早稲田大学〜胸突坂〜日本女子大〜
雑司ヶ谷霊園〜池袋駅
(English)
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水稲荷神社 早稲田大学の西端に隣接し、階段を上ったところに堀部安兵衛の「高田馬場仇討ちの碑」があり、奥右には甘泉園がある。 |
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旧安部球場に因むグランド坂 戸塚球場(今の早大総合学術技術センター)のグランドから、六大学リーグ戦に向け練習に励む学生達の声が響いてくることからグランド坂と呼ばれるようになった。戸塚球場は昭和24年、早大野球部育ての親、安部晴雄教授の逝去により安部球場と改称し、昭和62年まで存続した。 |
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早稲田大学 総合学術技術センター 旧安部球場で、2階は中央図書館であり、全体の配置が早稲田のW字形となっている。 |
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早稲田大学 総合学術技術センター 安部晴雄教授像 | |
早稲田大学 総合学術技術センター 安部球場跡の碑 ここにかって野球場があった。戦前は戸塚球場と呼ばれ、戦後は安部球場と呼ばれて早稲田の歴史と共に歩み、全早稲田人に親しまれてきたグランドである。 昭和18年に学徒出陣出陣壮行とという歴史的行事が催されたのもこの場所であった。とくに同年秋に行われた、いわゆる「最後の早慶戦」を忘れることは出来ない。 |
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早稲田ナショナリズム 禁煙ポスターにもWの文字 わざわざタバコをWにしただけでなく、総合学術技術センターにもWが溢れている。 |
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大隈侯像と新築の法学部 昨秋の学部卒業30周年記念のホームカミングデーでは建設中だった法学部も、早稲田らしからぬデザインの校舎が出来ていた。再来年秋の大学院修了30周年では、キャンパスがどう変わっているか楽しみである。 |
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早稲田の象徴 大隈講堂 | |
鬱蒼とした桜並木の神田川と椿山荘 | |
旧関口町 説明板 正保(1644〜1648年)の頃まで関口村といっていた。土地の人の伝えに、むカヽしこの辺りに奥州街道の関所があったので村名としたという。また神田上水を江戸川に分水するため堰(大洗堰)を設けたので関口の名が起こったという。 |
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胸突坂 早稲田と日本女子大とを結ぶ急坂である。胸突坂と上った所には多くの見るべきものがある。坂を上り始めてすぐに松尾芭蕉の関口芭蕉庵があり、細川藩の文書を集めた永青文庫、早稲田などの学生を集めた和敬塾、講談社 野間記念館、カテドラル聖マリア大聖堂、椿山荘と続く。 |
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目白通りを西進 | |
和敬塾 目白通り側に和敬塾の門があるとは知らなかった。 |
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日本女子大学 | |
日本女子大学 | |
栄華の跡 旧田中角栄低 旧田中角栄邸は、相続税対策のため半分が物納された。右側は現在の田中邸で、表札もはずされ侘しさを感じる左側がかっての田中角栄邸の正門である。日本女子大学の道向かいにある。 |
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雑司ヶ谷霊園と池袋サンシャイン | |
造幣局 東京支局 | |
池袋 サンシャイン | |
サンシャイン60通り | |
池袋駅 東口 | |
JR 山手線 池袋駅 | |
ゴール風景 池袋駅 メトロポリタン口 |