西ヶ原一里塚〜赤紙仁王尊(東覚寺)〜田端
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西ヶ原一里塚 慶長九年(一六0四)二月、江戸幕府は、江戸日本橋を基点として全国の主要街追に一里塚を築き、街道の道程を示す目安とすることを命じました。 西ケ原一里塚は、本郷追分の次の一里塚で、日本橋から 数えると日光御成道のニ番目の一里塚にあたります。都内の日光御成道は現在の本郷道りが主要なルートにあたりますか、岩淵宿から船で川□宿に渡ると鳩ケ谷・大門・岩槻の各宿場を北上して幸手宿で日光街道に合流しました。 将軍が東照宮に社参する際の専用街道として使用されたので、この名称が定着しました。 |
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西ヶ原一里塚 本郷通りの中に中央分離帯風に堤があり、車の流れの合間を見て渡って撮った。 東京近辺には、旧街道の史跡が至る所にある。 |
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七社神社 七柱の神々を祀っていることが社名の由来。明治時代以前には旧古河庭園内に祀られており、明治元年(1868)に一本杉神明宮の現在地に遷座した。大鳥居前に「日本橋より2里目」の一里塚かおり、旅人の守護神としての信仰も集める。 |
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七社神社 | |
七社神社 日露戦役記念碑 | |
国立印刷局 滝野川工場 | |
国立印刷局 滝野川工場 | |
東京メトロ(旧営団) 南北線 西ヶ原駅 | |
東京高等蚕糸学校発祥之地 | |
北区立 滝野川公園 | |
本郷通りを道なりに右折 | |
旧古河庭園 バラの季節であれば入ったが、以前も来ており素通りした。 今年の1月26日に和洋の調和が秀逸な近代庭園として国の名勝に指定された。武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、洋館・洋風庭園・日本庭園の3つが美しく調和している。 |
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JR 駒込駅 本郷通りを直進せず、手前で左折、山手線の下をくぐって左折し、田端に向かう。 |
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田端銀座商店街 JR主催の「駅からハイキング」のお決まりのコースである地元商店街散策である。 ひとまわりすれば生活に必要なものが全てそろうほどバラエティに富んだ商店が立ち並ぶ。おいしそうな匂いが食欲をそそり、威勢のいい呼び声が飛び交う、活気ある商店街だ。 |
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赤紙仁王通り | |
赤紙仁王尊(東覚寺) 寛永18年(1641)建立の仁王像で有名な寺。赤紙を自分の患部と同じ個所に張って病気身代わりと心身安穏を願う。 |
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赤紙仁王尊(東覚寺) | |
赤紙仁王尊(東覚寺) 石造金剛カ士立像は、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれています。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在も、なお、祈願する人が絶えません。横の草鞋は、祈願して病気の回復したとする人々によって供えられたものです。 この赤い紙はプラスチックで出来ており、水に濡れても大丈夫になっている。 |
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赤紙仁王尊(東覚寺) | |
赤紙仁王尊(東覚寺) | |
田端八幡神社 赤紙仁王尊(東覚寺)の赤紙仁王が横に見える。 このハ幡神社はヽ田端村の鎮守として崇拝された神社で品陀和気命(応神天皇)を祭神としています。神社の伝承によれば、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。別当寺は東覚寺でした。 現在東覚寺の不動堂の前にたっている一対の仁王像(赤紙仁王)は、明治元年(一八六七)の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入□に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者か本殿前まで進んで参拝することはできなかったらしく、仁王像のところから参拝するのか通例たったようです。 |
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田端八幡神社 | |
田端八幡神社 | |
田端文士村記念館 芥川龍之介、室生犀星、小杉放庵、板谷波山ら、田端にゆかりのある作家・芸術家の原稿、書簡、絵画、彫刻などを展示。 |
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JR 田端駅 | |
JR 田端駅 ゴール風景 |
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