついた。願い事を書いて枕の下に入れて眠ると、正夢が見られるという「良夢札」が人気を集めている。11月には「酉の市」が立ち賑わう。
松島神社(大国神) 松島神社(大国神) 

ビルの中に組み込まれている。
甘酒横丁を渡る。 甘酒横丁を渡る。 

新大橋通りの北に沿って甘酒横丁がある。人形町と浜町とを結び、浜町側の出口には明治座がある。
末廣神社(毘沙門天) 末廣神社(毘沙門天) 

延宝3年(1675年)に社殿修復の際に末広(扇子)が出てきたことから末広神社と呼ばれるようになった。江戸時代は葭原の総鎮守で、今日でも飲食業の信仰を集めている。毘沙門天を祀っている。
末廣神社(毘沙門天) 末廣神社(毘沙門天) 
笠間稲荷神社(寿老神) 笠間稲荷神社(寿老神) 

茨城県笠間市の本社から、江戸時代中期に分祀された神社。寿老神は長寿の神、幸運を導く神として福徳長寿の守護神である。
人形町交差点で右折 人形町交差点で右折 
玄冶店(げんやだな)跡 玄冶店(げんやだな)跡 

江戸時代初期、新和泉町(人形町三丁目)のこの辺りは、幕府の医師であった岡本玄冶の拝領屋敷があったことから「玄冶店」と呼ばれていました。
 玄冶店の名は、歌舞伎狂言作者の三代瀬川如皐が脚色し、嘉永六年(一八五三)に中村座で初演された「与話情浮名横櫛」の「源氏店(玄冶店)の場」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となり、その名が広く世に知られるようになりました。
玄冶店(げんやだな)跡 玄冶店(げんやだな)跡 
椙森神社(恵比寿神) 椙森神社(恵比寿神) 

江戸時代に、頻繁に富くじが行われ、境内に「富塚の碑」が建っている。今でも宝くじの当選祈願をする人が絶えない。恵比寿神は商売繁盛の神である。
椙森神社(恵比寿神) 椙森神社(恵比寿神) 

 椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。
 しばしば江戸城下等の火災で寺社が焼失し、その再建の費用のために、有力寺社で当たりくじである富興行が行われ、当社の富も人々に親しまれていました。
椙森神社(恵比寿神) 椙森神社(恵比寿神) 
寶田恵比寿神社(恵比寿神) 寶田恵比寿神社(恵比寿神) 

もとは皇居前にあり、恵比寿神像は慶長11年に徳川家康から拝受したという。1月20日に初恵比寿、10月19、20日に元禄時代から続く恒例行事「べったら市」が開かれる。べったり運がつくと人気が高く、商売繁盛の神として信仰されている。
本町3丁目交差点で昭和通りを渡る。 本町3丁目交差点で昭和通りを渡る。 
JR新日本橋駅 JR新日本橋駅 

総武線快速のこの駅は、江戸通りの下にある地下駅である。
ゴール風景 JR 総武線快速 新日本橋駅 ゴール風景 JR 総武線快速 新日本橋駅 

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