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下町情緒あふれる隅田川界隈と話題のスポットを訪ねて 受付風景 都営新宿線 馬喰横山駅
馬喰横山駅〜柳橋通り〜柳橋〜隅田川テラス〜蔵前橋〜JR両国駅〜回向院〜吉良邸跡〜江戸東京博物館〜北斎通り〜大横川親水公園〜吾妻橋一丁目交差点〜墨田区役所〜隅田川テラス〜蔵前駅(総行程 10.0km)
【撮影記録】
平成22年 7月 3日 曇り
10:05〜12:45 13,800歩(概算 9.7km)
最高気温は29度だったが、湿度90%の猛烈な蒸し暑さで、流れる汗を吹く時間さえ無いほどだった。都営地下鉄と西武との共催のせいか、係員の制服など初めて見るものばかりだった。 |
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馬喰横山駅 清洲橋通りに出て右折
新宿線の先頭側の出入口から清洲橋通りに出る。 |
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馬喰横山駅 清洲橋通りに出て右折 |
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清洲橋通りを渡り、東日本橋三丁目中央通りへ
馬喰横山駅を出てすぐの交差点で清洲橋通りを渡る。新宿線は清洲橋通りの地下を走る。 |
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東日本橋三丁目中央通り 突き当りで左折、清杉通りへ |
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清杉通りを北東に歩く
所々に案内の矢印が掲げられている。 |
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清杉通りを渡り、柳橋通り(薬研堀不動院参道)へ
交差点名はないが、薬研掘不動尊の赤い幟が立ち並んでいるのですぐ分かる。 |
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柳橋通り ガソリンスタンド角で右折、薬研堀不動院へ
ガソリンスタンドの裏に川崎大師東京別院 薬研堀不動院がある。 |
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川崎大師東京別院 薬研堀不動院
裏町のちょっと変わった建物にしか見えないが、2年毎に行われる神田明神の天下祭りの神幸祭では、昼食休憩する両国旧御仮屋がこの不動院隣の駐車場で、多くの人が溢れ、立錐の余地も無い。 |
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薬研堀不動院から柳橋通りへ戻る |
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柳橋通り 突き当りで京葉道路(靖国通り)を渡る
左手に見える浅草橋交差点から、靖国通りは京葉通りと改称される。 |
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京葉道路(靖国通り)の右手に両国橋がある
右手すぐに両国橋西詰交差点がある。 |
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柳橋通り 神田川に架かる柳橋 |
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柳橋通り 神田川に架かる柳橋
柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁です。その起源は江戸時代の中頃で、当時は、下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡船で往き来していましたが、不便なので元禄十年(一六九七)に南町奉行所に架橋を願い出て許可され、翌十一年に完成しました。
その頃の柳橋辺りは隅田川の船遊び客の船宿が多く”柳橋川へ蒲団をほうり込み”と川柳に見られる様な賑わいぶりでした。 |
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柳橋通り 柳橋から見える隅田川、両国橋
柳橋は隅田川への河口手前に架かり、右手に両国橋が見える。
生憎の梅雨の曇り空ではっきりとしないが、晴天時には河口と両国橋がくっきりと見える。 |
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柳橋通り 神田川に架かる柳橋
粋筋の街柳橋に相応しく、橋の欄干には赤と青の簪が飾られている。 |
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柳橋通り 突き当りで右折
右折してすぐ左折、柳橋通り同様北上する。 |
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事務所街を北上し、総武線ガードを潜り、すぐ右折
総武線沿いに歩き、隅田川に向かう。 |
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旧浅草柳橋 町名由来
いくつかの町が整理統合され、昭和九年に誕生した。町名の由来は、神田川の隅田川合流点近くに「柳橋」と称する橋があったのにちなんだ。
柳橋の名は、江戸中期の頃から花街として人によく知られ、橋のほとりには船宿が並んで賑わっていた。ひところは、料亭および芸者衆も多く、隆盛を誇つたものである。
「柳橋」は、元禄十一年(一六九八)に初めて架けられた。その当時は、川口出□之橋と呼ばれていたが、橋のほとりに柳が植えられていたことから、いつしか柳橋と呼ばれた。現在の橋は、昭和四年に架けられたものである。 |
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総武線鉄橋前で右折、隅田川テラスへ |