白山神社~樋口一葉旧居跡~水道橋駅
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【関連サイト】 | 樋口一葉が愛した本郷・真砂町(H16-11-20) | |
江戸風景 有名人の墓所 |
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夏目漱石旧居跡 日本医大前交差点で右折し、日本医科大のすぐの所にある 夏目漱石 本名・金之助。慶応3年~大正5年(1867~1916)。小説家。この地に、漱石がイギリ ス留学から帰国後の、明治36年3月から39年12月、現在の西片1丁目に移るまで、3年10か月住 んだ家があった。(家主は東大同期の斉藤阿具氏) 当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の 筆をとった。その作品『吾輩は猫である』の舞台として、“猫の家,,と呼ばれ親しまれた。 この地で、『倫敦塔』『坊っちゃん』『草枕』などの名作を次々に発表し、一躍文壇に名をあらわし た。漱石文学発祥の地である。 漱石が住む13年程前の明治23年10月から1年余り森鴎外が住み、文学活動に励んだ。鴎外は、こ こから団子坂上の観潮楼へ移っていった。 |
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夏目漱石旧居跡 | |
光源寺(駒込大観音) 高さ約6mの駒込大観音がある。7月9・.1O日の「四万六千日」の緑日のほおづき市で知られる。 光源寺から西進するとコースの白山神社へ、東進すると森鴎外の観潮楼、団子坂を経て谷中霊園に向かう。 |
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光源寺(駒込大観音) | |
向丘2交差点で本郷通りを渡る | |
旧白山通りに進む | |
白山神社 6月頃境内を彩るあじさいが有名。天暦年問(947~57)に加賀一宮白山神社を現在の文京区本郷に勧請したのが始まりとされる。 |
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白山神社 | |
白山神社 | |
八百屋お七の墓 白山下交差点から旧白山通りに向かう途中にある。円乗寺と言う小さな寺の境内とも言えないような場所にある。 八百屋お七は鈴ヶ森刑場で火刑になったが、相手の吉三は出家して明王院で菩提を弔ったと言う。 |
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八百屋お七の墓 お七については、井原西鶴の「好色五人女」など古来いろいろ書かれ語られて異説が多い。 お七の生家は、駒込片町(本郷追分など)で、かなりの八百屋であった。天和の大火(天和2年(1682)12月、近くの寺院から出火)て、お七の家が焼けて、菩提寺の円乗寺に避難した。その避難中、寺の小姓の佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になった。やがて家は再建されて自家にもどったが、お七は佐兵衛に会いたい一心でつけ火をした。放火の大罪で捕らえられたお七は、天和13年3月29日火あぶりの刑に処せられた。数えで16歳であったという。三基の墓石のうち中央は寺の住職が供養のため建てた。右側のは寛政年間(1789~1801)岩井半四郎がお七を演じ好評だったので建立した。左側のは近所の有志の人たちが、270回忌の供養で建立したものである。 |
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八百屋お七の墓 | |
石川啄木ゆかりの蓋平館別荘跡 石川啄木は明治41年(1908年)に上京、赤心館に下宿したが、貧困のため下宿代が払えず、金田一京助の助けで蓋平館に移った。赤心館時代に詠んだのが「東海の~」の短歌である。 |
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石川啄木ゆかりの蓋平館別荘跡 | |
一葉ゆかりの伊勢屋質店 | |
一葉ゆかりの伊勢屋質店 樋口一葉が菊坂町に住んでから、度々利用した質屋である。 |
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樋口一葉の菊坂旧居跡 樋口一葉が新五千円礼に採用された直後の平成16年秋は、この一帯はいろいろなツアーで賑わっていた。 明治期に活躍した小説家・歌人の樋ロー葉(1872~1896)の旧居跡。24年間の短い生涯のうち、約10年間現在の文京区内に住んだ。当時の雰囲気を漂わせる「一葉ゆかりの井戸」も残る。 |
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樋口一葉の菊坂旧居跡 路地の狭い道の奥にある。 一葉は、父の死後母妹と共に、次兄虎之助のもとに身を寄せた。しかし、母と虎之助との折り合が悪く、明治23年(1890)9月、3人は旧菊坂町70番地(この路地の菊坂下道に向かって右側)に移ってきた。 坂の萩の舎(一葉が14歳から没するまで通った歌塾)に近い所であった。明治25年(1892)5月にはこの路地の反対側の下道に面したところ(菊坂町69番地)に移った。 |
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町名由来 旧菊坂町 この辺一帯は菊畑があった。坂を菊坂といい坂を坂下を菊坂町と名づけた。元禄9年(1696)町屋が開かれその後町奉行支配となった。町内には、振袖火事の火元の本妙寺があった。下通りには、女流作家樋口一葉が住んだ。現在旧居跡には使った掘抜井戸が残っている。 |
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樋口一葉の菊坂旧居跡 | |
炭団坂 本郷台地から菊坂の谷へ下る急な坂である。名前の由来は「ここは炭団などを商売にする者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたといわれている。 台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていた。今のように階段や手すりがないころは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことであろう。 この坂を上りつめた右側の崖の上に、坪内逍逼が明治17年(1884)から20年(1887)まで住み、「小説神髄」や「当世書生気質」を発表した。 |
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町名由来 旧真砂町 寛永(1624~44)以来、真光寺門前と称して桜木神社前の一部だけが町屋であった。 明治2年、古庵屋敷を俳せて真砂町の新町名をつけた。浜の真砂のかぎりないようにと町の繁栄を願って命名した。 |
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文京ふるさと歴史館 文京区の歴史、ゆかりの文学者や史跡などをわかりやすく字べる。企画展「文の京の写真展~なつかしい昭和を訪ねて」開催中(3月19日まで)。 |
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水道歴史館 東京都水道局の本郷給水所に設置。近代水道の歴史や江戸上水の歴史を紹介している。入□右手の植込みを通って裏手には、本郷給水所公苑があり市民の憩いの堀として親しまれている。 |
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旧岩崎邸庭園~東京大学~根津神社